仁の音

大分在住の、人生の秋を迎えた翁です。今は、非常勤講師として中学生・高校生から刺激と活力…

仁の音

大分在住の、人生の秋を迎えた翁です。今は、非常勤講師として中学生・高校生から刺激と活力をもらっています。種々の雑感と、たまに古典のコラムです。さて、どんな音を奏でることが出来るか?

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六十路の手習い

人生の秋の今頃になって、ささやかなブログを開設。 すべて息子の手引きによるもので、感謝一入です。 終活には少し早いので、せめて脳活・脳シャンのつもり。 「仁の音」とは「仁note」のダジャレです。スミマセン。 どんな人生の音を紡いで行けるか、私にとっても未知数。 お暇な時に、覗いていただける部屋にしたいと思います。 【翁のプロフィール】 1953年(昭和28年)大分県杵築市山香町の生まれ。山香中学、日田高校を卒業。1972年(昭和47年)日本大学文理学部国文学科

    • No.1368 楽しく調べる

      宮澤賢治は、誰もが知る詩人であり童話作家です。1896年(明治29年)8月27日に岩手県花巻川口町(現、花巻市)に生まれ、1933年(昭和8年)9月21日に亡くなりました。満37歳でした。今年は、生誕128年目にあたり、今日は賢治の没後91年目にあたります。 その宮澤賢治といったら、子どもの頃の愛称「石こ賢さん」も忘れがたいのですが、教員だった時代もあり、高校生に出したという「一番長い英単語」の宿題クイズのお話も強く印象に残っています。それは以下のようなものでした。今から3

      • No.1367 細面の義経

        数日前に駅前からバスに乗って帰りました。バス賃は180円ですが、財布の中身は210円でした。 赤信号でバスが停止している間に100円硬貨を両替機に投入して細かくしました。バスからスムーズに降りるためです。 「ジャラジャラジャラッ!」 と音がして、受け取り口に50円玉1枚と10円玉5枚が出るはずでした。 ところが、出てきたのは50円玉1枚と10円玉4枚と100円玉1枚、都合190円でした。 ??? 右手に取り上げてよく見ると、ナ・ナ・何と韓国の100ウォンが入っていました

        • No.1366 応援の拍手?

          私の田舎は山に沿った農村で、ほとんどの家で労働力として牛を飼っていました。牛を飼えば糞尿に蠅がむらがり、牛の血を吸いにアブがやってきます。わが家の赤毛の「吉福号」もせわしなく尻尾を振り回してハエやアブを追い払いました。家のあちこちの部屋には「ハエ取り紙」が吊るされ、粘着式の紙には、黒くなるくらいにハエがかかりました。 うちの松宇爺ちゃんの「凄ワザ」は、片手でハエでもアブでも「ひょい!」と掴み取ってしまう事でした。ハエ(アブ)の後ろから右手を広げて近づき、サッと横に動かした

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        六十路の手習い

          No.1365 我が家の女神?

          恥ずかしながら、文章がまとまらなくなったり、1つのコラムにえらく時間がかかったりするようになりました。こんな時に、「昔のコラムでお茶を濁す」なんてことを平気で考えられるほど能天気な年齢を迎えています。暑さの故と、ご寛容いただければ幸いです。  店頭にも見られるビワの季節だ。「枇杷」の実にその形が似ているから「琵琶」の名を貰ったという。ふくよかで掌にすんなりおさまる曲線が、えも言われずイイ。  「桃栗三年柿八年」と言い、「枇杷は九年で成り下がる(「成りかねる」とも)」と言う。

          No.1365 我が家の女神?

          No.1364 縮辞はいかが?

          その昔、PHP誌ではなかったかと記憶するのですが、感動的なお話がありました。  一説に「祝辞」は「縮辞」、「弔辞」は「長辞」などと言われます。  或る時、八十代で亡くなった老人の孫が弔辞を読む事になりました。中学生は、祭壇の前に進み、合掌した後、無言のまま制服を脱ぎ、きちんと畳んで足下に置き、ネクタイをいきなり外すと、たどたどしい手つきで、今度は一所懸命に結び直し始めたそうです。  葬儀場は、何事が起きたかとざわめきました。中学生は、かなりの時間をかけて結び終わると、制服

          No.1364 縮辞はいかが?

          No.1363 うっかり?すっかり?

          大学の友人から便りが届いたので、お礼のハガキを書いて郵便ポストに投函しに行きました。近くに郵便局があり、歩いて行ける距離です。ポストに入れる前に裏表を確認しました。そしたら、彼の名前も住所も書き忘れていました。あらま!350mを舞い戻りました。 私は、水戸黄門に随行した(光圀の諸国漫遊も八兵衛も創作?)うっかり八兵衛の末裔ではありませんが、ウッカリ度は師匠も目を見張るほど腕を上げています。こんなことは朝飯前の、お茶の子さいさいです。残念ながら、弟子入りを希望する猛者はいませ

          No.1363 うっかり?すっかり?

          No.1362  十二年、ひと昔?

          今年、令和6年の干支は「甲辰」(きのえたつ)ですが、12年前の2012年(平成24年)の干支は、「壬辰」(みずのえたつ)でした。以下は、その年の7月10日のわがコラムです。  「狭い」ことの代名詞である猫の額よりもさらに狭い我が陋屋の庭である。だが、いくら狭くっても、そこはお庭。放っておけば、いつしか雑草・雑木生い茂り、ついには、ミニジャングルと化すのである。  梅雨に入り、恵みの雨を浴びてスクスク・ヌクヌクと育った雑草や木々達は、ともすると、ご主人様をあざ笑うかのごとき成

          No.1362  十二年、ひと昔?

