三宅コータ

豊かさってなんだろうと、人口150人ほどの集落に23歳から移住。棚田や古民家、キャンプ場を再生したり、教育や防災に携わったりしながら地方の暮らしをつくっています。 93年生まれ / 株式会社にまつわるエトセトラ 代表取締役 / 上山神社総代長

三宅コータ

豊かさってなんだろうと、人口150人ほどの集落に23歳から移住。棚田や古民家、キャンプ場を再生したり、教育や防災に携わったりしながら地方の暮らしをつくっています。 93年生まれ / 株式会社にまつわるエトセトラ 代表取締役 / 上山神社総代長

マガジン

  • 自問とダイアリ

    日々の暮らしの日記。ときどき自問。 それらから気づいたことを書いています。

  • たぶん、駄文

    日々noteを書くことを自分に課した結果生まれてしまった文章たち。 当時は悩みながらも書いたつもりでも、後から読めばおもしろくなかったり伝わらなかったり。 でも価値観は人それぞれなので、もしかしたら掘り出し物があるかも。 なんちゃって。

  • 自己分析編

    公開自己分析。 「こんな掘り方もあるんだ」と、少しでも参考になれば幸いです。

  • 防災にまつわる。

    アウトドアマンとして、農民として、防災士として いろんな視点から「防災」についてまとめた記事です。

最近の記事

  • 固定された記事

なぜ生きるのかを考え、23歳で限界集落に移住した。そして8年が経った。

「あなたはなぜ生きるのですか?」 大学3年生のとき。 初めてのゼミの授業での、僕たち生徒に向けた教授の言葉。 商学部で保険論を研究していた教授のゼミで、まさかそんな質問が飛んでくるとは予想もしていなかった。けれど思い返せば、その瞬間、僕はそんな先生に惹かれていたのだ。 ゼミ生がそれぞれに、戸惑いながら自分の考えを述べていた。 結局、先生の伝えたかったこととしては「人はみな、幸せになるために生きている」ということだった。そして幸せになるためには、考えないといけない。考えるだ

    • こどもとキャンプ。思い描いてた理想と違う結果になった時、どうする?

      暮らしていれば大なり小なり「思ってたんと違う!」という場に出くわすことがあると思います。特にこどもやペットのような、予測の上をいく行動をするような生き物と暮らしていれば。 そんなとき、どうすれば楽しく生きていけるんだろうと思った、そんな話。 というのもこの3日ほど、久々の家族旅行に出掛けていまして。 コテージ泊とキャンプ泊の2泊3日。結論、楽しい旅となりました。 現在の我が家は妻、子、犬、犬、猫猫猫で構成されており、今回は妻と子、犬とわたしの4人(匹)旅。残った犬、猫猫猫

      • 私も私を頑張ろう。

        これまた、わたしの師の言葉。 アウトドアの師、寒川一さんのSNSを見ていたら、最後に一言書いてあった。 「私も私を頑張ろう」 なんだか読んでいて、気持ちが軽くなった気がした。 ざっくりとした文脈としては、久々に会った友人の暮らしに感銘を受け、自分も頑張ろうと思った、という話。なんてことはないと言えば、なんてことはない投稿かもしれない。けれど、いいなぁと思った。 似たようなことって、日常には何度かあることだと思うんです。アイツも頑張ってる。だから自分も、頑張ろう。と思うよう

        • 限界集落に暮らすからこそ、たまに街へと出ないといけない。(ってこともないんだけど)

          今日はビジネスプランコンテストSPOTLIGHTにお邪魔してきました。 と言っても発表者ではなく、参加者として。2年前から構想、ミーティングを重ねているプロジェクトが最終選考まで残ったので、その応援に。 コンテストなので、結果は大事。今回は残念ながら入賞ならずでしたが、課題もあらためて見えた良い機会となりました。 結果は結果として受け止めつつ、イベントとしても参加して良かったなと思える素敵な会でした。今回が第一回となるコンテストだったのですが、素敵な思いとプランを持った発

        • 固定された記事

        なぜ生きるのかを考え、23歳で限界集落に移住した。そして8年が経った。

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        • 自問とダイアリ
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        記事

