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#結婚式の思い出

自分の結婚式はもちろん、家族や友人でも。参加した結婚式での思い出や、忘れられないエピソードを投稿してください!

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空の移ろいを楽しむ小さな結婚式

今回は、結婚式を挙げた会場の思い出話です。 前回のnote 結婚式を挙げると決めるまでの話はこちら↓ 結婚式準備をはじめるにあたり、 どんな式にしたいかをざっくり決めることにしました。 私たちの理想はこちら。 小さな式にすることは絶対条件、ホテルのような披露宴会場ではなく開放的なガーデンで…と会場を探しているなか、目星をつけたのはQ.E.D.CLUB。 恵比寿の丘の上にある一軒家レストランです。 結果的に、式場見学に行ったのはここだけ、見に行ったその日にここで挙げる

何もしない結婚式が、とても良かった。

約1年半前の10月、結婚式を挙げた。 昔から目立つのが苦手だったので、公衆の面前で恥ずかしそうにバージンロードを1人で歩いたり、誓いのキスをしたり、締めのスピーチをするなんて考えられなかった。 いじられキャラだったので、似合わないタキシード姿やぎこちない挨拶を前に、どんな野次が飛んでくるか分からない。 何より私と妻は、月とすっぽん。ワインと泥水。美女と凡人なのだ。思いがけず高嶺の花と結ばれた私にとって、確実に自分たちにスポットライトが当たる結婚式は、越えなければいけない

結婚式で顔出しが嫌すぎて、オリジナルキャラクターをデザインしたらかなり良かった (作ったアイテムも紹介します)

「結婚式のペーパーアイテムとかに顔を載せるの、私たちにはハードルが高い……」 私と夫が結婚式準備中に思っていたことです。 人前に出るのが嫌なのではなく、印刷物や装飾にキマっている自分が載るのがなんとなく気恥ずかしい。 しかし、せっかくのパーティを華やかなアイテムで彩りたい……どうしたものか…… 考えた末、二人をモチーフにオリジナルキャラクターをデザインして使うことにしました。 幸い、妻である私は多少絵も描けるデザイナーです。どうにかなるでしょう。 キャラクターデザインま

ウエディングドレスを自分で作りました

タイトルの通り、ウエディングドレスを手作りしました! どこからどこまで自分でやったのかというと、デザインから縫製までなので、先生の補助はありつつ基本的に全て私が作りました。 なんで手作りに決めたか3年くらい前から趣味で洋裁教室に通っていて、ワンピースやスカートなど普段着を作っていました。 とはいえ、流石にウエディングドレスを自分で作るのは荷が重いと思って最初はレンタルする気満々でした。 実際レンタル衣装屋さんで試着をすると、細かいデザインが理想と違ったり、ダーツ(立体感を

24歳、ピアノを買う。

先日、ピアノを買った。 大学卒業とともに奏者人生から退いて1年半、私はその間何かを演奏する、ということをしてこなかった。大学1年の頃に手に入れたクラリネットは、真新しい姿のまま埃をかぶりつつある。週末に吹いてみようかな、と平日に思い立っても、いざ週末になるとその気がなくなる不思議。 ところがある日突然、むくむくと音楽欲が湧いてきたのだ。ピアノが弾きたい。ピアノが欲しい。 私がピアノを習っていたのは、4歳から17歳まで。週に一度のレッスンの直前にようやく爪を切り、練習曲を

彼女と結婚出来たら、泣いてしまうだろうと思う

私には交際して5年以上になるパートナーがいる。 パートナーは3歳年上の女性で、いわゆる彼女だ。 同性同士のカップルは、2025年1月8日現在、日本では結婚できない。 パートナーシップ宣誓制度や養子縁組など、結婚の代わりとなる制度もあるが、私たちはどの選択もとっていない。 その理由はまたいつか。 世間的にはただの恋人同士である私たちは、2022年の12月にフォトウェディングを撮影した。 撮影してから2年弱が経過したが、今思い返してもあの時撮影しておいて良かったと心から思う

