おういえあこ

心の中とここだけは自由奔放。 ありのままのびのびnote。

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最近の記事

タモリはお守り

ちょうど一年前、ブラタモリ「東京・目白〜目白ブランドの正体とは?〜」の回で、タモリはホテル椿山荘東京の最上階から景色を眺めながら、かぐや姫の『神田川』を「絶対こっち(目白)の歌じゃない」と言ったそう。  私はまさに神田川のあっち側で若い頃を過ごしたので、思わず笑ったと同時に、タモリの言葉に自分の経験した苦労の数々がメロディーとともによみがえり、ゾワゾワと寒気がした。 それは、苦労の過酷さを思い出したものではなく、「もしもタモリの言うこっち側(目白)であんな生活をしていたら

    • 楳図かずおさん幸せをありがとう

      楳図かずおさんが亡くなられてからというもの、中学生の頃の楽しかった日々が、昨日のことのように思い出される。 おろち、洗礼、恐怖、怪、その他諸々……友達と小遣いを出し合って、近所の小さな古本屋さんで苦労して集めた楳図かずお作品の数々。 ブックオフみたいなきれいな古本屋だったら、堂々とウキウキと探しに行くことができたのだけれど、そんなものは当時なかったし、何より古本屋に明るいイメージはなかった時代。もちろんネットもまだない。 私たちの行っていた古本屋さんはとても狭く、入り口

      • キティちゃん50周年おめでとう! ~私の初キティちゃんは全然可愛いものではなかった

        このキティちゃんの腕時計(ベルトはありません)、実はニ代目なんです。行方不明になった初代を忘れられず、同じものを入手し大切にしてきました。 秒針の蝶々がくるりと回って一瞬チューリップにとまるように見えます。幼い頃、その瞬間を楽しみに、長い時間ワクワクと目で追っていました。   今年はキティちゃん50周年のアニバーサリーイヤー。 あの時はありがとうの気持ちを込めて、決して可愛くないキティちゃんとの思い出を書こうと思います。 歯医者で恐怖のあまり地蔵と化した私がすがったキ

        • これからも変わらず静かに続けていきたい担当美容師さんとの心地よい関係

          私を励ましてくれた担当美容師Aさんにお礼を伝えた時の話です。 * いつも同じのAさんは、いつもの通りゆったりと流れる時間の中で、にっこりしながら待っていてくれた。 その日、私はタブレットでファッション誌を読み漁るのもほどほどに、タイミングを見計らって母の介護をしていた時に励ましていただいたお礼をAさんにすると意外な答えが…… 「私も母を亡くしたので」 お母様とLINEでやり取りしている話を聞いたのは数年前……絶句した。 「えっ……」 鏡越しに目が合ったままAさん

          チョコレートみたいな木の詰め合わせを想いとともに

          遠い国の森の中で、この小さな木片たちは、それぞれどんな景色を見ながら育ったのでしょう。 穏やかな月明かり 無数の星々 朝靄に包まれた夜明け 朝日の温もり 風が葉を撫でる音 鳥たちのさえずり 木陰で休む動物たち 優しい雨 激しい雨 夕日の優しい光 静かな夜の訪れ 豊かな自然のリズムを内包し刻まれた美しい模様や色合いは、自然が生み出した芸術作品そのもの。それぞれに物語があるんですよね。 大海を渡り、長い長い旅を経て……一本の樹木は家具や楽器、装飾品などに形を変えて

          チョコレートみたいな木の詰め合わせを想いとともに

          ぬくもりについて

          日が暮れるのが早くなり、寒さも相まって、秋はなんとなく人恋しくなる。 ここのところずっと「ぬくもり」について考えながら浸っているのは、毎年恒例の染色作業(「綺麗な黒を着るために」の記事です)を終えたばかりだからだ。 今年は母との別れがあった特別な年。思い出すのは母の温かくて優しい手。冷たい時もあったのだろうけど思い出せないのは、きっとそれ以上に心がぬくもりを感じていたからだろう。 介護は本当に大変だった。それでも、感謝の気持ちを持ち続けながら精一杯やり切った。悔いはない

          ぬくもりについて

          綺麗な黒を着るために。座右の銘「黒って300色あんねん」②

          先週末、春夏と活躍してくれた衣類を黒く染め直しました。 「黒って300色あんねん」 黒は人生そのもの。大切な時間です。 例年通りダイロンマルチを使用して、スカート2枚とカットソー3枚を染めることに。後ろに少し見えているのは色止め剤です。 最初に高温の染液を用意するのですが、温度が下がってからは手袋をして、綺麗に仕上がるように揉んだり時々混ぜたりしながら染めていきます。 今年も真っ黒に染め上がりました。  「黒はさすがに1色ですよね?」 あのちゃんの声が聞こえてき

          綺麗な黒を着るために。座右の銘「黒って300色あんねん」②

          「早い、うまい、安い」だった頃の吉野屋は私の憧れだった

          吉野家のキャッチコピーが現在の、 「うまい、安い、早い」(2001~) の前の、 「うまい、早い、安い」(1994~) より前の、 「早い、うまい、安い」(1968~) だった頃のある日、私は猛烈に吉野家の牛丼への想いを募らせていた。なぜなら、クラスの男子が牛丼を食べに行った話を偶然耳にしてしまったから。 当時の吉野屋は現在のような明るい雰囲気はまったく無く、いつ見ても大人の男性客ばかりで、なんていうか、女子供が気軽に立ち入れるような場所ではなかった(私の印象)

