私は分類好きの「分類男」だが、分類はあくまで本質を把握するための手段に過ぎない。概念やカテゴリ分けが何もないと、ほとんどの物事は知覚できないだろう。だから道具として、分類を用いるのだ。だが時々、それがただの手段ということを思い出す必要もある。忘れてしまうことも、とても多いけど。