結婚式やらない派の夫婦が式を挙げると決めた理由

結婚式をやるか、やらないか。 晴れて夫婦となったら、一度は話し合うであろうこの2択。 私たちもはっきりと決めないまま月日が経ち、結婚して2年後にようやく決断しました。 結婚式やらない派だった夫婦が、式を挙げるまでの経緯を残そうと思います。 (結婚式、やってみたらものすごく楽しかった!!) 自己紹介 現在結婚3年目の夫婦です。 2022年に結婚し、2024年に結婚式を挙げました。 共通の趣味は映画鑑賞。2人でも、1人でも、映画館に通っています。海外ドラマも大好きです。

音楽好き夫婦による2部制結婚式をすべて語る

この記事は親族食事会→親族&友人で挙式→友人パーティの順の2部制で、2人のやりたいことを詰め込みまくった式の記録です。備忘録的感想と、これから挙式披露宴をお考えの方におすすめしたいことを混ぜながら書いていきます。 第1部:親族食事会 大きな余興や演出は入れず、しっかりと食事と会話、写真撮影の時間を取れるよう歓談時間をメインにしました。 残りの時間は自由に食べて飲んで、席をかわるがわる写真を撮りまくった。 しばらく会えていなかった叔母たちは相変わらずパワフルであれこれと新

建国記念の日を結婚記念日にしようと企んで2度も記念日を設けてもらった話。

2月11日は言わずと知れた「建国記念の日」ですよね。 この日は「紀元節(きげんせつ)」と呼ばれた時代もあったけど、終戦後のGHQ(占領軍)の意向を受けて廃止されたんですよね。 その経緯を簡単に書くと、日本の初代天皇である神武天皇が即位された日がこの日で、紀元前660年2月11日に即位されたと古事記、日本書紀に記されているのです。 その日(2月11日)を、日本という国が始まった日(紀元)として、明治5年(1873年)に定められて国民の祭日になったんですよ。 それが、戦後に

メルカリとのお付き合い

「メルカリ」とは2021年からのお付き合い。 最初は確か、子供達が使わなくなった「鉛筆」を売りに出したもので、ありがたい事にすぐ売れました。 で、気を良くしたもので次々と出展して、楽しんでいました。 買ったものの、袋を開ける事なく、家族から要らないと拒否された“ヒートテック”や、子供達の学校でもう要らなくなった本、着なくなった服、私がちょこっと作ったレッグウォーマーなど、、、、 ほんと!ずいぶんお世話になっています。 もちろん、まだ、誰かに使ってもらいたいなぁと出展するので

結婚式を、写真で残さない理由は『好きなことに価値を感じているから』

”動く”記録を残したい 友人の結婚式に参加するたび、僕は一眼レフカメラを構えながら会場を歩き回る。カメラを向けられた人は、写真を撮られると思ってピースしながら笑顔でこちらを見つめてくる。  一言で急に動き出し、「なんだよ~」と言いながら笑う姿も、僕にとって素敵な素材になる。結婚式でバージンロードを緊張しながら歩く姿、指輪の交換で焦って手が震えながら相手の指に入れる光景、新郎新婦が不在のときの会場の雰囲気、新婦の言葉で涙する友人。様々な光景を映像に残している。 僕はプロカ

結婚式の思い出②

結婚式の思い出にはもう一つ話があります。 実は、夫とは高校の同級生で、担任の先生も 夫は一年、私は三年の受け持ちでした。 それで、先生も披露宴に来ていただきました。 同級生と言っても、在学中は全然接点も無く、卒業して随分経って巡りあったというものです。 一番私たちを知っていたのは親友のNで、一番喜んでくれた人です。 彼とは在学中から話をしていたそうで、一番ビックリしたのは彼女だったかもしれません。 その彼女も結婚式に来てくれました♡ そして、「結婚式」の日、 披露宴が

心が悦びで溢れたときは

2024.11.02 先日、写真を通じて出会った友人、 美紀さん・拓真さん夫婦の結婚式に参列した。 それはもう、あまりに美しい時間だった。   式に集う人達がふたりへ贈る眼差しも、 贈られた眼差しをひとつひとつ返す美紀さん・拓真さんの表情も、 美しく輝いていた。 草野球を眺めながら日記を綴った式の翌日も、 noteに言葉を記す今も、 いつのまにか、目を潤ませてしまっている。 涙が込み上げるとは  この美しさを前に現れる感情であり状態なんだろうか。 美しいものをみて、

