三宅コータ

暮らしのエッセイスト。豊かさってなんだろうと、人口150人ほどの集落に23歳から移住。…

三宅コータ

暮らしのエッセイスト。豊かさってなんだろうと、人口150人ほどの集落に23歳から移住。棚田や古民家、キャンプ場を再生したり、教育や防災に携わったりしながら地方の暮らしをつくっています。 93年生まれ / 株式会社にまつわるエトセトラ 代表取締役

マガジン

  • 自問とダイアリ

    日々の暮らしの日記。ときどき自問。 それらから気づいたことを書いています。

  • たぶん、駄文

    日々noteを書くことを自分に課した結果生まれてしまった文章たち。 当時は悩みながらも書いたつもりでも、後から読めばおもしろくなかったり伝わらなかったり。 でも価値観は人それぞれなので、もしかしたら掘り出し物があるかも。 なんちゃって。

  • 自己分析編

    公開自己分析。 「こんな掘り方もあるんだ」と、少しでも参考になれば幸いです。

  • 防災にまつわる。

    アウトドアマンとして、農民として、防災士として いろんな視点から「防災」についてまとめた記事です。

最近の記事

  • 固定された記事

なぜ生きるのかを考え、23歳で限界集落に移住した。そして8年が経った。

「あなたはなぜ生きるのですか?」 大学3年生のとき。 初めてのゼミの授業での、僕たち生徒に向けた教授の言葉。 商学部で保険論を研究していた教授のゼミで、まさかそんな質問が飛んでくるとは予想もしていなかった。けれど思い返せば、その瞬間、僕はそんな先生に惹かれていたのだ。 ゼミ生がそれぞれに、戸惑いながら自分の考えを述べていた。 結局、先生の伝えたかったこととしては「人はみな、幸せになるために生きている」ということだった。そして幸せになるためには、考えないといけない。考えるだ

    • noteを書き始めたら、暮らしを豊かに感じられるようになった。

      伝える技術を伸ばしたい。そう思って始めたnote更新の継続。 8月末からだったので、3ヶ月ほどとなる。 そう思い立った経緯についてはこちらをどうぞ。 可能な限り毎日、更新する努力はしているけれど、仕事や育児、我が家に訪れてくれる友人、家族との時間を優先すると最初に決めていたので、実質、平日の毎日更新のような形になっている。けれど、自分ではこれを継続と呼んでいる。 どこかで見た何かの受け売りなんだけれど、途中でどれだけ期間が開こうとも、自分で継続していると納得できれば、継続

      • ときどき、ゆるむ。ゆるませる。

        ことあるごとに頭の中で呪文のように唱えている言葉がある。 「ゆるめ。」 形容詞的な意味ではなく、自分自身に向かっての命令として。 もっとリラックスして、体を緩めろよ、と。 この習慣は、歯医者さんに検診に行ったことから始まる。虫歯があったわけではないけど、こどもが生まれる準備の一つとして、体のメンテナンスのため。そこで「何か気になっていることがありますか?」と聞かれた。 自分ではあまり分からないのだけれど、夜寝ている時に、歯軋りをすることがあるらしい。そのせいか、知らぬまに少

        • いま思うこと。 -「文化にする」を考える -

          書き出すしかない。一旦、別のことを書こうかと思ったけど、無理だった。 どうやらそこまで、器用ではなかったらしい。薄々感じてはいたけれど。 昨日も一度時間を置くつもりで書き終えたはずだった。けれど、心は正直なのだ。 だから今夜も、「文化にする」を考える。 ※前回記事はこちらです。 考えたかった文化 文化といっても様々だ。何千年も伝わるようなものもあれば(あるんだろうか)、とある地域限定のものもある。そして何より、わたしは文化の専門家ではない。授業で詳しく習った覚えもない。

        • 固定された記事

        なぜ生きるのかを考え、23歳で限界集落に移住した。そして8年が経った。

        マガジン

        • 自問とダイアリ
          21本
        • たぶん、駄文
          2本
        • 自己分析編
          6本
        • 防災にまつわる。
          1本

