ポリーニの残した言葉(3) 私の曲選びはとても単純です。自分が関係を持ちたい作品、一生の関係を持ちたいと思う作品を選びます。どんなときも好ましく、飽きることがない、これを弾きたいというものです。何を選ぶかは、ピアノの楽曲の莫大さのため無限です。(1997.10.23、シカゴにて)
ポリーニの残した言葉(2) (解釈の)次にそれを演奏する瞬間が来ます。そこでは自分が学んだもの、発見したもののすべてを出します。でも自然発生的にです。理想は即興的に生まれるものですが、この即興性は偉大な楽曲の場合にしか、出てきません。(1997.10.23、シカゴにて)
ポリーニの残した言葉(4) 何年かして、同じ曲を演奏するときの気持ちについて: 「記憶はいつも残っています。それを演奏していなかったとしても、心の中にはあるし、思い出したりもします。そして以前に弾いたときの感情がよみがえります」(1997.10.23、シカゴにて)
ポリーニの残した言葉(1) 「解釈のプロセスというのは本当に素晴らしい、魅了される時間です。おそらく誰も、そのプロセスがどのように働くかは知り得ない。非常に私的な時間で、音楽家は、中でもソリストは、全面的に自分と向き合います」(1997年10月23日、シカゴ交響楽団ホールにて)
ポリーニの残した言葉(5) 私はたくさんのコンサートをするわけではありません。限られた数のコンサートしかしてないのです。中でもオーケストラとは、あまりやっていません。(どうしてでしょう、という質問に対して)そうなったとしか言いようがないです。(1997.10.23、シカゴにて)
ポリーニの残した言葉(6) 聴衆は音楽を聴く努力をしないことがあります。中でも現代音楽については。それに対して、わたしは新しい音楽については、聞こうとする努力が必要だと思います。しかし同時に、過去の名作を深く理解することが求められます。(1997.10.23、シカゴにて)
ポリーニがいなくなった。あたくしにショパンを示してくれたピアニストで、思い入れはありまくりだ。ディスクを集めては聴き込んだもんで。先日の小澤さんのときといい、なんだかみんないなくなっていくし、見送る側はしんどいな。どうしたもんだろうな。他の誰かを聴けばいいっていうことでもなくて。
ベートーヴェンって深刻に弾いてほしいじゃないですか。いまバドゥラ=スコダのベト全を崩しにかかってて、ポリーニによる演奏との違いを考えてみたところ、前者のほうがゴツゴツしてて剛健、後者は弾けるから弾いてるけど、べらぼうにうまいけども、何かこうしかめっつらがほしいところなんですなあ。
曰く付きのリパッティのショパンのコンチェルト|https://ameblo.jp/stha1436/entry-12848453615.html