結婚式を終えて、今感じていること

こんにちは🌷 無事に先日結婚式を挙げることができました。 本当にとても尊い時間でした……… 準備もいろいろあったけど、トラブルもなく当日を迎えることができてホッとしたし、まだ現実味がないというか不思議な気持ちでいます。 一旦ここで今の感情を、思いつくままにここに残しておこうと思います。 ( すごく長くなりました ) 大好きな友だちに一度に会えた 元々友人が多くはないわたし。 招待した友人は本当に大切な10人( うち1人は体調不良で欠席だったけど ) 複数人でのコミュニケ

瞳で語らうふたり

「この子、誰ですか? めちゃくちゃファンです、とお伝えください」 Instagramにアップした友達との写真に、先輩からそんなメッセージが届いたのは、新社会人になって間もない10月のことだった。友達とは高校時代からの付き合いで、一緒に上京し、お互いにそのまま東京で社会人になった。あの日、うっとりするほど綺麗な黄昏時の逗子の海で、夕日を見ながら2人で他愛もない会話をしたのを、今でもよく覚えている。夕日を見つめる彼女の横顔がとても綺麗だったから、私はお気に入りのフィルムカメラの

結婚式の思い出①

昔の話を一つ、一応、結婚式は挙げました。30年前です。 今は、もう「仲人」など置かなくなり、羨ましい限りで、私の時はまだ、「仲人」ありきの結婚式でした。 知り合った時、夫の義叔父がいたので、そのまま「仲人」になってもらったのですが、その夫婦はとても張り切って、何でも勝手に決めていきました。 結納の日も、結婚式の日も、本人達がオロオロしている間に決められました。 その中で、結婚式場も決まり、衣装合わせもトントンと決まってしまいました。 夫が神前が良いというので、着物も着ること

土下座からはじまった両家顔合わせ

私の結婚が決まり両家顔合わせをすることになった。っとその前に父について話をしよう。 私の父は恐ろしく気が短い。それゆえトラブルが絶えず、行くところ行くところで誰かと喧嘩をはじめる。新卒で就職した会社は6ヶ月で辞めた。次の会社は3ヶ月だった。いいかげんにしてよ。 友人の結婚式で司会者と喧嘩をした時は殴ってやろうかと思ったと、当時同席していた母は今でも恥ずかしそうにそのことを話す。殴っちゃえば良かったのに。 そんな性格が災いしてか、私が中学生の時に父はリストラにあった。それだ

中学からの悪友鎌田が結婚したし、世界はつながっているって話

 今まで結婚式シリーズは長編にしていたので、中学時代から仲いい鎌田のことだから、10000字超えの卒論レベルを書こうと思っていたのだが、どうも身が入らず、100字くらい書いたところで、 半年が経ってしまった(は?) 鎌田は俺と同様、外面は良くても中身は悪いやつである。  中3の時に俺が学級委員、鎌田が生活委員になったときがある。 8時10分の朝の占いを見てから行くルーティンの俺は、徒歩10分の場所の中学校には、いつも残り5秒が間に合わず、ぎりぎりで門を閉められ涙がちょちょ

1万文字のなれそめ

ドラマのような社内恋愛でした。 これは、僕と妻の物語。 ノンフィクションですが、フィクションのような、それでもやっぱり本当のお話。 東京の女見るからに高級そうなバッグに、すらりと高いヒールを履いて、タイトなスカート、軽やかなジャケットを羽織るその姿。 想像しうる限りの、丸の内OLそのもの。 当時の僕は、新卒2年目。 産まれてこの方、関西から出た事はなく、大学までずっと近畿在住。 東京の会社へ入社したものの、配属は関西にある支社。 大袈裟ではなく、関東の方とあ

日記:10/22 ・良い疲れが溜まっている🥱 →運転も増えてくるとかなり神経を使う💦 寒暖差の影響もあるかもわからない😔 ・タンパク質の摂取量をもっと増やしていきたい →1日あたりの食費をちょっと上げようか検討 ・第二種販売主任者試験まであと20日を切っている →追い込み期間🔥

