ワンモア

もと航空エンジニア。成田空港のそばに単身赴任中。飛行機や空の世界が大好きです。

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マガジン

  • 偵察機たちの物語

    偵察機にまつわるエピソードを集めました。全6回の記事です。

最近の記事

輸送機の物語③ベルリン大空輸作戦!飢えたドイツ人たちを救え!

 第二次世界大戦も連合国の勝利に終わり、前線のために影ながら物資を空輸し続けたC-47は勝利の立役者としてその名を残すことになりましたが、戦後にも大きな活躍が待っていました。 ◆ソ連による西ベルリン封鎖事件勃発! 連合国の勝利に終わった第二次世界大戦でしたが、米ソの見せかけの友情は儚いもので、共通の敵がいなくなれば、すぐにお互いのイデオロギーの衝突を起こします。「冷たい戦争、冷戦」の始まりです。ドイツの占領政策を巡って対立した両陣営でしたが、ソ連は、自らの占領区域の中に浮か

    • 輸送機の物語②〜戦争に従事したDC-3の活躍(C-47)

      ◆戦争に従事したDC-3(C-47) 旅客機として大活躍中のDC-3でしたが、戦争の波が押し寄せ、アメリカも軍用輸送機として徴用し正式に採用します。このように優秀な旅客機であるから、これが軍部の目に留まらぬ訳がないですよね。  正式名称はC-47、愛称は「スカイトレイン」。乗降ドアを大型貨物ドアに拡大し、貨物室底面も搭載力に見合った程度まで強化されました。  C-47は1940年9月に147機が発注され、以降大戦が終結し、生産ラインが閉じられるまでに1万機以上が生産されるとい

      • 輸送機の物語①〜航空史上不朽の傑作機、DC-3

         軍用機の主役といえば、戦闘機、爆撃機、攻撃機という感じですが、偵察機や輸送機など、戦場の裏方ともいうべき軍用機たちの存在も忘れてはいけないものです。  軍用輸送機とは、文字通り、物資を輸送とすることを目的とした飛行機。戦場で必要な弾薬、武器、食料、兵員などを速やかに届けることを任務とします。今回は民間から軍用まで大活躍したダグラスDC-3についてです。 ◆二度の世界大戦の間に生まれた旅客機DST 飛行機が生まれて十年足らずで起きた第一次世界大戦。人類にとっては今まで経験し

        • 偵察機の未来(全6回最終回)

          ◆無人機にその座を渡すことになるのか。 前回の続きです。実は有人偵察機が活躍していた1970年頃から無線機の小型化や電子誘導装置の発達を受け、無人の航空機の開発が始まっていました。  20世紀末になると、コンピューターの発達により無人航空機(UAV=Unmanned aerial vehicle ドローンと呼ばれることもある)の実用化が始まります。  無人機は、乗員スペースを必要としないために機体の大幅な小型化が可能になります。またパイロットの疲労を考慮しなくてもよいため、よ

        輸送機の物語③ベルリン大空輸作戦!飢えたドイツ人たちを救え!

        マガジン

        • 偵察機たちの物語
          6本

        記事

          戦後の偵察機について

          ◆戦後、再び脚光を浴び始めた偵察機。前回の続きです。戦場の花形である戦闘機や爆撃機・攻撃機たちに比べ、目立たない存在の偵察機ではありましたが、裏方らしい実に多彩な任務を任されていたと思います。決して目立たない存在でしたが、戦場には欠かせない存在ではありました。  さて、戦争は集結しましたが、戦後に、この偵察機に脚光が浴びることになります。それは戦後の米ソの冷戦・・。  直接の戦争が無くなった代りに、その裏では、激しい情報戦が始まりました。情報は外交でも優位に立てる鍵となります

          戦後の偵察機について

          日本海軍の偵察機あれこれ

           前回は、偵察機の開発は、飛行機全体の性能が上がるにつれ、他の任務の機種が併用するようになってきて、偵察機という名目での開発は少なってきたことに対し、日本だけは、異常なまでの熱意で様々な偵察機を開発し続けたというお話でした。特に海軍。今回はその海軍偵察機事情の話を。 ◆まずは陸軍機を拝借する形に 日本の戦争は「大東亜戦争」と閣議決定して、アメリカとぶつかる前に中国との戦争状態に入ります。なので偵察機の開発も海軍に比べ陸軍が一歩先んじるかたちになります。  アメリカとの戦争に

          日本海軍の偵察機あれこれ

          日本が偵察機開発にこだわった理由とは?

          ◆偵察機開発にこだわった日本の事情とは?前回の記事の続きです。  偵察機開発は、他国では、戦闘機や爆撃機など、他の機種からの改修・流用でほぼ足りていたのですが、日本だけは不思議なことに、偵察機の開発にこだわり続けてました。また生産機数にも力を入れ、一〇〇式司令部偵察機に関していえば、1,742機製造という、偵察機のジャンルでも世界的にみて類を見ない驚異的な生産数を誇っています。凄いですよね。  ここで戦争前夜あたりから開発された偵察機をみてみましょう。 <日本海軍>川西九四

          日本が偵察機開発にこだわった理由とは?

          偵察機の話〜その任務と歴史

          ◆任務の統合〜専用偵察機は消えていく 前回の記事「飛行機に与えられた最初の任務とは?」の続きになります。  生まれたての飛行機たちが、二度の世界大戦という、過酷な環境下に置かれたことによって、否応なしにその性能を大きく向上させることになりました。そして、戦場の任務の多様性に応じて、実に様々な種類の軍用機がつくられるようになります。  そうなると、どんどんと機種が増えるんじゃないの?と思いますが、現実はそうはなりませんでした。一つの軍用機が複数の任務をこなせるようになって、逆に

          偵察機の話〜その任務と歴史

          飛行機に与えられた最初の任務とは?

          ◆飛行機に与えられた最初の任務とは? 今日からヒコーキたちのエッセイを連々と投稿していきたいと思います。  「空を飛ぶ」ということは長年の人類の夢でした。古来、空に憧れた挑戦者たちが、失敗を繰り返していきましたが、気球やグライダーによって空に上がることに成功し、ついに1903年、ライトフライヤーが動力飛行機での飛行に成功します(実は諸説あり)。
   最初は、空を飛ぶこと自体が目的だったのですが、その力を一度手に入れてしまうと、何かに使えないかと考えてしまうのは人類の悪いクセ

          飛行機に与えられた最初の任務とは?

          ヒコーキたちのエッセイを書いていきます。

           はじめまして、ワンモアと申します。  第二次世界大戦の軍用機たちのエピソードを中心に、ヒコーキのエッセイとして書いていきます。十数年も前ですが、航空関係の学校→航空関係の仕事をしていました。  エッセイの内容は、第二次世界大戦時の軍用機たちがメインになると思いますが、航空機業界全般な話に広がると思います。  航空機用語や軍事技術的な少し専門的なことも含まれますが、なるべく分かりやすく書いていくつもりです。戦争賛美派ではありませんが、苦手な方はご注意を。

          ヒコーキたちのエッセイを書いていきます。