          小さな絶望の積み重ね

          最近、体調を崩しやすくなった。 というより、回復が追いついていない感じか。 あるいは、思っているほど体力がなくなっているのか。 ラーメンを食べたら、お腹が痛くなることが増えた。 特に豚骨系。味は嫌いじゃないのに。 肌荒れが治りにくくなった。 思春期はニキビで悩むこともなかったのに。 抜け毛は…まだそんなにないか。 けれど決まった場所に白髪が生える。 これが小さな絶望の積み重ねか。 これが、人を大人にするのか。 そう納得するくらいには、年を重ねた。気がする。 でも、

          小さな絶望の積み重ね

          図鑑を片手に歩きたい。

          最近、鳥が賑やかだ。 鳥たちにとっても心地よい気候になったから、元気に飛び回っているんだろうかと想像してみる。 とここで、想像しか出来ないことに気づく。全然、鳥について詳しくないのだ。 目の前を飛ぶ山鳥が、なんという名前の鳥なのか。 どんな習性で、なにをしにやってきているのか。 冬が来たら、どこかへ行ってしまうのか。 そんなことを、なにも知らない。 鳥だけではない。 植物のことだってそうだ。食べたことのある草は判別がつくが、名前を知らない草の方が多い。どんな土壌を好み、ど

          図鑑を片手に歩きたい。

          暮らしという秩序を取り戻す。その意識だけでも心は軽くなる。

          「暮らしという秩序を取り戻す」 わたしの暮らしの師、四井真治さんの言葉。 今現在の人類の暮らしは、地球の始まりの延長線上にあるものであり、その原理原則は40億年変わらない。だから、現代の暮らしにも、その変わらない仕組みを取り入れたなら、自ずと全てはつながり、持続可能な暮らし(=秩序)がそこにある。という意味の言葉だ。 この言葉に、心が救われた。自然で遊ぶことが好きで、それを仕事にもしている。暮らしも自然との距離が近い。だからこそ、気候変動に危機感を覚えるし、より良い地球環境

          暮らしという秩序を取り戻す。その意識だけでも心は軽くなる。

          noteを書き始めたら、暮らしを豊かに感じられるようになった。

          伝える技術を伸ばしたい。そう思って始めたnote更新の継続。 8月末からだったので、3ヶ月ほどとなる。 そう思い立った経緯についてはこちらをどうぞ。 可能な限り毎日、更新する努力はしているけれど、仕事や育児、我が家に訪れてくれる友人、家族との時間を優先すると最初に決めていたので、実質、平日の毎日更新のような形になっている。けれど、自分ではこれを継続と呼んでいる。 どこかで見た何かの受け売りなんだけれど、途中でどれだけ期間が開こうとも、自分で継続していると納得できれば、継続

          noteを書き始めたら、暮らしを豊かに感じられるようになった。

          ときどき、ゆるむ。ゆるませる。

          ことあるごとに頭の中で呪文のように唱えている言葉がある。 「ゆるめ。」 形容詞的な意味ではなく、自分自身に向かっての命令として。 もっとリラックスして、体を緩めろよ、と。 この習慣は、歯医者さんに検診に行ったことから始まる。虫歯があったわけではないけど、こどもが生まれる準備の一つとして、体のメンテナンスのため。そこで「何か気になっていることがありますか?」と聞かれた。 自分ではあまり分からないのだけれど、夜寝ている時に、歯軋りをすることがあるらしい。そのせいか、知らぬまに少

          ときどき、ゆるむ。ゆるませる。

          いま思うこと。 -「文化にする」を考える -

          書き出すしかない。一旦、別のことを書こうかと思ったけど、無理だった。 どうやらそこまで、器用ではなかったらしい。薄々感じてはいたけれど。 昨日も一度時間を置くつもりで書き終えたはずだった。けれど、心は正直なのだ。 だから今夜も、「文化にする」を考える。 ※前回記事はこちらです。 考えたかった文化 文化といっても様々だ。何千年も伝わるようなものもあれば(あるんだろうか)、とある地域限定のものもある。そして何より、わたしは文化の専門家ではない。授業で詳しく習った覚えもない。

