ナスカーチャ

難解、ナンセンス、冗談をテーマに、詩の新ジャンルに挑戦中。詩は目的のない機械だ。[好き…

ナスカーチャ

難解、ナンセンス、冗談をテーマに、詩の新ジャンルに挑戦中。詩は目的のない機械だ。[好き:アルチュール・ランボー(小林秀雄訳のみ)、純文学、哲学]

マガジン

最近の記事

なにも読みたくなくて、自分が書いたものも好きになれなくて、心を閉ざしそう。いまさらだけど こんな気持ちが以前よりももっと強くなってる。ヤバいなぁ…

    • 壁に釘を打ち付ける

      まず、noteが自動で選んでくるオススメの記事を、自分は全然読みたいと思えないことに、改めて気づいた。 これは単に好みの問題として。 PV数が多く、バズりつつあるような、「より多くの人が、より楽しめる」であろう記事。万人向けにピックアップされたオススメ記事。 そういう記事に僕は関心がなく、もっとマニアックなこだわりを追求し、ニッチな世界にいたいんだなぁと、そう改めて気がついた。 (もっと多くの人に向けて、誰もが楽しめるような方向性で僕自身、記事を書くべきか、ずっと悩ん

      • noteは自分にとって黒歴史だから、見返したくなかったけど、他方、なぜか避難場所のようにも感じる。なんでだろう……

        • あ〜、自分はこんな文章を書いてたのか〜……(一年ぶりにnoteに来た)

        なにも読みたくなくて、自分が書いたものも好きになれなくて、心を閉ざしそう。いまさらだけど こんな気持ちが以前よりももっと強くなってる。ヤバいなぁ…

        マガジン

        • ◼︎詩、たまに小説◼︎
          168本
        • 雑談、エッセイ、評論系
          75本
        • 私的傑作選
          70本
        • 過去の怪作
          1本
        • note初期作(暴言を含む)
          50本
        • 倉庫
          0本

        記事

          不協和音【散文詩】

          テーブルに不協和音が二つある。私は赤いサインペンを取り出し、右の不協和音には「下僕」と書き、左の不協和音には「キミ」と書いた。手書きで字を書いたのなんて久しぶりだ。相変わらずスペリングには自信がない。 ま、ーーこれは一種のたとえ話だ。「不協和音に字が書けるのか」という疑問は当然湧いてくるだろうが、一種のたとえと思って聞いてほしいのだ。 「たとえ」は、このように広がっていくーーこれは、ビリヤードのようなものだ。ここに緑色の台がある。美しい緑色だ。芝生のようなね。麻雀をやると

          不協和音【散文詩】

          久しぶりに投稿

          人に文章を見せることが急に恥ずかしくなり、文章の投稿をやめてしまった。 文章のクオリティが低いからではない。低いのは、ある意味、構わない。クオリティが低くても、筆者が素知らぬ顔して耐えていることには一定の価値があるものだ、なんて私は思っている。本当は嫌で消えてしまいたいが。 では、何に恥ずかしくなったのか。自分本位な文章を書くことには、もとより自覚的だったはずなのだ。読者のために書くのではない、と。 ーーならば、そんな文章、ネットに投稿しなくていいではないか。それだけだ

          久しぶりに投稿

          抽象画イラスト『時計』

          抽象画イラスト『時計』

          アート風イラスト『キリン』

          アート風イラスト『キリン』

          連作ミニマル絵画1〜6

          連作ミニマル絵画1〜6

          抽象画『泣く男』

          抽象画『泣く男』

          抽象画

          抽象画を描いてみました。 カンディンスキーの絵に触発されています。

          車輪

          俺は車輪を集めている。ささやかな趣味としてだ。すでに右手に11個、左手に22、3個の車輪を着けている。これだけあれば、なにか見るからに車輪の足りなそうな人や掟や運動を見かけたとき、その横着な為政者にーーあるいは出来損ないの王国にーー無言でこれを渡してやり、明るい未来やおしゃべりな幸せ、明朗な食事を作るのに役に立つ「無益な論理」を転がす手助けができるというものだ。車輪はいくつあっても良いのだから、貰っておいて損はない。それをくれてやろうというのだ。ああ、俺は親切だ、俺は親切だ。

          「マナーとして、人生が楽しいフリをしている。」

          「マナーとして、人生が楽しいフリをしている。」

          文章を書くこととは

          「文章を書くこととはなにか?」と、なんとなく問うてみる。 この答えは人によって違うはずだし、また、わたし自身、時期によって大きく異なる答えをイメージとして持ちながら文章を書いてきたと思う。そもそも、こんな抽象的な問い、なんとでも答えられるではないか、問い自体がクダラナイ、と思うこともあった。 試しに答えてみよう。 文章を書くこととは…… ・自分の思考という牢獄から脱出を試みることである ・何者かになる行為である ・自分自身との長電話である いきなり面倒くさいアイ

          文章を書くこととは

          「自分は人のことを見下してしまうのですが……」という質問に対する回答が、見事に、その質問者を見下した内容のオンパレードであった

          (ネットの質問サイトで表題の出来事を見かけました。) まるで自分はその質問者よりも高い次元におり、質問者の方が劣っているのだと言わんばかりの論旨を繰り出してくる、そんな回答の数々。質問者を改善へと導くことができるのだという確信と自己有能感の披瀝に躊躇いがない。 回答者の面々は(全員ではないが)なぜ気が付かないのだろう。 あの質問は、自分の中にある「他人を見下す心理」を自ら進んで直視するという、強くて正直な精神がもたらした誠実な反省であることに。その必死な告白であることに

          「自分は人のことを見下してしまうのですが……」という質問に対する回答が、見事に、その質問者を見下した内容のオンパレードであった

          偏屈者Aの嘆き

          【偏屈者Aの嘆き】 文章を書くことは壁を作ることに似ている。あなたが文章を書けばそこに壁が生まれ、それに直面した私はそれに沿って歩くことしかできない。あなたの文章は「ここからは先へ進めません。先へ進みたかったら迂回してください。ここでは私が案内人として、あなたの手を引いていきます。さあ、気張らずに、安心して身を委ねなさいな」と言って、私を横道に連れていこうとする。それは、道端で子供を誘拐しようとする詐欺師に似ている。「ワタシが君のホントのお父さんだよ。やっと会えたね。ああ、

          偏屈者Aの嘆き