和田原メイ

絵や詩や小説や音楽が好きな、どこかの学生です。思い立った時に、書きたいことを書いていき…

和田原メイ

絵や詩や小説や音楽が好きな、どこかの学生です。思い立った時に、書きたいことを書いていきます。

マガジン

  • 短編集2022~2023「僕らのための母天使像」収録作品

    boothショップ( https://wadaharamay.booth.pm/ )にて販売中の書籍〈短編集2022~2023「僕らのための母天使像」〉に収録した作品のうち、noteで公開したものを集めました。

  • 短編集2021~2022「星の杯」収録作品

    boothショップ( https://wadaharamay.booth.pm/ )にて販売中の書籍〈短編集2021~2022「星の杯」〉に収録した作品のうち、noteで公開したものを集めました。

  • 私の好きなものについて語るマガジン

    私がこれまで出会い感銘を受けてきたものごとについて、自由に推し語りした記事のまとめです。

最近の記事

スケッチ「観劇日記『人魚の姫』」

同じ劇団に所属する先輩に招待されて、先輩が主役を務める舞台を観に行った。 きっかけは二週間ほど前、稽古が早く終わった日に先輩から声をかけられたことだった。なんでも、先輩は同期4人を誘って短編を演じようとしているらしい。『演目の中でダンスを踊るシーンがあるから、踊りを習っていたことがあるあなたにアドバイスをして欲しい』という話だったので、私は快諾した。そのときには既に音楽とよく合った振付が考えられていたので、舞台をもっと広く使うステップを少し提案したように覚えている。 協力し

    • 詩的掌編「革の鞄」

      私は夢の中で目を覚ました。そのとき私は、海辺に野宿する旅人だった。 眠っていたテントの一角に、何か不思議なかたまりが置かれていた。近づいてよく見ると、それは革の鞄のようなものだった。ひどく古びたその鞄は、私のほかの持ち物とは全く違う深い青色をしていた。 (これは私のものではない。本当の持ち主を探して、返さなければ) 当たり前のことのように、そう思った。 私は身支度をして、海沿いの道を歩きだした。 少し行くと、石壁の都市に辿り着いた。町の建物はどれも細やかな彫刻に飾られていて

      • よんで、かいて、うたい続ける人

        最近、ものすごい勢いで本を読んでいる。 昨年の十一月頃、バイト代がわりに手に入れた図書カードで本を買ったのがはじまりだった。それから半年で、十五冊以上読んだらしい。世間の読書家と比べれば大したことはないかもしれないが、私の人生の上ではなかなかの勢いだ。 文庫も新書も単行本も読んできた。今は興味を持っている内容が大きく二つほどあるので、それぞれの枝葉を広げていくように本を渡り歩いている。一日で読み終わってしまうものもあれば、二~三週間めいっぱい使っても理解しきれないようなもの

        • スケッチ「12月24日の手紙」

          ヨハンへ 1899年12月24日  この手紙を読みはじめる頃には、あなたはきっとヨーロッパへ帰る蒸気船に乗っていることでしょう。二十世紀を待ち焦がれるこの"新世界"・ニューヨークで、楽しいクリスマスを過ごせましたか?  出番を終えて楽屋に戻ったら自分宛てに知らない小包が置かれているなんて、きっと驚いたでしょう。本当は最後に一言でも挨拶がしたかったし、プレゼントも直接渡したかった。その代わりに、こうして少し長い手紙を綴ることを許してください。  あなたが私たちの合唱隊に

        スケッチ「観劇日記『人魚の姫』」

        マガジン

        • 短編集2022~2023「僕らのための母天使像」収録作品
          3本
        • 短編集2021~2022「星の杯」収録作品
          3本
        • 私の好きなものについて語るマガジン
          4本