        記事

          まつりのあとに -「文化にする」を考える② -

          大雨にも見舞われたけれど、無事、イベントが終了した。 片付けもひと段落し、日常へ。天気の回復を待っていた収穫がまた始まった。 息つく暇もないけれど、前回の続き。「文化にする」を考える。 結果から言うと、イベントとしては多くの出展者、出演者、お客様に楽しんでいただけた、良い時間と場所になったのだと思う。SNS上でも多くの反響があり、終わることに関して名残惜しさを感じる声もある。わたしも、15年間このイベントを支え続けた全ての人に感謝を伝えたい。おかげさまで、多くの学びと出会い

          まつりのあとに -「文化にする」を考える② -

          「文化にする」を考える①

          この週末、15年続いたひとつのイベントが終わる。 開催場所として関わり始めて7年目となるので、約半分。 関わった人それぞれにみな、きっといろんな想いがある。 明日からがイベント本番なのだけれど、終わることと、文化についてを考えてみたい。 なぜ文化について考えるのか 15年、イベントを続けるというのはなかなかに大変なことだと思う。実際に開催側となってみると、参加者でいるだけではわからない苦労がたくさんある。 理由はどうあれ、10年以上続いたイベントが終わる。その後に残るもの

          「文化にする」を考える①

          本当は比べられないものを比べて、優劣つけてしまっていなかったっけか。

          人生で出会すものごとは、自分主観ではひとつの時間の流れで繋がっているので、どうしても比べてしまうもので。今朝のご飯は、昨日のご飯よりも美味しく炊けたとか、今晩は少し肌寒いなとか。 なぜ急に“比べる“ことの話になったかというと、わたしはよく「どっちが優れているとかではなくって」といった前置きをしていることに最近気がつき、それが妙に気になったから。ここを少し深堀りしてみたい。 比べること自体は、悪いことではないと思っている まず前提として、比べることを否定したいわけではないの

          本当は比べられないものを比べて、優劣つけてしまっていなかったっけか。

          毎日更新から2ヶ月。書くことは、難しいことじゃない。

          毎日noteを投稿をするという記事から、2ヶ月とちょっとが経っていた。 仕事や子育て、来客の予定で書けなかった日もあったけれど、基本的には毎日書いている。そして2ヶ月続けてみて、気づきや変化がいくつかありました。今回はそんな、書くことと、書き続けることについて。 ①文章を書く習慣が身につき、ハードルが下がっていった 書き続けて10日ほど経ったころ。毎日書くことが当たり前になっていく感覚があった。行動科学の3の法則というものでは、3日続けば継続力が身につき、3週間で習慣化

          毎日更新から2ヶ月。書くことは、難しいことじゃない。

          「ていねいに生きる」ができない時に。

          可能な限り、ていねいに生きたいと思っている。 いつから思っているのか忘れたけれど、たぶん、10代前半の頃から。 自分の暮らしに関わる生命や物に対して、誠実でありたいと思っている。 けれどそれができない時も、やはりあって。 にんげんだもの。当たり前だ。 と、知っているのだけど。できない時、どうしても自分を責めてしまう自分がいる。なんでだろう、どうしたら自分を心から認められるのだろうと、何度も思うことがあるけれど、なかなか変えられそうにもない。 ほんと、なんでなんだろう。

          「ていねいに生きる」ができない時に。

          心の豊かさと物の豊かさを比べる罠

          「豊か」という言葉に魅力を感じるのは、わたしだけではないはずで。 経済的にも、精神的にも、豊かになれるものならなりたいものだ。 という前提で、今日(昨日になってしまっていた)目に入った記事が気になった。 要は、2007年と2023年の世論調査結果を比較した場合、昔はどの年代でも心の豊かさを優先していたが、2023年では30代〜50代は物の豊かさを優先する傾向にある、ということ。そしてそこから、お金の欠乏感に関する考察へと。 まず最初に、この記事のこと、筆者のことを否定し

