火鉢と炭火の思い出
「僕の昭和スケッチ」261枚目
岐阜にある僕の実家は商売をやっていたので店にはコークスを使うストーブがあった。けれど、奥の住まいにあった暖房器具は火鉢だけだった。
それは一階の八畳間に一つ、三畳ほどの食事をする部屋に一つ、二階は三部屋あったが火鉢は一つだけ。祖母がいつも背中を丸めてあたっていたのを覚えている。
火鉢の暖房というのは今時の暖房とは違い、部屋中を暖めるというには程遠いものだ。けれど、子供の頃からそれで過ごしていたので、冬は寒いものだと思って育った。
その火鉢の上でよく餅を焼いたものだ。餅は毎冬母親の在所の農家に頼んで杵でついてもらっていた。小机ほどの大きさの平たい餅が届くのだが、暫くは柔らか過ぎて切り分けることが出来ない。何日か置いて硬くなった頃合いを見計らって包丁で小さく切り分ける。小さくと言っても今時のパック餅2個分ほどはある。それを火鉢の炭火で焼く。
本当に美味しいお餅だった。
杵でついた餅は実によく伸びた。
けれど、いつの頃からかお金を払っても農家でついてくれなくなり、我が家でも機械でついた餅を買うより他はなくなった。
「美味しくないね〜、機械でついた餅は・・・」
とお袋はいつもこぼしていた。
飽食の時代だが、本当に美味しいものとは、ああいうものを言うのだと僕は思う。
今、実家に帰っても火鉢などもちろん何処にもない。
杵でついた餅を子どもの頃のように火鉢で焼いてもう一度食べてみたいものだ。