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しんしんしんしん雪ふりつもる
文章に関する書籍は多いですが、技術に関するものは案外少なく、心構えや哲学についても書かれたものに出会うことが多かったです。書くことは考えることですし、純粋に技術を学ぼうとすれば、志賀直哉や谷崎潤一郎、三島由紀夫のものに行き着くからかもしれません。
そんなときにFacebookで見かけたこの本に一目惚れしました。
いつもの哲学書かなという想像を裏切ってくれるテクニカルなものでした。
修羅場をくくり抜けてきたプロライターらしく、示唆に富み、初心者にも分かりやすい文体で迫ってきます。これで分かった気がするのも著者の作戦で、実は浅はかな理解を試されているのではないかと疑心暗鬼になるのも楽しい体験です。
文章は構成を考えて書くものではない、という他書にはないパラドクスもプロライターの境地だからなのか、読み手を試しているのかハラハラドキドキです。
この本を読んだ後、私はnoteを書き始めましたがすぐに行き詰まりました。
他のライターのような思索の表出ではなく、表層的なことを思いつくままに書いてしまう悪い癖が顕著に現れたと感じたからです。
こんなときに先輩ライターの島田さんの言葉が刺さります。
「文章は濃い薄いで書くものではない」
なるほど薄ければ薄いで自覚して書き続けることが大事なのだなと腑に落ちました。
ここ数日の大雪について文章を書こうとするとき、私の頭の中の限られた知識のみで、有名詩人の引用しながら書き殴ることは容易いです。
その結果、いつも同じような文章だな、中身が薄いなあと感じてしまうのも無理ないかもしれません。
前述の筆者である近藤氏なら、日本人にとって雪がどう捉えられてきたか、白が純粋なイメージは本当かなどのありきたりの発想について、明治期の文豪の昭和の民俗学者の全集を紐解き、思いもしない論点でかきはじめることでしょう。
それを読んだ読者が、雪は暴力とか白は清々しいイメージではないとかの事象に気付いたとしたら(あくまでも仮定です)、それは作家冥利に尽きることでしょう。
まあ、でも私には無理です。
それだけの蔵書も普段からの鍛錬も、気付きノートもつける習慣がない中、そんな玄人芸ができるわけがありません。
プロとの差に気付いただけでもよし、さらにそれを埋めようという動機になればなお良し、気楽に書いていこうと肩の荷が降りたのです。
努力を継続できるかどうかは置いておいて、とにかく書くことをやめないでおこう、差を意識するだけでいつか役に立つことがあるかもしれないと、前向きに捉えることにしました。
私の文章修行は続きます。
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