「妻」と共に。 241111

結婚何年、という何かの区切りではないですけど、、「妻」のことを書いておこうと思います。  妻はまさか、夫がnoteに投稿してる、なんてこと知るわけない。と願います。 ちょっと長い話です。 私的なこと書きすぎたので、いずれ有料にして見られないようにします。 ** ** 「妻」にプロポーズ 妻とは職場で知り合いました。 詳しくはnoteであってもちょっと書けない。 えー!、妻のこと書くと言っていきなり、書けない…。 あー、紆余曲折あったのです。 勘弁してください。 ありあ

¥100

思い出を音楽に残す— 結婚式で “自分たちのために”こだわったこと

こんにちは。茉友です。 先日書いたnote、驚くことに沢山の方に読んでいただきました…!とても嬉しいです。ありがとうございます。 せっかくなので、もう少し結婚式の話をしようと思います。 今日のnoteは、 ゲスト目線ではなく、自分たち目線でこだわったことについて。 結婚式準備で一番こだわったこと。 それは当日流す音楽選びでした。 会場を飾るお花や、席周りに置いたアイテムなどはもちろん気に入ったものを用意したし、ゲストを想って丁寧に選んだ。だけど、音楽は“自分たち目

【備忘録】僕たちのポップでカオスな結婚式とウェディングパーティー

2024年を時系列に沿って1月〜12月ごとに振り返っていたら、昨年開催した結婚式とウェディングパーティーの写真で半分以上を占めそうになったため、急遽別途noteを書き始めました。 元となった振り返りはこちら 結婚式&ウェディングパーティーが抱えきれないくらい幸せと豊かさで溢れた時間でした。 このかけがえのない時間を忘れないため、noteに書き溜めておこうと思います。2024年10月27日に行った結婚式&ウェディングパーティーの様子を振り返っていきたいと思います。 午前:

幸せのお裾分け

20年来の友人の結婚式に参列した。 自分の好きな人についてのエッセイとして、彼女への手紙として、思い出の一部を書きたいと思う。 幼少期、学生時代のこと 3歳のときに出会い、付き合いは23年になる。彼女の家の庭でこびとづかんに登場しそうな私たちがなんとも微妙な表情で並んでいる写真が実家にあり、それを眺めていると時の長さをしっかりと感じられる。 幼稚園生の頃、私の誕生日に彼女と彼女のお母さんがお花を一輪、家に届けにきてくれたことがあった。私自身はそのことをあまり覚えていない

両親への手紙を読まなかった私が、読んでもよかったかもと思った話

結婚式、披露宴をしたのは5年前。 社会人3年目の自分達は友達に会えるからという理由で式を挙げた。 会場もアクセスしやすい点だけを条件にしていたので見学ツアーを組んでもらったのに1件目で決めた。 当時敬愛する作家朝井リョウさんが結婚したが式を挙げなかった理由を話している記事を見た。 ファーストバイトは「一生食べさせてあげる」等の意味があるという。(諸説あり) それを知った私は「食べさせてもらうために結婚するのではない!!」とプランナーさんにファーストバイトをやらないこと

1年に1度ホテルでお食事するのが夢

1年前にわたしたちが結婚式を挙げたANAインターコンチネンタルホテル東京にお食事をしに行きました。 「ウエディングメンバーズクラブ」というのがあり、式を挙げた月とその前後月にホテル内レストランや宿泊を優待料金で利用できるのです。 1年前から「来年はお食事にでも来たいな」って憧れてて🥺 ダンさんはそんなこと1ミリも考えてなかったみたいですが、「誕生日プレゼントいらないから!」ってお願いして連れて行ってもらいました🙏🏻 日本食レストランの「雲海」に行きました。 予約時に

あがり症を克服したい

堂々と都会のど真ん中を颯爽と歩く、長澤まさみ(仮)みたいなかっこいい女性になりたい私。 しかし、私と今記述したような人との間には決定的な壁がある。 私はあがり症だ。それも重度の。 人に注目されていると思うと、顔の温度が一気に上昇する。喉がキュッと締まり、手も自分でコントロールが効かなくなる程ブルブルと震え出す。やばいやばいと思う程に緊張が高まって頭が真っ白になってしまう。ああ、今その自分の姿を思い浮かべただけでもゾッとする。 誰が長澤まさみが人前に立って緊張で顔を赤らめて