          いま思うこと。 -「文化にする」を考える -

          まつりのあとに -「文化にする」を考える② -

          大雨にも見舞われたけれど、無事、イベントが終了した。 片付けもひと段落し、日常へ。天気の回復を待っていた収穫がまた始まった。 息つく暇もないけれど、前回の続き。「文化にする」を考える。 結果から言うと、イベントとしては多くの出展者、出演者、お客様に楽しんでいただけた、良い時間と場所になったのだと思う。SNS上でも多くの反響があり、終わることに関して名残惜しさを感じる声もある。わたしも、15年間このイベントを支え続けた全ての人に感謝を伝えたい。おかげさまで、多くの学びと出会い

          まつりのあとに -「文化にする」を考える② -

          「文化にする」を考える①

          この週末、15年続いたひとつのイベントが終わる。 開催場所として関わり始めて7年目となるので、約半分。 関わった人それぞれにみな、きっといろんな想いがある。 明日からがイベント本番なのだけれど、終わることと、文化についてを考えてみたい。 なぜ文化について考えるのか 15年、イベントを続けるというのはなかなかに大変なことだと思う。実際に開催側となってみると、参加者でいるだけではわからない苦労がたくさんある。 理由はどうあれ、10年以上続いたイベントが終わる。その後に残るもの

          「文化にする」を考える①

          本当は比べられないものを比べて、優劣つけてしまっていなかったっけか。

          人生で出会すものごとは、自分主観ではひとつの時間の流れで繋がっているので、どうしても比べてしまうもので。今朝のご飯は、昨日のご飯よりも美味しく炊けたとか、今晩は少し肌寒いなとか。 なぜ急に“比べる“ことの話になったかというと、わたしはよく「どっちが優れているとかではなくって」といった前置きをしていることに最近気がつき、それが妙に気になったから。ここを少し深堀りしてみたい。 比べること自体は、悪いことではないと思っている まず前提として、比べることを否定したいわけではないの

          本当は比べられないものを比べて、優劣つけてしまっていなかったっけか。

          毎日更新から2ヶ月。書くことは、難しいことじゃない。

          毎日noteを投稿をするという記事から、2ヶ月とちょっとが経っていた。 仕事や子育て、来客の予定で書けなかった日もあったけれど、基本的には毎日書いている。そして2ヶ月続けてみて、気づきや変化がいくつかありました。今回はそんな、書くことと、書き続けることについて。 ①文章を書く習慣が身につき、ハードルが下がっていった 書き続けて10日ほど経ったころ。毎日書くことが当たり前になっていく感覚があった。行動科学の3の法則というものでは、3日続けば継続力が身につき、3週間で習慣化

          毎日更新から2ヶ月。書くことは、難しいことじゃない。

          「ていねいに生きる」ができない時に。

          可能な限り、ていねいに生きたいと思っている。 いつから思っているのか忘れたけれど、たぶん、10代前半の頃から。 自分の暮らしに関わる生命や物に対して、誠実でありたいと思っている。 けれどそれができない時も、やはりあって。 にんげんだもの。当たり前だ。 と、知っているのだけど。できない時、どうしても自分を責めてしまう自分がいる。なんでだろう、どうしたら自分を心から認められるのだろうと、何度も思うことがあるけれど、なかなか変えられそうにもない。 ほんと、なんでなんだろう。

          「ていねいに生きる」ができない時に。

          心の豊かさと物の豊かさを比べる罠

          「豊か」という言葉に魅力を感じるのは、わたしだけではないはずで。 経済的にも、精神的にも、豊かになれるものならなりたいものだ。 という前提で、今日(昨日になってしまっていた)目に入った記事が気になった。 要は、2007年と2023年の世論調査結果を比較した場合、昔はどの年代でも心の豊かさを優先していたが、2023年では30代〜50代は物の豊かさを優先する傾向にある、ということ。そしてそこから、お金の欠乏感に関する考察へと。 まず最初に、この記事のこと、筆者のことを否定し

          心の豊かさと物の豊かさを比べる罠