        記事

          「知り得ない世界」を覗かせて

          自分もそうありたい、と願うこと。 誰かが、自分の好きなものごとに対して、ひたむきに、情熱的に取り組んでいる姿というのが、私にはとてもうつくしく見える。 普段おとなしく冷静な人が、驚きと楽しさを隠しきれないような口ぶりや目つきをするのも、反対に、いつもさも愉快そうに振舞う人が、じっと黙って自身の思索に集中しているのも、なにか惹かれるところがある。 きっと私は、そのような瞬間に、その人が「私の知り得ない世界」を見ていることを感じ取り、胸の高鳴りを覚えているのだと思う。 「

          「知り得ない世界」を覗かせて

          スケッチ「白い鳥」

          白い鳥のような人だ。 はじめて会ったとき、私は思った。 彼女は、ホワイトという名前だった。 私と同じ歳で、同じ寮で、隣の部屋に暮らしていた。 銅色の髪を背に垂らし、白いブラウスを風に揺らしながら、 踊るように、跳ねるように、空を飛ぶように、 中庭の小道を歩いていく人だった。 彼女の声はほがらかで、ひかえめで、まだ少しあどけなくて、 それでも時々その唇から熱っぽく思いを迸らせる、 そしてまた恥ずかしがるように笑う。 そんな人だった。 青い月が光る、ある晩のことだった。 夕食

          スケッチ「白い鳥」

          「悲しみの聖母」を発端とする、とるにたらない思考録 ―或いは、私と『聖母マリア』

          聖母の絵 昨年十一月、東京都美術館の「展覧会 岡本太郎」を見に行ったついでに、国立西洋美術館の常設展を見てきた。昼食を摂る場所を探しながら前を通りかかったときに、ふと思い立ってのことだった。 展示室は静かだった。昼食を摂ったレストランには校外学習で来たような団体の学生も多かったが、彼らはもう引き上げたのだろう。私も、西洋美術館に来るのは数年前の校外学習以来だった。当時に比べれば西洋絵画に対する知識はかなり身についていて、あぁこの画家は聞いたことがある、きっとこの絵はギリシ

          「悲しみの聖母」を発端とする、とるにたらない思考録 ―或いは、私と『聖母マリア』

          もし自分の小説が国語の授業に使われたら、という妄想

          昔、私の書いた小説を読んだ友人に「教科書みたい」と評されたことがある。それが「教科書に載っている小説みたい」という意味なら、なんとなく納得できる。実際私は賢治や中也、芥川や太宰といった教科書常連の近代文学作家に大いに影響を受けているし、作風としても子ども向けを意識したものが結構あったりする。もちろん、私の文がそんな錚々たるメンバーに連なるものすごい名文だとはちっとも思えないが。 そこで、もし本当に国語の授業で私の文章が使われたら、という妄想をひとつ繰り広げてみようと思う。

          もし自分の小説が国語の授業に使われたら、という妄想

          スケッチ「ひと組のトランプ」

          あぁ、店主さん、お久し振りです。 いいえ、今日は本を見に来たわけではないのです。買い取って頂きたいものがありまして。……いや、古本ではなくて、古道具の類というか。古本屋でありつつ、そういう類の買い取りもひっそりやっていらっしゃるといつもお話しなさっていたので。 はい。お見せいたします。このひと組のトランプです。 仰る通り、子どもの遊び道具というよりむしろ本業の手品師が愛用するような、有名店の品物です。種も仕掛けもない……と言いたいところですが、ほらここに、一枚だけ両面に

          スケッチ「ひと組のトランプ」

          スケッチ「汽車」

          山を越えて行く汽車の一席に、ある男が座っていた。 彼の右手の中には、一通の電報が握られていた。今朝、下宿の前でその報せを受けたときのことを、彼はもはや覚えてはいまい。驚きに硬直した体を無理矢理動かすかのように、心臓は早鐘を打ち続けている。そこに記されたたった一行の片仮名から、これまでにあらゆる夢想が彼の胸のうちに巻き起こり、そしていつしか凪いでいった。 (何としても、あの人にもう一度会いたい。会わなければならない。あの人が、私が、まだ生きているうちに。) それが今、彼を