【花嫁の母は… 心境編】

いつもお立ち寄りくださり、ありがとうございます😊✨✨ 【花嫁の母は…】 5部作💦 第1回目は、私の心境編です。 あまり、 綺麗なことは書いてないかも。期待しないでね。 いつものくりあ🌟うぉーたーじゃない、 と思う人もいる? いや、 くりあらしいと思うかな? 自分のことは、自分では見えないからね。 結婚式を終えてみたあとの、 私の気持ちの整理日記 みたいなものです。 関心がある方は、 のぞいて行ってくださいね。 遡っていくと、 昨日は、 私始め、 家族がしんみ

オルカンを学ぶ💖 特色②:主として対象インデックスに採用されている日本を含む先進国および新興国の株式等(DR(預託証書)を含みます。)への投資を実施💴 ※DR:ある国の企業の株式を当該国外の市場で流通させるため、現地法に従い発行した代替証券📝 出所:オルカン交付目論見書より✨

母がつくる料理を食べる機会ってあと何回あるんだろう、台風が運んできてくれた家族で過ごす時間の話

前回の記事でもさらりと触れましたが、台風の影響で結婚式に前々乗りした両親と祖母。一緒にスーパーで買い出しをした日の記録です。 両親は娘を常に飢餓状態だと思っている これ、実家を出た人あるあるだと思っているのですが、いつも空腹、なんなら飢餓状態だと思われている節がある。 スーパーでたんまりとお寿司を買ってもらい、私たちの家で一緒に食べました。 母と祖母はもともと近鉄で来る予定だったらしく、車内で食べる用のお弁当が残っていたようで、それも食卓に並びました。 お弁当とお寿

貿易英語✨ Tariff (Customs duty):関税 Simplified customs duty rate:簡易税率 Tariff quota system:関税割田制度 Aircraft's stores:機用品 Personal effects:携帯品

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結婚式を挙げました

花嫁のご意見書

「Mちゃんからもらった手紙が、感謝の手紙というよりはご意見書だったのよ」 実家に帰った時に母がぼやいていた。 姉の結婚式で、両親宛に贈られた手紙のことだ。花嫁の手紙はたいてい、式の終盤で花嫁が両親に向けて読み上げる。一方、姉の場合は渡すだけだったので、私も内容までは知らなかった。 「お姉ちゃんは寂しかったらしい」  寂しい。 思い返す子ども時代は、確かに寂しくても普通だったと思う。 両親は共働きで忙しく、平日は朝と寝る前に会うかどうかだった。 面倒を見てくれたのは二世

今日は私たちの結婚記念日です!天気も晴れて風も無く気温も気分も高まった?

こんにちは、やらぽんです。 今日は、世間的には「建国記念の日」ですが 私たち夫婦の結婚記念日でもありました。 なので、メインアカウントの投稿記事は そのことを話題してあります。 もし、お時間があるようなら こちらの記事をご覧いただくと 結婚記念日が2度あることが理解できますよ。 はい、そういうわけなので 本日の結婚記念日をネタにした メインアカウントの記事紹介で終わります。 飛び石連休になりましたが どこかへ出かけた人も多いでしょう。 お出かけの人は、どうか無事に帰

【挙式レポ】結婚式、挙げたくない派でした

先日、結婚式を挙げました。 家族、親戚と少しですが友人も呼んでささやかな披露宴も。 正直、究極の目立ちたくながり屋(目立ちたがり屋の逆の意)の自分が挙げることになるとは思っていなかったし、家族や友人にも挙げるつもりはないと公言していました。 人前に立つのが苦手だし、お金もかかるし… 挙げたくない理由は色々ありますが、何よりも自分が結婚式の主役になっている姿がまったくイメージできませんでした。 そんな私が挙式することになった理由は単純で、夫が挙げたい派だったから。 夫は披

