17時ようございます。毎月のシンボルになる我が家のリビング花。 季節らしさを考えて母がうきうきと買い出しに行ってくれるのですが、来月に向けても更新です。 最近れっきとして「今月の花」の紹介はおサボりしていましたが、映り込みは前回こちら(https://note.com/pigiste/n/ncfdd344b4b11)。
〇〇らしさって誰かが私欲のために作ったものだと思う。 それが普及して当たり前に使われているのかも。 前時代的に言えば、男らしさとか女らしさ。 そんなものはそもそもない。 自分をそんな鋳型に無理矢理、 嵌め込んでいる人ほど生きづらいと思う。 多ければ多いほど。
私は女の立場から文章を書くが、文章に女らしさは必要ないと思ってる。男の文章に男らしさは必要ない。性別が張り付いた文章って気色悪い。その人だけでいい。でも色気のある文章は好き。私は、説明の簡潔さや描写の丁寧さ、言葉選びのユニークさや行間にそれを感じる。
「私たち会えない運命なのね笑」 「運命は変えていくもの」 「なんかカッコいいこと言ってる笑」 キュンからの笑いは 私たちらしさ