[今日の刺言] 1行の詩のためには、 あまたの都市、あまたの人々、 あまたの書物を見なければならぬ。 あまたの禽獣を知らねばならぬ。 空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、 朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。 リルケ『マルテの手記」より * 感性とは、儘ならぬ。
映画レナードの朝をネトフリで再見。当時リルケを読み始めたきっかけだった。豹 マルテの手記を手に。 今日何気なくデリダの「動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある」鵜飼哲訳を読んでいたらリルケの黒猫が引用されていた。 美術史家のKirk AmbroseがDerridaを引用。
映画レナードの朝にはリルケの詩、豹、が出てくる。 檻の中で往復運動をする様子を捉えていて、映画でも豹が行ったり来たりする映像と共に詩が英語で読み上げられる。 これを見て知ったのか,前から知っていたのか、いっとき「マルテの手記(日記)」にはまった。
「思い出を持つだけでは十分ではない。思い出が多いときには、それを忘れることが出来なければならぬ。ふたたびそれがよみがえってくるのを待つだけの大きな忍耐が必要なのだ」リルケ。 20年前に出会ったタイの友人宅でのホームステイ。20年前の経験が人生に与えている大きなインパクトを再認識。
リルケ「マルテの手記」望月市恵訳 20数年前にはまった。今読むと影響力は大きい。ボードレールを読まなきゃというのはこの本の中で培われたのではなかろうか。ヴェルレーヌも。 クリュニー美術館の「女と一角獣の壁掛け」。pp129- ヴェニスの風景 アヴェローネ。