1年で2回、結婚式をした両親

今年の6月、 弟からいきなり電話。 「兄ちゃん、11月に結婚式挙げるわ」 驚きと祝福が混在。 「お、おお、めでとう」と、よくわからない返事。 兄として恥ずかしいところを見せた。 驚いた理由は2つある。 1つ目は、 弟が結婚して3年経った今、 結婚式を挙げること。 弟は33歳。僕の2つ下。 3年前に入籍し、 娘は今年で2歳になる。 新型コロナウイルスの蔓延に伴い、 結婚式を諦めた。 センシティブな地方だから、 蔓延が落ち着いても 噂が蔓延して変な誤解を生む。

日記:10/9(水) ・ふるさと納税は素晴らしい制度💖 →両親に返礼品が届き、とても喜んでもらえて嬉しかった😊 ・LPガスの保安管理技術がなかなか覚えられない💦 →用語を覚えることからもう一度基礎固め📗 ・「沈黙は金」 →常にこの言葉を自分に言い聞かせて、無駄な発言をしない!

初参加した結婚式が結婚式だけど結婚式じゃなかった件

大学を卒業するちょっと前だったと思う。小中学校時代の友人から「結婚式をするから参列してほしい」という連絡をもらった。たしか高校を卒業して声優養成の専門学校に行ったと聞いていたが,周りの友人に聞くとそこで知り合った方と結婚することになったらしい。年齢を考えるとずいぶん早いけどそんな人生もあるかと思うぐらいで二つ返事で参加すると返した。 翌月になりまたその友人から電話がかかってきた。「たしかトランペットやってるんだよね?なんか吹いてくれる?」と。 大学でジャズ研究会に入ってト

私の結婚前夜はまさかの福井へgoでした、夢だったドラえもんの視聴会をした話

私ごとオブ私ごとなのですが、先日結婚式を挙げまして。台風10号(サンサン)の影響をモロに受けた結果、まさかまさかの日々を過ごすことに。 夢だったんです ドラえもんの歴史において名作と名高い「のび太の結婚前夜」、ご存知でしょうか? のび太とドラえもんが未来へ行って、しずかちゃんが家族と過ごす様子を見るお話なのですが、これがなんとも泣ける回なんですね。 私、これを自分の結婚前夜に観るのが長年の夢だったんです。 ただ、ホテルに併設している式場で挙式ということで前泊がセット

年の差婚ってぴんとこなかったけど

出会ったときはわたしは、33歳で夫は49歳で16歳の年の差がありました。2月に出会って、4月に入籍したのは幼稚園に勤めていたから、春休み中の引っ越しと、途中から苗字が変わり「結婚しました」というお知らせを出したくなかったから。新年度から新しい名前で新しいクラスと向き合いたかったから。 夫がバツ1で3人いる子どもたちのうちの長男が、隣りの家で義母と暮らしていました。自宅の1階が会社で2階が自宅でわたしが「いってきます」と家を出て幼稚園に行っていたので、なんだか合宿所みたいなと

よかったねと言いあえるふたりの思い出

今年も残すところ2週間 本当にあっという間に日々は過ぎていく そんな日々の中で私が何度も見返す動画がある それは今年行った結婚式のエンドロール 当日の映像を驚くほど素敵に編集してくれたもの 記憶の中でもまだまだ鮮明に思い出すことができる ... あれは春の雲ひとつない暖かな日 迷って何度も試着して決めた素敵なドレスに身を包み 大きな扉の前で私はひとりその時を待っていた この扉が開けばあの一目惚で決めた 海を一望できるチャペルが広がっている (今日ここで私は結婚式を

老けましたね

娘が1歳くらいの時のアルバムを見返してました。 今から16年前。 娘に「今より肌にハリがある。たるんでない」 と言われ   ほんまや… 肌にハリがある…若い… そりゃあ同級生に老けた言われる訳だ。 (数日前のnote、老けた?!参照) と、16年の月日を感じ納得してしまった。 私の両親も若い 父親の髪の毛がフサフサしてる。 お腹が出てない。 母が細くてピチピチしてる。 夫はほとんど変わってないな(羨ましい) 娘、ヨチヨチ歩きで小さかったのが 今や高校生ですしね