          「早い、うまい、安い」だった頃の吉野屋は私の憧れだった

          私たちは映画館の片隅で待ち合わせをするように反抗期を過ごした

          あの子はどこに行ってしまったのか。 心が追いつかない私の目の前にいたのは、苛々しながら口を利かない終始不機嫌な反抗期の息子。 それはまるで長く停滞する台風のように不安定で、それぞれその扱いづらさに戸惑いながら、じっと過ぎ去るのを待つしかなかった。 薄暗い中、私はその変化にだいぶ打ちのめされたけれど、息子本人も色々と大変だったことだろう。 思春期、反抗期の親子関係。決して珍しいことではない……しかし、もうあの悲しみは二度と味わいたくない。 当時、そんな私たち親子を唯一

          私たちは映画館の片隅で待ち合わせをするように反抗期を過ごした

          らしさ。

          らしさ。 この三文字には随分と縛られながら生きてきたように思う。勿体ないことに、自分で自分を“らしさ”で縛り、自由を奪ってしまうのだ。 noteさんが「ご自由にお書きください」と勧める。規律を守ること、責任が伴うこと。あとはご自由にということ。 読むことも書くことも習慣としてこなかった私は、言葉が湧き出る泉のようなものは持ち合わせてない。 それでもわくわくした。私は自由を求めてnoteを始めたんだと思う。 大量の記憶のレゴが入ったケースを傍らに、じゃらじゃらと、時に

          相変わらず無理やり感謝に結びつけながら騙し騙しチョコザップに通う私の現状

          ゆるいチョコザップ通いは相変わらず続いていて、通い続けるために設けたいくつかのおかしなルールも健在。 もちろん「チョコザップの帰り、甘いものに値引きシールが貼ってあったら買ってもいいよ」のルールに則って、値引きシールのチェックも欠かしていない。 私は冬眠をしたことはないけど、体が寒い季節を迎えようと準備しているのはわかる。毎年この季節は食欲が出てきたり、動きが鈍くなるのだ。 だけど今年はチョコザップのお陰で体重増加は抑えられているし、ストレス無くマイペースにトレーニング

          相変わらず無理やり感謝に結びつけながら騙し騙しチョコザップに通う私の現状

          「エルマーのぼうけん」を前に、思い出を育てるということ

          そろそろ「エルマーのぼうけん」を読もうと思っているのだけれど……なんだかもったいなくて読めないままでいる。 というのも、「どんなお話?」と検索をして、ちょっとだけ……ちょっとだけ……と指の隙間から薄目ですこーし見てみたら、当時の光景がブワッと蘇ってしまったのだ。 年老いた猫が登場する……なるほど、当時我が家には「おちゃめちゃん」という老猫がいて、一人っ子のトモ郎はいつも彼女と一緒にいたのだ。だから…… ……これ以上は思い出さないようにする。 なぜなら、環境を整えて最高

          「エルマーのぼうけん」を前に、思い出を育てるということ

          ウサコみたいにしてみたかった。~亡き親友(犬)に想いを馳せる

          ある晩、私たち夫婦はこんなことを真剣に話し合っていた。 「あのコ、そのうちさらわれちゃうんじゃないかと思って……」 「ホントだよな。焼き芋なんかチラつかされたらすぐだよな」 「うん、りんごとかも」 「目が合っただけで喜んでるし」 「ダメとも言えないし……」 「とにかく、どこかに繋いでおくのはダメだな」 「うん。あとさぁ、犬が苦手な人のところにも行っちゃうんだよね」 「それは気を付けなきゃな。悪いから」 「ヒール(左側について歩く)させればなんとか大丈夫なんだ

          ウサコみたいにしてみたかった。~亡き親友(犬)に想いを馳せる

          12年間まともに話したことがなかった担当美容師さんとの心地よい関係

          マルマルモリモリが流行った頃からお世話になっている担当美容師Aさん。あれから早13年、愛菜ちゃんと福くんはハタチを迎え、Aさんは……たぶん私が初めて施術をしていただいた時と同じくらいの、ギリギリ30代といったところだろう。 私が美容院へ行く目的にはカットやカラーの他に「ファッション誌を読み漁る」というのがあって、タブレットに変わる前はいつもAさんが紙の雑誌を数冊並べて待っていてくれて……これが嬉しくてね。あとは必要最低限の会話だけで放っといてくれて。 Aさん、技術もさるこ

          12年間まともに話したことがなかった担当美容師さんとの心地よい関係

          壁の向こうとこっち側。別世界でのそれぞれの戦い

          この間の三連休、お隣の家から聞こえてきたお兄ちゃんの楽しそうな声に、ふと思い出した我が家の出来事。 * ある晩、トモ郎(3才)が私を呼ぶ声で飛び起きた。 爆睡していた私は、ただ事ではない様子に驚いて、四つん這いになって慌ててトモ郎を探したけれど、布団の膨らみを手のひらで押してみても、辺りを見渡してみても、どこにも姿が見当たらなくて…… 寝ぼけて現状を把握出来ない私の耳に聞こえてきたのは、隣の部屋でめちゃくちゃオンライン対戦を楽しんでるトモ郎(大学生)の声。 「……な

          壁の向こうとこっち側。別世界でのそれぞれの戦い

          綺麗な黒を着るために。座右の銘「黒って300色あんねん」

          あるバラエティ番組で、アンミカさんはこうおっしゃっていました。 「白って200色あんねん」 リアルタイムで見ていた私は「なんて素敵な事を言うのだろう」と大変感銘を受けました。 また、後にこの発言の誕生秘話として語られた中で、このようにもおっしゃっています。 「すべての色を煮詰めると黒になるので、黒は300色あるって言われてるんです」 =「黒って300色あんねん」 黒い服ばかりを好んで着てきた私にとってこのフレーズは、濃縮された自分の人生が丁寧にラベル付けされ豊かに

          綺麗な黒を着るために。座右の銘「黒って300色あんねん」