千葉雅也 『現代思想入門』 : 〈自慢〉できるようになる 入門書の決定版!
書評:千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書)
本年(2022年)3月に発売されて以来半年、とてもよく売れている本である。
あんまり売れているので、講談社現代新書は、若手の哲学研究者に書かせた「薄くて、わかりやすくて、役に立つ思想家入門書」のシリーズ化を進めているそうだ。
・新書は絶滅危惧種? リスク覚悟で誕生する「100ページ新書」講談社編集長が“若い人へ間口を広げたい”理由(「Yahoo!ニュース」)
問題は『100ページ新書は、そういったファスト教養、今北産業的なものと“本当の教養”の間をブリッジする』ためのものとなりうるのか、ということだろう。
例えて言うならば「ラノベが、本格的な文学作品へのブリッジ」にできるのか、ということと似ていると思う。
これは、読者の方に「難しいものに挑戦する意欲がないのなら、こちらから読者の水準に合わせて、取っつきやすいものを提供し、それを本格的なものへのブリッジにしよう」という「けんご@小説紹介」的なイマドキの考え方なのだが、一一そううまくいくのだろうか?
そもそも、作家なり編集者(出版社)なりが「読者の水準に合わせて、取っつきやすいものを提供」しようとするのは、本当に「本格的なものが読んで惜しいから、その方便として、わかりやすいものを提供しよう」という意図からなのか、それとも「本格的なものは売れないから、売れるものを提供しよう」ということなのか、どっちが、より「本音」に近いのだろうか?
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ともあれ、そんな「わかりやすい哲学入門書」シリーズの発刊を促すことになった、千葉雅也のベストセラー書『現代思想入門』だが、世間の評判はどうかを、「Amazonのカスタマーレビュー」で見てみると、刊行後半年ほどで、500ほど(現時点で、496)もの評価が寄せられており、その69パーセントが「星五つ(満点)」、18パーセントが「星四つ」で、おおむね9割がたが人が、本書に満足しているようだ。
では、どういうところに満足したのかを、同ページの現時点での1ページ目に表示されているカスタマレビューを、そのままの順で紹介すると、こうなる(丸括弧内は、ハンドルネーム)。
見てのとおり、まずは「読みやすく、わかりやすい」ということである。
「読みやすく、わかりやすい」から「良い(好ましい)」という評価なのだが、なんともナイーブである。
このナイーブさが、本書のような「読みやすく、わかりやすい」入門書によって、本格的な「読みにくく、わかりにくい」哲学書への挑戦意欲にブリッジされるのかどうか、そのあたりが気になるのであろう、『教育の世界から。教育心理学ならば、』と前置きしてコメントしている「caritas77」氏は、見てのとおり『これが「入門」ならば、読後の若いひとびとの行方が知りたい』と、書いたのではないか。
その心は「これが、本当に入門となるのであれば、いずれ、この本の読者である若者たちは、本格的な〝読みにくく、わかりにくい哲学書〟に挑むようになるはずなのだが、本当にそうなるのだろうか? その行く末を注視したい」ということであろう。
つまり、本書の問題は、「読みやすく、わかりやすい現代思想の解説書」ではあるけれど、はたしてこれが「現代思想の入門書」になるかどうかである。
「入門書」というのは、単に「わかりやすい説明書」のことではなく、それを「入口」として、次に進んでもらえるような書物のことだからだ。
言い換えれば、「読者の水準に合わせて、取っつきやすいものを提供」しようという態度は、基本的には「難しいに決まっている思想哲学」の「入門」に、本当に資することができるのか、という疑問である。
前の喩えでいう「ラノベが、本格的な文学作品へのブリッジ」になるのか、というのと同様、「ライト現代思想が、本格的な現代思想へのブリッジ」になるのか?
現代思想家を、『文豪ストレイドックス』ならぬ『思想家ストレイドックス』といった感じで、「必殺技」を持った、わかりやすくキャラの立った「キャラクター」に還元して、それが「読みやすく、わかりやすい」と人気を博し、よく売れたところで、では、そこから「本格的な現代思想」に進む人が、どれほどいるのか?
もちろん、全然いないということはないだろうけれども、それはこうした「キャラ本」で客引きをした方が、多少なりともそういう奇特な人が増えると見込んでのことなのだろうか?
まあ、それはそうなのだろうが、本音のところでは、「これで、本格的な現代思想に進む人が増える」ということよりも、前掲の記事が冒頭で問題としていたように「本が売れる」ということこそが、本来の狙いなのではないだろうか?
著者の千葉雅也が、本書のマルクスを紹介した箇所で「マルクスは、この世のあらゆる動向の下部構造をなしているのは、金目の問題だと喝破した」と、マルクスが麻生太郎と似たようなことを言ったと書いているが(ちょっと違うか?)、そうだとすれば、千葉雅也が『現代思想入門』を書いたのも、講談社現代新書が「薄くて、わかりやすくて、役に立つ思想家入門書」のシリーズを刊行するのも、「上部構造」属する「タテマエ」とは違って、その下部構造をなしているのは「金目の問題」からなのではないだろうか?
(※ 「最後は金目(かねめ)でしょ」と発言したのは、麻生太郎ではなく、石原伸晃であった。麻生氏に、記してお詫びする。イメージだけで書いてしまいました。申し訳ない。2002.09.10記)
こんな具合に、私は本書に関して、嫌味なことを書いているが、これは高度にデリダ的な態度だと、千葉は解説している。
まったく同感である。
本書を読んで『悪文解読法あり』(ishada_ishada)なんて書いている人は、こんな「読みやすく、わかりやすい」と思っている本を、本当は、わかっていないのである。
つまり、本書は、本当は「読みやすく、わかりやすい」本ではないのだが、「読みやすく、わかりやすい」と思わされているところで、多くの読者には本書が読めておらず、著者の本音としての「絶望感」は、伝わっていない。
著者が、こんな本を書きたくなる気持ちは、私としてもわからないではないのである。
(2022年9月9日)
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