星の味 ☆8 “闇から始まる”|徳井いつこ
夜、部屋を真っ暗にして眠ると、いいことがある。
窓近くの床に、光の線がひとすじ落ちている。
カーテンの隙間からさしこむ月の光は、満月に近づいてくると、いよいよくっきり輝いて、こんなに白かったかと驚かされる。
光の線を、素足で触る。右から左、左から右に。
指先で拭う。拭ったところで落ちるわけではない。
落ちない光の、なんとたのもしい……。
ずっと昔から好きだった詩に、ハンス・カロッサの「古い泉」がある。暗闇から始まる十数行の文章が、果てしない生命の旅を続けているわれわれの身の上を照らしていた。
君の明りを消して眠れ! 古い泉の
いつもめざめている水おとだけが鳴りつづける。
しかしこの屋根の下に客となった者は誰でも
この音にはすぐ馴れるのを常とする。
君が早や夢のさなかにいるときでも
おちつかぬけはいが家をめぐり流れて
堅い靴が踏むために泉のそばの砂利がきしむこともある。
噴泉の明るい音が急に途絶えて
そのため君が眼ざめても――驚かなくていい。
星々は充ち溢れるように風光の上に光っていて、
そしてただ、旅びとが一人大理石の水盤に歩み寄り
泉からたなごころの凹みに水を掬んだだけのことなのだ。
その旅びとはすぐに去る。泉は鳴る、いつものとおり。
喜びたまえ――君はここにいても孤独ではない。
たくさんの旅びとが星々の仄かな光の中を遙かに歩きつづけているし
そしてあまたの旅びとは、これから君の許へ来る道程にいる。
君のもとへ来る。
なんと心づよい響きだろう。
カロッサの詩には、闇のなかにあっても、光の予感、憧れがある。しばしば彼の詩に登場する「君」は、不特定多数の読み手であると同時に、まず彼自身であったにちがいない。
来ては去ってゆく「旅人」のなかには、出会った人々、R. M. リルケ*をはじめとする多くの詩人たちも含まれていただろう。
ハンス・カロッサは、トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセと同世代のドイツ作家だ。ヘッセより8年早くゲーテ賞を受賞していることからも確固たる業績が察せられるが、日本でそれほど知られていないとすれば、作品の量が少ないせいかもしれない。
カロッサは祖父の代からの医者の家に生まれ、開業医として働き、専業の作家になる道を選ばなかった。医者という市民的職業と、詩人という内的欲求とのあいだには、ときに対立があったにちがいないが、生涯ふたつの道を並立させた人だった。
詩人には、その人固有の「鍵語」がある。
「鍵語」とは、詩人がそれによって思索を深め、世界を認識し、直覚したものを統合する、いわば象徴としての言葉である。
鍵語は当人の役に立つだけでなく、他者に伝達、表現するための手段となる。
カロッサの鍵語は、「星」だった。
彼の詩には、タイトルに星がついているものが少なくないが、そうでないものにも多く星が登場する。
初期に書かれた「Stella mystica(神秘の星)」という長い詩には、厳しい旅を続けるふたりの旅人が現れる。
われらの額の上高く一つの星が、白い星が、
私自身の本性と一致しているかのように
静かに浮んでいて、それが大きい勇気を
われらの心の中に灑ぎ込んだ。
私は感じた、わたしたちが
なんの前に立っているかを。そしてあなたの手を取り
私は言った――「やがて来るものがあなたにも判るだろう。
もう一度お願いするが、
わたしたちがこの試練の道を歩いているあいだ
あの星には触れないでおくれ。
私の頭上に光っているあの白い星に!
(中略)
そしてあのすばらしい星は
われら自身の内へ沈んで、永久に
まことに我らと合体して燃えるだろう、
われらを貫き燃えて、それは我らを純粋な仕事と幸とに到らせる……」
こんなことを私はあなたに願いつつ、われら二人は歩きつづけた。
夜は重たく拡がっていた。けれどあの星からは、深切に
一つの淡い輝き、一つの薫りが流れて来た。そして深い闇が
その輝きの中に呑まれた。
星のはたらきが「薫り」と表現されているのは、興味深い。
それは人の内に沈んで合体し得るものであり、触れることのできない気分、雰囲気なのだ。
カロッサは詩中の人物に「あの星には触れないでおくれ」と語らせつつ、「星」を歌う。
さまざまな詩のなかで、形を変え、言葉を変え、暗い空にこそ星が輝きだすことを歌う。
カロッサは、第一次大戦と第二次世界大戦、ふたつの戦争にまたがる時代を生きた。
リルケとの出会いの後、軍医として第一次世界大戦に従軍。ナチス台頭後の第二次世界大戦下では、マンやヘッセのように祖国を離れず、開業医としてドイツ国内にとどまり患者を助ける道を貫いた。前者の体験は自伝的小説『ルーマニア日記』に、後者の体験は『狂った世界』に描かれている。
『ルーマニア日記』の扉に記された「蛇の口から光を奪え!」という言葉は、カロッサが早い時期から「光と闇」というテーマを生きていたことを明かしている。
彼の詩の多くが、呼びかけから始まっているのは、時代の濁流に翻弄され、飲み込まれ、ときに挫けそうになる自分自身への鼓舞でもあったにちがいない。
「星」という象徴が、カロッサにとってどれほどリアルで切実な意味を持っていたかは、彼が生きていた時代の闇の深さからうかがい知れる。
「星々よ、光の翼をせっかちな息のように羽ばたく星々よ」という呼びかけから始まる詩「生の頌歌」のなかの一節。
君の仕事が遙かに持ち運ばれれば、それはもう君自身にも似ていない
ものとなる。
新たな路が踏み試みられて、それまでの領域は超えられる。
しばしば君は呼びかけられるのを感じるが、しかし誰に呼ばれている
のか定かでない。
あたかも金の世界から金剛石の世界へと君は移り変るかのよう。
そしてそこには星々が大きく輝いている。
その星々と君が分け有つ幸福を認識せよ!
(中略)
しかしもし君が硬化して佇立するなら、ただちに君の衷で神が老いる。
そして君は うるわしい地上を危険へ陥らせることになる。
金の世界から金剛石の世界へ……。最大の透明度と強度をもつ金剛石にカロッサが託したものは、「星」の象徴と重なって、困難な時代にこそ輝きを増してくる。
*注)第7回「星の味」(リルケ)を併せてお読みください。
カロッサが登場します。