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山の愉しみ方の喩え/蟹座満月の氣づき
昨日から今朝にかけて氣もちの面で色々と解放が起きました。
noteとThreadsに投稿されている それぞれの方の記事に自分が精神的に詰まっていた部分が書かれていて そこに氣がつくと自分でも不思議なくらい『ふっと』ゆるむことが出来ました。
朝 そのことに思いを巡らせながら ご飯を作っていると 富士山も色々と愉しみ方があるよな〜と思った。
・誰よりも″早く″山を登りたい人
・日本でいちばん″高い″山だから登りたい人
・誰も登ったことのない″未知″のルートを見つけたい人。登りたい人。
・富士山を″撮影″することが情熱の人
・富士山を″絵″に描きたい人
・″山″そのものが好きな人
・誰かと″一緒″が大事で。大切な人となにか″する″ そこに″いる″ことが大事な人。
・富士山の″自然″に触れたい人
・富士山を″綺麗″にしたい人
・富士山を″文章″で表現したい人
書いてたら無限に出てきそうだけど 富士山という山ひとつとっても 色々な愉しみ方があって人それぞれの歓びがある。そう思うと楽しみ方に制限をかけているのは自分だなぁと感じました。
その制限は自分自身にもそうだけれど 他者についてもそうで あれは善いあれは善くない。と知らぬ間にジャッジしていたように思います。と言ってもジャッジすることを責めたい訳でもなくて 今の自分はジャッジしているんだなぁ……で善いのだと氣がつきました。
他者をジャッジすることが多い人は『氣がつく人』なのだと思います。それが自分や他者批判への方向性から 自分や他者を活かす方向へエネルギーの傾け方を変えていくと ポジティブ(包括的)に自分の個性を活かせるのだと思います。
僕は自分に厳しい人間で そんな自分を許せない自身を責めていました。どれだけ自分責め好きやねん笑。という話ですが 自分に厳しくてもいいか。とある投稿を見て 思えるようになり氣がラクになりました。
自分に厳しいのがダメ。
自分に優しいのがまる。
と いつの間にか
あちらが正しい。
こちらは間違い。
と ジャッジしていたようです。
それを一旦やめてみるととても心が解放されたように感じました。その方も書かれていましたが『自分に厳しい自分のまま幸せになっていいのだ』と思いました。
自分に優しくなってから
自分に優しくなったなら
幸せになれる。
そう思っていましたが
それは条件付きの愛情でした。
自分に厳しい自分のまま
勝手に幸せになっていい。
そんな道を探してみようと思っています。