          スケッチ「汽車」

          もし私が文芸を学ぶ道に進んでいたら

          逆説的に言えば、「なぜ私は文芸を学ぶ道に進まなかったのか」。 大学受験の頃、私の第二志望以下はほぼ全てを文学部が占めていた。普段から、私の本質は”詩人”だと思うだの、宮沢賢治の作品に人生を変えられただのと豪語している人間だから、そういった学問分野に乗り出そうとするのはごく自然なことだ。 しかし実際のところ、私は第一志望の大学に合格し、美術教育を学んでいる。昔から絵や工作が好きてだし、どちらにしろ教員免許取得は目指すつもりだったから、こちらもまぁ無理はない。 正直、どちら

          もし私が文芸を学ぶ道に進んでいたら

          ポツネン氏の描く『孤独』が好きだ

          ※この記事は、小林賢太郎作品「ポツネン」「○~maru~」「The SPOT」「うるう」「KKTV2」に関するネタバレを含みます。 最近、ようやく気付いたことがある。 私って、自分が思っているよりずっと寂しがり屋なのではないか? 私は今まで、自分は孤独を好む人間だと思っていた。実際、ひとりで気楽にどこかへ行ったり何かを作ったりするのは大好きだし、人といるのも十分楽しいが、誰もそばにいない時間も同じくらい大切だと思う。 けれどもその『たのしい孤独』は、蓋を開けてみれば、

          ポツネン氏の描く『孤独』が好きだ

          創作童話「涙を流しに」

          これはもう何年も昔、私がこの町に越してきてすぐのことです。 この町の近くに巷では有名な彫刻家が住んでいる、ということは、私も以前から聞いていました。彼の彫刻は、その瑞々しい感性と繊細さが人気となり、美術館や町の広場などにそれは立派に飾られていましたから、そんな噂に町が浮足立つのも無理ないでしょう。 程なくして、私は実際に彼と知り合いました。川辺の道で粘土を運ぶ荷車がぬかるみにはまってしまったところを、偶然通りかかった私が助けたのです。そして、町に流れる川を少し遡ったところ

          創作童話「涙を流しに」

          大きな絵画が怖い。ジェットコースターが怖いのと同じように。

          私は以前から、大きな絵画が苦手だ。自分の背丈を超える、大きなキャンバスが苦手だ。観るだけで辟易してしまうから、描こうだなんて思える訳がない。 逆に、手のひらに乗せたり両腕で抱えたりできる大きさの絵画を観るのは好きだ。もちろんこちらは自分で描いたりもする。 だから、私はよく個人経営の小さな画廊に出向いて、そのワンルーム程のスペースに飾られた小さな作品たちを、間近で、じっくりと鑑賞したりする。それがとても心地良いのだ。 今日、川村記念美術館を訪ねた。目的は、1950~60年

          大きな絵画が怖い。ジェットコースターが怖いのと同じように。

          フラワーホールのようなあなた

          スーツのジャケットなどの下衿についているボタンホールのことを「フラワーホール」と呼ぶ。 今ではよく社章などをつけているイメージのあるあれだ。 これは元々、本当にボタンホールの役割を持っていたという。詰襟のような形の軍服を開襟したとき、一番上のボタンを使わなくなった。そのボタンホールの名残が、今のフラワーホールと言われている。首元までボタンを閉じることができるトレンチコートを開襟した状態などをよく見ると、この構造がよく分かるだろう。 では、なぜフラワーホールという名前がつい

          フラワーホールのようなあなた

          創作童話「月またぎ」

          2月の終わりを舞台とした、即興の創作童話です。 (見出し画像は、以前作った版画の下絵の一部。) ーーーーーーーーーー ある月の最後の日が終わって、次の月の最初の日が始まる。このとき、世の中のさまざまな機械が、月の数字をひとつ進め、日の数字を1に戻します。 実は人間も、知らず知らずのうちにこの「月またぎ」の作業をしています。想像していただくのは難しいかもしれませんが、前の月の船のいちばん後ろから、次の月の船のいちばん前のところへ、ひょいと飛び移るのです。そして、飛び移った

          創作童話「月またぎ」