万年筆の思い出

 こちらの記事に出てくる、亡くなった父の万年筆にまつわる思い出です。  結婚して実家を出ることになったとき、「今まで育ててもらったお礼を置いていきなさい」と母に言われました。そして「お礼」の条件を告げられました。  1.父と母それぞれに置いていくこと  2.何にするのか自分で考えること  3.それなりの金額のものにすること  私は、条件2に違和感を覚えました。母は、私と同じく、サプライズを期待し喜ぶタイプではありません。それまでのプレゼントは、一緒に買いに行っていました

結婚式という人生の大イベントを振り返って

こんにちは。今年も年末ですね。アドベントカレンダーの〆って25日なんですね。31日だと思ってました。大トリがこんなバッチリプライベートの内容でいいのかな。良いや!振り切ろう!ということで書いてみました。 私が今年7月に挙げることができた人生の一大イベント、結婚式について、一部始終を記録してみようと思います。 2〜3年前には結婚式を挙げるなんて考えもしなかった私が初めてだらけの各イベントに必死に取り組んだことを温かい目で見ていただき、年末繁忙の箸休めになれば嬉しく思います。

白髪撲滅作戦は終了しました。

髪を濡らすと、キラリと光るものが。 白髪がある。 黒髪に混ざって、ちらちらと反射している。またお前か。 会社のお手洗いとか、家にある鏡台の前でよく見つけて、「あ〜いるな〜」とブルーになる。ホワイトじゃなくてブルー。 旦那は全然目立たないので気にするなと言うが、私にはよく見えるのだ。 高校生くらいの時から白髪があることは認識していた。 ただ、その時はたまに一本見つけるくらいだったし、若白髪は天才だと茶化されて、「自分天才らしい」とちょっと誇らしかったりもした。 ある種の『四

【92】 セフレだった彼と最高の結婚式! 「これからも喧嘩しながら一緒にいよう」

2年越しに振り返る、結婚式と自我

2022年に挙げた結婚式の話をなぜ今さら書く気になったかというと、友人の結婚式にお呼ばれすることが増えて、「結婚式には(よい意味で)人格が出るな~」と思い、夫と自分があの時点でつくりあげた式についても、記録として残しておきたくなったのだ。 自分が結婚式を挙げるとき、noteで結婚式についてのいろんな見解や経験談を読みあさった記憶があり、わたしの式の記録も誰かの役にたつとよいなあとも思っている。 (だいたい8,500字くらいです。式場名などの固有名詞はなるべく書かずにいますが

¥300

変わり者の父親

最近私のnoteにチラホラ顔を出し始めた、うちの父親。 色々変わり者なので、書いてみようと思います。 誰も興味ないだろうけど。。 私が小さな頃〜小学生時代は、毎週のように緑地公園に車で連れて行ってくれて ひたすら緑の中で遊ばせてくれた。 鳩がたくさんいると、その中から一羽を 「タケシ」と父は名付けて 私と弟に「あれはタケシや、賢い鳩やで」 と嘘を教えてた。 私と弟は 毎週、鳩の中から父親が「またタケシがおるぞ」と言うのを信じてタケシを愛おしくみていた。 今思えば、毎週

菓子まき

 愛知県のわたしの住む地域では、結婚式に菓子をまく風習があった。菓子まきだ。  花嫁さんが生家を出発された後、もしくは、花嫁さんが嫁ぎ先に到着された後、つまり花嫁さんのお披露目が終わった後に、菓子まきが始まる。ご近所さんへ感謝の気持ちを込めて、親族が屋根などから菓子をまくのだ。  菓子はスナック菓子が多く、あられ、おせんべいなどもあった。軽くて、かさばり、当たっても、あまり痛くないもの。  子どものころは、花嫁さんに会えることより、菓子まきが楽しみだった。小さな子どもは

結婚式を挙げた!備忘録

ずっと下書きにあったやつ 自分のメモ用 結婚が身近になったとき、「結婚式を挙げる」という夢ができた。 挙式への漠然とした憧れとドレスを着たいというこんなふわっとした願望で何百万使うのやばいか?とか思いながら契約 最初から最終の打ち合わせまで、本当に挙げられるのかな〜とどこか夢見心地な気分でいた。 気付いたら当日の朝を迎えていて、約半年準備してきたことを今日終えるんだとなんだか寂しい気持ちと、これから始まる挙式・披露宴がとにかく楽しみという気持ちがせめぎ合っていた。 情報