noteには別に何をどう書いても構わないが、少なくとも「Togetter(まとめサイト)の代用品」ではない。TwitterもといXの連投をコピペしただけで「書いた」つもりになってもらっては困る。まして「無改行無段落ベタ打ち」など最悪だ。 同じ文章も、媒体が違えば見せ方も変わる。
私も含め、世の中には「長文を書くこと」が苦にならない人がいる。 だが本当に重要なのは「いかに疲弊させずに読ませるか」だ。そのために章立てや段落・改行、推敲という工程がある。 己の文才に酔って「文章のデザイン」を疎かにしてはならぬ。 https://note.com/shinshinohara/n/n715f42e01c11
そういや先日、自称評論家のnoteを見っけたんだが、読者に対する思慮が足りないのか、「紙の縦書き」と同じ感覚でベタ打ちしているものだからとにかく目が疲れた。 てめーがどんだけ頭いいと思っているか知らないが、推敲や校正とかどうしてんのさ。独りよがりな文章では誰にも読まれないぜ。😠
本日5月18日は「言葉の日」。君も言葉の力を信じよう。😉 ところでnoteのデザイン界隈や絵師界隈のごく一部で、たまに誤記や雑文が目につくのだが、物書きも絵描きも両方やる私に言わせれば「言葉や文章もアートやデザインの一部」だと思っている。書くんならきちんと推敲までやれよ。
筆者が退屈だと、その感情は筆に出る。だから読者を飽きさせないために「感情を籠める」。 それはわかるが、私の場合は客観的事実や正しい文章を淡々と書くためにあえて「感情を抑制する」スタンスだ。 https://note.com/postrogics/n/n0d94a02580a2
書き物の内容を「真面目」か「不真面目」か、または「役に立つ」か否かで分けるなんてナンセンス。単に切り口(視点・視野・視座)が違うだけで、どれも書き手の個性の一側面にすぎない。 「あれもこれも書きたい」と悩む人は多いが、外野が作家の個性を勝手に決めつけ、題材を押しつけるのは危険だ。