誰が書くか、何を書くか
ネット上で「何を発信するか」決めることは大切なことだ。
ひとつのテーマで発信し続けて、積み重ねていくうちに「その道の専門家」的な立ち位置に、周りから認められていくからだ。興味のある人からも支持されやすい。
テーマを何に決めるかというのはすごく大事だけど、そんなに簡単なことではない。
おまえがそれを書く意味は?という問題
この「誰が書くか」というのはすごく大事なこと。たとえば医者でもなく医学を学んだこともない人が医療について書き続けたところで、何年経っても「専門家」だとは見てもらえない。
こう書くと「当たり前じゃん」って思われそうだけど、こんなに極端な例じゃないケースで、陥りがちなパターンというのはある。
例えば「結婚」というテーマ。結婚は多くの人がしている。けれどその多くの人が皆、結婚について書けるかと言えば、そういうわけではない。
結婚生活や婚活がネタとして成立するのは、以下の5つくらいだと思う。
①自分や相手が富豪、芸能人、アスリートなど「人も羨む結婚」
②年の差婚や格差婚、大家族、伝統芸能の家など結婚にドラマがある
③離婚と結婚を繰り返して幸せになったケース
④リサーチ力があり、たくさんのケースから考察している
⑤大した話でなくてもすごくおもしろく書ける筆力・考察力がある
大きく分けると「特殊な結婚」をしているか、あるいは「大量のデータ」や「筆力」があるかどうかにかかっている。
厳しい言い方をすれば、普通の人が普通の相手と一度だけ結婚して、普通に自分のことを「幸せです」と綴ったところで、「普遍的な」結婚論にはなりえないし、誰も興味を持たない。
逆に自分が独身者だったら、独自の考察も方法論もない、一人の個人的な感想に過ぎないものを、わざわざ読みたいと思うだろうか。
もし、①~③に当てはまらなくても、自分には「幸せになるための独自メソッドがある」と思うなら、④を目指すしかない。多くの人の話を聞いて、そのメソッドが正しいことを検証・確信したうえで、考察する。それなら説得力が生まれると思う。
最初に問われるのは説得力、なのだ。
唯一、説得力がなくてもよし、とされるのがエッセイという分野。おもしろければそれでOK。⑤に該当する人は優れたエッセイストである。でもなかなかいない。
エッセイを小説や論文より下に見てバカにするなかれ。論拠も根拠もなく、ただ読者を楽しませられる文章って、ホント書けないよ、フツー。
「自分だから書けることは何か」を考える
どんなテーマで書く場合にも、一番重要なことは「考察力」だと思う。おもしろいエッセイはギャグを連発するからおもしろいわけではない。すぐれたエッセイの多くは、丁寧に掘り下げられた「考察」を展開しているから、おもしろいのだ。
森美樹さんと武田砂鉄さん。noterなら大抵の方が知っているであろう、Cakesで人気連載中の作家さんたちだ。
多くの場合、どちらもまずは「なぜ」と問いかけ、独自の視点で考察して持論を展開していく。
「性」と「テレビの中の人」と全く異なるテーマでありながら、どちらも面白いのは、その視点がユニークで考察が深いから。
たとえ読者が興味を持ちそうなテーマでも、独自の視点や考察がないと、なかなか「おもしろい」とは思ってもらえない。
考察するためには、当然あるていど精通する必要がある。今日はじめて知ったことで持論を展開することはむずかしいし、昔から知っているからと言って、その極意に精通できるというわけでもない。
普段から周りの人や事象をじっくり観察して共通点や何かしらのポイントを見出したり、逆に違いについて考えてみたりといった訓練をすることで、考察する土壌は出来上がって行く。
そういった考察が苦なくできることが「自分が書くべきこと」なのではないだろうか。
かくいう私も実はテーマが絞り切れていない問題
さて、では私は書くテーマが決まっているのか?といえば、実はお恥ずかしながら、そうでもない。このnoteも仕事論・文章論・恋愛論・アートや映画のレビューまで、雑多な印象だ。
(一応ざっくりと、自分の「イラスト・文章の仕事から遠くないこと」をテーマに掲げている、つもりではある)
Twitterのほうも、6年前にアトピーに関する本を出した時には、アトピー関連のフォロワーがどっと増え、昨年ナゴヤ本を出したら、ナゴヤ関係者がワーッと増えた。
今は、アトピーに関することはほとんどつぶやかず、ナゴヤに関することはたまにつぶやく。すると、ナゴヤ愛の強いフォロワーさんが「よし来たぞ!」という感じでRTしてくださる。
「せっかくフォローしてくれてるのに、滅多につぶやかなくて、ごめんなさい」とPCに向かって思わず頭を下げる。
仕方がない。私にとって、アトピーもナゴヤも、生涯かけて追及していきたいテーマではあるが、それ一本に絞って専門家になりたいかといえば、そうではないからだ。って、私の話はどうでもいいんだけど。
自分が書くべきことが見えて来た
去年、3冊目の本であるナゴヤ本を出版した。お陰さまで読まれた方からは好評をいただいている。
前半は主に持論を展開し、後半は「ナゴヤ愛」の強い人々に取材している。
タイトルで誤解されやすいのだけど、この本は「私のナゴヤ愛」について書いた本ではない。私はむしろ長らく「アンチナゴヤ」だったのだ。
そんな私の意識を変えさせた存在として、多くの「ナゴヤ愛」にあふれた人々が登場する。
インタビュイーはもちろん、持論の中に登場する企業や団体・人物まで「ナゴヤ愛」にあふれた人や物を取り上げる、という趣旨で書かれているのだ。
編集Oさんは「ほめて伸ばす人」なのか、私とすごく相性がよかった。原稿を送るたびに褒めてくださり「陽菜さんはジャーナリストとしても大成する」とまで言ってくださった。
だけどそれはもう、インタビュイーの皆さんのお話の素晴らしさに尽きる。
Oさんの言葉もリップサービスに過ぎないのかもしれないし、読んだ方々からの「取材力がすごい」というほめ言葉も、半分に聞いておいた方がいいのだろう。
その上であえて言うと、私は自分自身のことを書くよりも、人のことを書く方が楽しいし、向いているのではないか、と思う。
そこでこのnoteにも今後インタビューを載せて行けたら、と考えている。
とりあえず、早く引越しを終わらせなければ。(まだ終わってないのか!)