          心の豊かさと物の豊かさを比べる罠

          田舎な一日

          時々、客観的に見てもものすごく田舎暮らしをしているなと感じることがある。いや、感じるというか、絶対にそうなのだ。 棚田のこと、神社のこと、キャンプ場のこと、地域の仕事、消防団のこと、などなどなど。移住して8年が経ち、地域から信頼してもらえているからこそ増えた仕事もある。そしてそれは、地元の人でもなかなかこなしていないことが多い。 (移住の経緯などはこちらにまとめたので、よければまたどうぞ!) なんといっても今日は、獅子舞を市内の小学生向けに披露するという自治体案件もあった

          草刈り中に頭の中に浮かんでくることは、最近の自分の考え事だったりする。

          仕事柄、一年を通してめちゃくちゃ草を刈ります。 何事も1万時間続ければプロの領域というアレに則ればもう、プロ並みに。 とはいえ、草刈りといってもピンとこない方も多いと思うので少し補足。 土のある場所ではどこでも、基本的には放っておけば草が伸びます。それが農地だとやがて作物が育てられなくなったり、道沿いだと道が通れなくなったりするので、その管理として草刈りが必要になるのです。 そしてわたしは仕事として棚田やキャンプ場を再生、管理しているので、必然的に草刈りをすべき面積も多く

          草刈り中に頭の中に浮かんでくることは、最近の自分の考え事だったりする。

          愛することを忘れずにいたいと、何度も思い直している。

          いつの頃からか、気がついたら意識するようにと、心の中に構えていた。 けれど、日々の中でいつの間にか疎かになってしまうこともある。 そしてあるきっかけとともに、また忘れないようにと心に誓う。 そんな“愛“について。 かしこまって言葉にすると照れてしまうような性格ではあるのだけれど、やっぱり大事だなと思うここ最近。この週末はいろいろあった。 いろいろあったけど、中でも特に友人の結婚式。愛を語るにはベタだけど、あの空間は他には変えられない幸せと喜びと切なさのようなものが溢れている

          愛することを忘れずにいたいと、何度も思い直している。

          心の中で何度も繰り返される、漫画の中の名言たち

          こう見えて、結構漫画を読む方で。リアルであったことのある人からは、意外がられたりします。時間が許すならば、繰り返し読みたい漫画もあり。漫画を読むだけの分身でもいたらいいのになぁと思ったりするくらいです。 そんなわたしにとって、漫画の中のセリフで心にずっと残っているものがいくつかあり。日常の中で近い心境になった時は、ひとり納得したり、解釈が深まり感動したりするのです。 今回は自分の中での振り返りの意味も含め、いくつか紹介できればなと。 結局、6つとなりました。 目次を見て、

          心の中で何度も繰り返される、漫画の中の名言たち

          他己評価は誤解か、真実か。

          “正確な他己評価”なんてものはあるんだろうか。 先日、新しいプロジェクトを考えている時にふと思った。 そのプロジェクトでは活動の評価と蓄積(=信頼)をキーワードとするもので、その評価の際に自己申告と他者の評価(できれば誰も見ていないときの活動への第三者的な視点、神の視点のようなものも加えられないかと考えているのだけれど)をどう判断すべきか、と考えていた。 …なんだかちょっと、普段からすると堅苦しい滑り出しになってしまった。 けれど、この“他己評価”は、生きていれば避けては通

          他己評価は誤解か、真実か。

          ”いつの間にか”の毒気

          いつの間にか、煮え切らない心になっていた。 守るべきものが増えていって、日々のあれこれに忙殺されて。などなど、理由はいろいろあるけれど。気づけば心がすっかり燻ってしまっていた。 自分の心を燃やし続けるにはやはり、なにかしらのエネルギーを焚べ続ける必要があるのに、それを怠ってしまっていたのだ。 そうならないために、自分にとってのすべきことは、シンプルなはずで。 考えを書き出し、相手と対話し、行動する。基本はこれでいい。けれど、意識と行動のベクトルがあっちこっちに向いてしまって

          ”いつの間にか”の毒気