          No.1361 良心とは?

          昨日の朝ドラ「虎に翼」(120話)で、寅子の上司の多岐川幸四郎が亡くなりました。彼のモデルだったのは「家庭裁判所の父」と呼ばれた宇田川潤四郎さん(1907年~1970年)だそうで、家庭裁判所設立や戦争孤児救済に奔走した人物です。 その滝藤賢一さん演じる多岐川幸四郎が登場した「虎に翼」(第52話)は、3か月前の6月11日の放送でした。ヒロインである寅子の恋の相手役でもあった佐賀の花岡悟判事の死について、多岐川は寅子と言い争いになりました。 多岐川は、言うのです。 「君たちあ

          No.1361 良心とは?

          No.1360 教えて!西郷さん!!

          日本国内では9月27日の自由民主党総裁選に向け、9人の立候補が熱い論戦を戦わせることになりました。その一方、水面下では「政治屋の大人の駆け引き」が行われ、民意をよそに派閥や力関係が又してもノサバル結果となるのでしょうか。そうなのですか? 1890年(明治23年)に刊行された『南洲翁遺訓』(『西郷南洲遺訓』)は、西郷隆盛(1828年~1877年)の遺訓集で、旧出羽庄内藩(山形)の関係者が西郷さんから直接聞いたものを編集したものだそうです。遺訓は41条、追加の2条、その他の問

          No.1360 教えて!西郷さん!!

          No.1359 おっとよ!つまよ!

          奈良時代後半に成立したと言われる『万葉集』には、夫婦の強い絆をうかがわれる好きな歌があります。これが、泣かせる歌なんです。一緒に読んでやっていただけますか? 本文…「3314 次嶺經 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背」 訓み…「3314 つぎねふ、山背道(やましろぢ)を、人夫(ひとづま)の、馬より行くに、己夫(おのづま)し、徒歩(かち)より行けば、見

          No.1359 おっとよ!つまよ!

          No.1358 ささやかな願い

          ぼーっと生きている私ですが、古歌が胸に食い込んでくることもあります。 『万葉集』巻七は、「雑歌」・「譬喩歌」・「挽歌」から成っており、作者不明なものが多く載せられています。その1411番は、次のような挽歌です。 「福 何有人香 黒髪之 白成左右 妹之音乎聞」 「幸(さきは)ひの いかなる人か 黒髪の 白くなるまで 妹が声を聞く」 この歌の解釈として、 「こんなに白髪になるまで、妻が寄り添い声を出して悲しんでくれるとは、なんて幸せな人であろう。」 という解釈もあるようですが

          No.1358 ささやかな願い

          No.1357 びりっけつ!

          「高所恐怖症」の私は、また、「数学恐怖症」の男でもあります。 歳はとってみなければ、分からないものです。最近のこと、ついさっきのことなんかはすぐ忘れるくせに、子ども時代のことは色鮮やかに思い出せるのですから不思議至極です。きっと、神様が「人間が子供返りした時に、その楽園でもう一度遊べるように」との思いから、脳内の機能をセットしちゃったからでしょう。 田舎の小学校でしたが、各学年が2クラス(竹組と松組)ありました。私は6年間、竹組の生徒でした。あれは、忘れもしない小学校

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          No.1356 遺したいもの

          その言葉の出典を知りませんが、 「小児は白き糸の如しなんて申しまして」 と噺の枕に使う落語家さんもいるとか…。 「小児は白き糸の如し」とは、子供の天真爛漫さをいったもので、濁りに染まっておらず真っ白な糸のようなものだというのでしょうか。逆に言えば、純粋だからこそ何色にも染まり易く、善くも悪くもなるというのでしょう。相田みつをの「育てたように子は育つ」という厳しい視点もありますが。 親や大人たちの躾や教育や、周りの環境が問われる言葉のように思われます。幼い子どもの力では、い

          No.1356 遺したいもの

          No.1355 こんにちは!

          一昨日の早朝から庭先で「虫の音」が聴かれるようになりました。 「リッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッリッ…」 1秒間に5回前後も「リッリッリッリッ」と規則的に速いテンポで鳴き続けます。わが家にも、小さい秋が…。 前島密(1835年~1919年)は越後高田藩の出身だそうです。 1835年(天保6年)房五郎と命名されました。 1859年(安政6年)24歳の時に巻退蔵と名前を変えました。 1866年(慶応2年)31歳の時に前島家の養子となり来輔(らいすけ)と

          No.1355 こんにちは!

          No.1354 犬ダフル?

          「光る君へ」をご覧になっていますか? 私は、見たり見なかったり、見なかったり見たりの、まことに身の入らぬ「ほげほっぽ」(大分弁で、「適当」「いい加減」「でたらめ」の意味)な視聴者です。 ところで、一条天皇と彰子中宮との仲は深まっているのでしょうか?前回の「光る君へ」(第33回「式部誕生」)では、いよいよ『源氏物語』作者としての紫式部の真価が発揮されようとしています。宮中では、先輩格に当たる赤染衛門(『紫式部日記』の中で「こちらが恥ずかしくなるくらい素晴らしい」と褒めていま

          No.1354 犬ダフル?