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【千字文0004】「文章(試)論」とか大上段に構えてみた。

米光一成先生の講座でお世話になったライターの深川岳志さんより、この「桔梗屋千字文」へリクエスト頂きましたので、早速書きます。ええと…「文章論」かぁ。「論」と言えるほどのカチッとしたものがあるのか、俺に。

あ。文中の作家名については敬称略です。すみません。

自分のこの文体は、高校で部誌書いてた頃からほとんど変わってなくて。自室片付けた際に当時の記事読んだんですけど…昨日書いた、と言っても違和感無い。まんま、こんな感じ。

でと。ルーツもだいたい分かります。新井素子と、今は亡き栗本薫の「あとがき」。一見冗長で、会話を文字起こししたかのように見えるのに、実は話運びが精密に組み立てられている。二人ともSF作家で、無類の「あとがき」好きで、めっさ速筆で、エッセイも実に上手い、という。そりゃ影響被ること夥しいですわな。

文体はそうだとして、次は中身ですよね。うーむ。これも、若い頃に読んだ作家の影響って、とても強く出るものなんじゃないかな、と思います。

ミステリとSFと伝奇。最近は歴史小説の方に寄せてきてますが、自分の中のエンタメの三本柱です。この3ジャンルに共通して存在する、「外連味」ってものに魅了されてきました。 

「書き出しでこんなだったものが、まさかラストでこんなことになろうとは…何考えてんだこの作家はー!」

ってのが「外連味」です。

例えば、400文字の書評なら、最初の100文字くらいは、一見、本の内容と全く関係無さそうなことを書いてるんだけど、ラストで一気に畳みかけて「おおっ。この本はそういうもんなのかー!読むかー!」に至らせたい。かつて「Web本の雑誌」の読者レビュアーやってた時は、そういう書き方を心掛けてました。

また、材料そのままじゃなくて、転がしまくりたい、というのも傾向としてありますね。

御題出されても、直球で書きたがらない。どうせなら、その物事に結びつくものを、微妙にずらして、分かってくれる同志が「おやおや」と苦笑してくれるようなものを書きたい、と思っています。

この辺の嗜好は、たぶん小林信彦、筒井康隆、清水義範のお三方の作品で培われたものですね。正面からでなく、斜に構えてあえて焦点を外す。これは、本質をきちんと理解していないと的外れになってしまうので、勢いで飛びつくんじゃなくて、事前に十分下調べして書く必要があります。

「論」になってるのかなあ…「試論」くらいで勘弁して下さいまし。

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