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タトゥーの人は浴場NG。理由は不可解ながらマナーではある。隠すを楽しむべき。

同僚がゴルフに行った。で、「見てしまったのよ」とのこと。プレー後のお風呂で、入れ墨しているひとを。お尻から背中の途中まで。わからないけど何かの模様。ゴルフウェアもすごいミニだったの、品がなくて。

そのゴルフ場では、入れ墨のひとのお風呂はダメ、屋内ではジャケット着用、短すぎるスカートはダメ、らしい。


お風呂に入れ墨のひとがいてもボクは気にしない。なぜ問題にするのかも正直、理解できない。一般的な理由は知っていはいますが。。。でも自分ならば入れ墨を隠してお風呂に入る。堂々と見せるのではなく、巧みに隠す、誰にも気づかれないように。それを成功させることを目指す! へへへ、今日もばれなかったかな!なんて思いながら。


ルール、マナー、エチケット。
3つセットで言われがち。モラルが追加されることも。

ルールが一番重い。法的な罰が伴う守るべきこと。
マナーは罰則などはないけれど、集団行動のあるべき状態として暗黙の共通認識になっている”はず”のこと。
エチケットはマナーと類似だけど、今、目の前にいるひととの関係での個人的な気遣い。普通は皆そうするよね、みたいな。

例えば、
飛行機で禁煙はルール
飛行機で咳をゲホゲホ繰り返すならマスクをすべきはマナー
飛行機で窓側の席のひとがトイレに行くなら、通路側が足をちょいっとひっこめるのはエチケット


ところで、現代は個性の時代。個人・らしさを大切にする時代。歴史上最も、集団VS個性で、個性が勝る時代。

今後ますます集団主義は弱まっていく、と思う、が、良いことかなと思う。より自由を感じられるし、よりラクも感じられる。が、行き過ぎは問題。ルール(法律)は罰せられるから一定の抑止になり守られるけれど、マナーとエチケットは失われがち。


さて、ボクはルールは大嫌い(多くは守るが)。一方、マナーやエチケットは”自発的”と捉えていて、気にならない。全体主義・主従関係ではなく、あくまで自律・自発で、従っている感がなく、嫌悪しない。


コロナ渦に話題となった電車でマスクをする/しない問題。法律やルールにするのは反対だが、満員ならマスクぐらいしたらいいじゃないと思う。でも、しないひとがいても理由があるのかな、と思う。マスクをして体調不調も起きえる。ただ、自分はする。自分でそう決めて。

お葬式で、カラフルな服装の参列者がいた。何か理由があるのかなと思い、気にはならない。が、自分はしない。喪服を着る。自分でそう決めて。

電車でお年寄りに席を譲る/譲らない。譲らない面々は過去に譲って痛い目に遭ったかもしれないし、気分が悪いのかもしれない。が、自分は譲る。自分でそう決めて。


マナーやエチケットは、従っている訳ではない、と思っている。言葉遊び?かもしれないけど、自分で決めている。あくまで自由意志であり、不特定多数の相手にも、目の前の個人相手でも、心地良く・不快ではなく・利他的と自分が思う方法を選ぶ。

間違えることもある。指摘されたら受け止める。次の機会でどうするかは、再び考え、自分で決める。

とにかく自分で考え、決めている。安易に世間体・多数に流されている訳ではないし、個性・自分らしさを諦めている訳でもない。マナー・エチケットという名のもとでも、相手に不快を感じさせず、且つ、自分らしさ・個性を表現することは、”おおいに可能”なのだから。


マナーやエチケットは、従うことではない。自分で考え、選択し、行動すること、だから。だから、自分らしさを活かしながら、利他も実現する。自己と利他のバランスを巧みに取ることに喜びを求めたらいいのかな。

なんて思ったのでした。



お読み頂きありがとうございます。
(v10_75)


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