先週末、秋田の男鹿半島を巡ってきた。震災の折、秋田と山形の友人がお見舞いに来てくれたのがきっかけとなって、その後青森の友人も加わって、持ち回りで年に1,2度それぞれの地元を案内するツアーを続けている。始めた当時は中年探検隊と称していたが、いつの間にか初老探検隊になってしまった。今回案内してくれた秋田の友人は、一度リタイアした後、今年乞われて地元施設の責任者になったのだが、旅行の間ずっとスマホで仕事の連絡を取っていたなあ。昨年入院をしているので、健康第一でお願いしたいものだ。
福田尚弘さんのnote(すみません、断りもせず文末に貼らせて頂きました)を拝見して、久しぶりに梶井基次郎の「檸檬」が読みたくなって、家の本棚にあったので再読。最初に読んだのが何十年前なのか全く覚えていないけれど、ラストシーンの印象は鮮烈なまま、丸善のイメージからか、勝手に東京だとばかり思っていた物語の舞台は京都だった。私が何となく御茶ノ水辺りを想定しているのは、ひょっとするとさだまさしの「檸檬」の影響だろうか?勿論、この曲も梶井基次郎の「檸檬」を踏まえた本歌取りなんだろうと
明け方の夢の中で(って、また夢の話かい!)、少年の私は故郷の田んぼ道を自転車で走りながらチューリップの「青春の影」を歌っていた。不思議と字幕を見ているようにスラスラと歌詞が出てくる。目が覚めてから暫く、結局あの歌は結婚する際の決意の歌なのか別れの曲だったのかをぼんやり考えていた。多分結婚しようという歌なんだろうと思いながら、実際にしたかどうかは分からない。結婚には相手という他人もいるしなあとか。尤も、決意したのに出来なかったなんていう間抜けがそういるとも思えないが、ああ、そ
スーパームーンだった月は、毎日少しずつ痩せながら明け方の空に留まっている。日の出はいつの間にかもう6時近くにまでなっているから、午前5時はまだ暗い。影が出来る程の月明かりに誘われて頭をもたげてみると、南の空にはもうオリオン座が出ていることに気付く。子供の頃、中央の3つ星の並びに惹かれてよく眺めていたが、その頃は外側の4つの星には気付かなかった。この間見たらその周りにも明るい星がいくつもあって、そう言えば冬の大三角形ってどれだっけ?と思って調べてみたら、それを一辺とした冬のダ
新聞が休みの朝はちょっとだけリズムが狂う。あ、無いんだなと思って次から始めてみるものの、一日の初めに四分休符が一拍入ったような感じ。責める気持ちは全くない。配達の方々も休むのは当然だし、そもそも雨の日も風の日も毎日暗い内に配達して頂けるだけで感謝しかない。むしろ、こうしたシステムがいつまで継続出来るのかの方が心配だ。世界や全国のニュースはどんどんネットで見るようになって、案外ニーズが残るのは子供が出場した大会の記録とか訃報記事だったりするのかも。 結局、十三夜の月は見えな
つい先日まで暑い暑いと半袖で過ごしていたのに、ふと気付くと気温は一気に晩秋レベル。このまま冬になってしまうのかと思いきや、ここ数日ようやく10月本来の晴れ間が戻った。ただ、10月本来とか言ってもこちらが10月10日は晴れの特異日とか昭和の記憶を引きずっているだけで、10月にしてみれば私だってどんどん変わっていくんだから勝手に私を決めつけないで! ってところかもしれない。バタバタと衣替えをしたら、これあったのか!という発見があり、あれが無いなあという失望もあり、コロナの間に断
10月になったというのにどうも天気がスッキリしない。夏が長引いた分、9月の秋雨が10月にずれ込んでいるのかもしれない。そう言えば毎年お彼岸に咲く曼殊沙華でさえ今年は間に合わず、お彼岸が終わってから咲くのを初めて見た。長雨で稲刈りも進まず、昨年は9月の半ばに届いた新米にも今年は未だお目にかかっていない。無理が通れば道理引っ込むではないが、いつもと違うことが起こると、必ずどこかにしわ寄せがいくものなのだなと。 天気が悪いとどうも気分も湿りがちで、どうしても気持ちがネガティブに
カレンダーが1枚めくれて10月、神様たちはもう出雲に集まったのかなと思っていたら、旧暦ではようやく長月の月が立ったところ、まだ一月先だった。今朝、薄暗いうちに外に出たらふんわりと金木犀の香り。ああ、秋になったなあと喜んでいたら、その後明るくなってから出た時にはもうそれが感じられない。不思議なものだ。夕方は夕方で、帰宅して車を降りた時に秋の匂いがする。あれは一体何なんだろう?稲刈りが済んだ田んぼの藁の匂い?長雨で遅れていた稲刈りもようやく始まって、もうすぐ新米が届く頃。 先
