「普通の人」なんていない
婚活でよく言われることで「普通の人がいい」なんてよく言われます。
かなり前の話にはなりますが、Twitter(現:X)やTV番組で普通の顔という表現で星野源が挙がり、若干炎上気味になるというのも記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
まず、普通とは何でしょうか?
辞書的な意味を拾うと「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。」を表すようです。
この定義を通じて、私は個々人にとってありふれた、また当たり前という主観的な表現が普通と言うのではないかと感じました。
と考えると、よくネットで書かれている「大卒」で「年収500万以上の正社員」で「普通体型」で「身長165cm以上」で「清潔感」があり「顔も普通レベル」で…といった数々の条件は、普通の条件が重なったただのハイスペックな人なのかなと感じました。
逆を言えば、男性も条件づけをしている場合もあります。
そう考えた時に、決して誰もが不幸せに向かって生きているわけでは無いとは思いますが、世間で表現されている普通の人は全く普通ではないのではと感じました。
そして、条件だけで切る人は中身なんてまるで見ていないのかなと。
結局その人を定義するのは、過去の努力だけではなく、現在の生き方であり考え方であり、性格の側面が強いのではないでしょうか。
そして人格同士には、「何か居心地がいい」といった相性というものが存在し、お金の問題では無いのかなと私は考えます。
もしかすると綺麗事に思えるかも知れませんが、正直なところ私自身、今の時代なら結婚して子どもと一緒に暮らして、生活をそれなりに楽しむ程度なら、年収300万円台でも十分可能なのでは?と考えています。
ステレオタイプの「普通の人」に頭が凝り固まっていると、今この時この瞬間が一番若いかもしれないのに、婚期を逃したりする可能性もある場合もあります。これって結構勿体無いことなのではないでしょうか。その為、自分にとっての本当に最低限の条件は何なのかを自分の中で精査した上で、婚活はした方がいいのかなと考えます。
そして前段で記述した通り、私は普通とは主観的なものだと捉えています。無理に周りの価値観に合わす必要もないですし、節約の仕方によってはこの長期に続いたデフレとインターネットのコンテンツにより安価に素晴らしいサービスを受けることも容易になっているので、豊かさの定義にもよりますが十二分に楽しい生活は歩めるのかなと。
結局のところ、私は「普通の人」なんていないと思っています。
人にはそれぞれ固有の特性が存在し、各々のいいところ悪いところが総合されたデコボコがあるからこそ、その人らしさが生まれると私は考えています。
恋愛でも婚活でもその人の性格を愛して、「普通」の枠に収まらない愛情をお互い与え合えると素敵なのかなと感じちゃいました。
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