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2年越しに振り返る、結婚式と自我

2022年に挙げた結婚式の話をなぜ今さら書く気になったかというと、友人の結婚式にお呼ばれすることが増えて、「結婚式には(よい意味で)人格が出るな~」と思い、夫と自分があの時点でつくりあげた式についても、記録として残しておきたくなったのだ。

自分が結婚式を挙げるとき、noteで結婚式についてのいろんな見解や経験談を読みあさった記憶があり、わたしの式の記録も誰かの役にたつとよいなあとも思っている。
(だいたい8,500字くらいです。式場名などの固有名詞はなるべく書かずにいますが、気になる方はXのDMなどで聞いていただければ!)

結婚式、する?

わたしは2021年に結婚したのだが、そのときには「式は挙げなくてもいいけどドレスだけは着たいなあ」というスタンスであった。コロナ禍で先行きが見えない状況だったし、友人の結婚式に参加した経験もなく、「やりたい」「やりたくない」という以前に、自分たちが挙式しているイメージが湧いていなかったというのが正しい。ただ、親がドレス姿を楽しみにしているであろうことや、自分の友人が一堂に会する日は結婚式と葬式しかないだろうことは気にかかっており、しかしお金もかかるしなあ、という胸中を夫に話してみたところ、「君が数年後に友だちの結婚式に参列して羨ましくなって俺に文句言ってくるのが目に見えるので、後悔のリスクを減らすために結婚式はやりましょう」と真顔で言われて大笑いするとともに、彼はわたしという人間の面倒臭さを深く理解しているなあと感心してしまった。これがわたしたちの結婚式準備の幕開けであった。
いま振り返ると、準備の過程は楽しかったものの、たびたび怒り狂ったり落ち込んだりもしていたので、夫の当初の目的からすると却ってメンタルケアの手間が増えてしまったような気もする。でも、自分たちなりにベストな式を挙げた!と心から思えるし、友人の結婚式でも自分が挙式したからこそ感動できるポイントがたくさんあるので、やはり夫の意見は総じて正しかった。

朝井リョウLOVERとしての結婚式観

唐突だが、わたしは小説家の朝井リョウさんの大ファンである。単行本化された作品はすべて読み、かつて出演されていたラジオ番組も聴き、サイン会や講演会にもたびたび参加している。単純に作品が物語としておもしろいということもあるのだが、朝井さんが社会や人間を観察する視点がほんとうに好きで、主に高校時代から大学時代にかけて、その考え方にかなり影響を受けている自覚がある。
朝井さんはラジオで何度か、結婚式についてのなかなか辛辣な見解を述べている。「アルバイトの、普段は家でカップラーメン食べてるような神父の前で愛を誓う」「ファーストバイトをすることで『男の人が稼いできたお金で、女の人が料理を作って食べさせる』という思想を背負っていると思われるのが嫌」「人前で読む手紙は嘘」など、要するに、結婚式に潜んでいる家父長制的価値観や茶番性に対して批判的なスタンスを貫いており、ご自身もいわゆる「結婚式」は挙げていないとのこと。もちろんラジオ番組での振る舞いとしてあえて強い言葉を使っていることは前提として、朝井さんの考えはわたしにとっても非常に腑に落ちるものであり、そういう考えを表明してくださるということ自体にも尊敬の念を抱いていた。
しかし、わたしは結婚式を挙げると決めてしまったし、夫に「挙げようよ」と言われた瞬間からモチベーションが超絶高まっていたので、もう「挙げない」という選択肢はない。浮かれポンチなのだ。だからこそ、いわゆる「ふつうの結婚式」の嫌な部分を極力避けた式にしてやろう、という気概で準備に臨むことにした。
ちなみに、「あたらしい結婚式」を謳う式場やプランナーも増えているが、我々が挙式した会場は特にそういったことを前面に押し出している会場ではなく、シンプルにわがままな客としてやらせていただいた。感謝……。

ここからこまごまとした話を書き連ねていきますが、一般的な結婚式を否定する意図は、ほんとうに、ないです。友人の結婚式の演出だったとしたら「素敵~!」と思えるけれど、自分がやるには抵抗がある……という温度の話としてご覧ください。


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