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記録、分類、整理(社会人の武装の仕方⑮)
記録。
メモ、旅のミニノート、note、日記。
記録がなければ昨日のごはんも忘れてしまう。
記録していれば、ふりかえり、検証ができる。
できれば自分で全部考えたい。
でも、他の人の方が優れている。
先達たちは偉大である。
先達たちの記録を読み解くことで、今、私は世界を新しい目で眺めることができる。
それだから、世界はおもしろい、世界は美しい。
先達たちに尊敬の念を持ち、崇高の念を持ち、生きていきたい。
小説は心の軌道の記録。
心の軌道をふりかえり、検証することができる。
再読で印象が変わるのは、私の側の心持ちの変化でもある。
一読して、すぐに二読しても、心は変化、成長しているから、同じ読みはできない。
整理法の第一は、分類である。
それが何かを名付ける、言語化する。
封筒整理法に、プロジェクトに、名前をつける。
机上でうろうろするメモたちには、クリアファイルに無地のマスキングテープを貼って、そこに名前を書く、ということをこの頃やっている。
封筒より丈夫で、中身が透けて見えるので、現在動いている仕事については、クリアファイルがいい。
その感情は、どの物語の、どの本の中に入るだろう?
そのアイディアは、いったいなにに育っていくのだろう?
分類ができないものは、「○月」とかいう封筒やフォルダに入れてしまうこともある。
どんなメモも日付はつけられるから、分類が可能である。
日記、日誌のいいところでもある。
でも、それを良いことに、名付けず、分類せず、書き散らかしていると、やがてメモは忘れ去られるだけである。
Obsidianなど、タグがつけられるメモは、積極的に分類を試みる。
封筒整理法などは、ひとつの分類しかできないが、デジタルの、タグの整理なら、分類される可能性があるものをいくつも紐付けることができる。
あるいは、関連付けられる可能性があるものを、いくつもリンクすることができる。
そうして分類を試みる中で、それらのメモの考えやアイディアが居場所を見つけられることがある。
教養としての読書。
いつか役に立つかも知れない知識も、頭の中で分類されずにさまよっているものがある。
年末年始。
1年、などの単位は重要だ。四季、年度、月単位でもいい。
給料日でもいい。
ふりかえりの機会となる。
時間が経った頭で、メモや本などを、ふりかえりの機会に、思い出す、分類し直す、整理し直す。
そうすることで、新しいつながりを見つけられたりする。