久しぶりに太宰のお伽草子「カチカチ山」を再読した。太宰曰く、命からがら逃げた狸には正当防衛的な面もある一方で、兎の仕返しは執拗で残酷で男らしくない。これは美しい乙女に懸想した野暮な醜男の物語なのだと。確かにそう言われて読んでみると説得力がある。物語の最後、泥舟と共に沈む狸の「惚れたが悪いか!」の一言が心に残る。ネットの青空文庫でアっという間に読めるので、よろしかったら是非。 話は変わるが、私は自分の書く文章を軽いと思っている。人から言われたこともある。自他共に認めるという
久しぶりに酷い風邪をひいた。最初喉に違和感があって、元々喉が弱く煙草の煙でも香水でも埃でも痛くなるんだけど、コロナの間はマスクをして警戒していた分事なきを得ていた。熱は無かったけど、痛みが激しかったので念のため仕事を休んだ。タイミングを見て検査をした結果は陰性。ホッとしたのも束の間、喉の次は咳、痰、鼻水の攻撃を受けて、図らずも長めの連休を取ることになった。さすが私の忌み月。 一番喉が腫れて寝苦しかった夜に、うなされて切ない夢で目覚めた。早朝の出勤途中、大きな、でもスクラン
前回のnoteの最後にラジカセを持って登場したKは、以前紹介したKともその後に紹介した別のKとも違う更に別のKだ。このKとも、最初に入った会社で出会った。細身で黙っているとちょっと強面だが、その分破顔すると印象が一変する。日本海の近くで育ったKは泳ぎが達者で、高校の頃はラグビーをやっていたらしい。友達とJAZZ屋にも入り浸っていたようだが、ちゃんと理系の名門校を卒業して、何故かどちらかというと文系っぽい仕事をずっとしている。最初の会社を辞めたのは私とどっちが先だったんだろう
そのカセットはU君から貰ったものだ。が、いつ、どういうシチュエーションで貰ったのかは全く覚えていない。シー・レヴェルの曲が90分テープにぎっしり詰まっている。シー・レヴェルはオールマン・ブラザーズ・バンドが解散したときそのリズム隊が結成したバンドだ(とU君が教えてくれた)。無茶苦茶大好きというまでではないけれど、何故か夏の終わりに聴きたくなる。単にその頃に聴き込んだ記憶がそうさせているだけかもしれないが、まだたっぷり熱が残った季節の中で、疾走するサックスのあとに流れてくるピ
先日の「豆と小鳥」で「すべてのことは運命で決まっている」というような話が出ていて…。確かにそういうことはあるかもしれないなとは思う。昔、新宿の交差点で事故ったことがあって、家に帰るのにいくつもの経路があったのに、その日その時にその道を選んで、一分一秒違わずその交差点に入らなければ出会うことのなかった車にぶつかるのを運命と言わずして何と呼べばいいだろう?でも後になって考えてみると、それが直接の原因ではなかったにせよ、その後東京を離れることになったのは自分の人生にとって結果オー
昨日観た映画「石がある」のことを考えていた。結果、この映画は考える映画ではなく感じる映画なのだと思い至った。主人公の男女2人(2人の名前は最後まで分からない!)の出会いから別れまで1日足らずの時間の中で、2人それぞれの気持ちの揺れや流れ、驚き、戸惑い、ワクワク、迷い、不安、逡巡、決断…、そういった感情を一緒に体験することで、見終わった時にいつの間にか浄化さている自分に気付くという感じ。女性と男性、どちらに感情移入して見るかによっても印象は変わるだろうけれど、男性が少年のよう
ふと気付くと9月になっていた。「仲秋の候」という挨拶は二十四節季の白露から秋分の間に使うのが正しいのかもしれないが、明日から旧暦の8月で、葉月は仲秋だからまあいいかとフライング気味に使ってみる。この一週間ほど、noteも書かずに何をしていたんだろうと考えてみたら、ずっと台風10号を気にかけていたのだった(被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます)。日々予報を覆しながら、これほど長期間、沖縄から北海道まで、離れた場所にも被害を及ぼした台風がかつてあっただろうか?還暦過ぎ
週末、帰省の折に息子たちが「チケットが当たった」と言っていた藤井風のライブが無料配信(なんと太っ腹な!)されたのを観た。コロナ禍で無観客ライブを配信した日産スタジアムからのリベンジ企画という感じ。シンプルで力強いメッセージは、きっとたくさんの人たちの心を癒したことだろう。冒頭に弾いてたチェンバロみたいなピアノがかわいくていい音だったな。ハンマーが入ってるけど弦は張られてないハイブリッドピアノというものらしい。やるじゃん、ヤマハ! ライブが終わってタブレットを閉じると、遠く