マウリツィオ・ポリーニの思い出
最初に断っておきますが、内容浅いです😅
大して録音聴いてないのです。
それもこれもポリーニの録音に手を伸ばすまでが長かったせいもあるかも。
U先生のバイアスのせいとは言いますまい🫢(言ってるがな)
ポリーニは結局一度も生で聴けなかった。
学生向けに「若葉シート」という席を販売していた。
たしか3000円だったと思う。ステージ上の席だったかも。
内田光子とボストリッジの「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」は学生券で1000円で聴いたのに、ポリーニは3000円ですら聴こうとしなかった。
己の不明を恥じるばかり😂
ポリーニの良さを実感したのはこちらのCD。
67歳にしてバッハを初録音(内田光子は75歳の現在も録音していないが)。
満を持して、というにふさわしい巨匠の集大成。
私はバッハの鍵盤楽曲の中で、平均律を特に苦手にしていた。
難解、晦渋。複雑な方程式のようで、頭を使って聴く音楽のように感じていた。
それが、ポリーニの演奏だと自然に聴くことができた。
深い情感をともなったエモーショナルなバッハ。
ちっとも理屈っぽくなかった。
モーツァルトの弾き振りもよかった。
ウィーン・フィルに愛されたピアニストだと思う。
ベームとの23番もよいですね。
ベートーヴェンのソナタ全集は持っているけど、正直それほど良さがわかっていない。
以前に聴いた感じだと、グルダの全集の方がしっくりきた。
いま聴けば違ってそう。
ポリーニの名を世間に知らしめたのはおそらくこちら。
妖刀村正というのか、まさに快刀乱麻。ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長ルービンシュタインが脱帽したテクニック。
まあ、この超絶テクニックのせいで、U先生に嫌われちゃったんだろうけど😂
ポリーニといえば宇野功芳との因縁があまりにも有名だが、私のタイムラインでポリーニと宇野を絡めて語っている人はいなかった。
宇野功芳も過去の人になってしまったのかもしれない。
「無機的」「機械的」とポリーニを酷評していた宇野先生だが、晩年のポリーニを聴いたらどんな感想を漏らしただろう。
テクニックは衰え、そこには宇野先生の知らないポリーニの姿があったはずだ。
以前、レコ芸だったか忘れたが、世界の4大ピアニストは「ポリーニ、アルゲリッチ、内田光子、キーシン」になっていた。
今ならキーシンの代わりにシフやツィメルマン、ペライアらが入りそうだが、ポリーニが世界一流の座から漏れることはなさそうだ。
好き嫌いはあれど、文字通り「世界最高のピアニスト」であり続けたのではないか。
アルゲリッチは聴けた。コンチェルトも貴重なリサイタルも。
内田光子もツィメルマンもシフもペライアもポゴレリッチも聴けた。
それだけに、ポリーニを生で聴かないまま失ってしまったことがひどく残念でならない。
指揮者でいえば、ムーティ、メータ、バレンボイムらをまだ生で聴けていない。一度でいいから実演に接してみたいものだ。
宇野先生は上記3人やアバド、小澤らを「花形指揮者」と呼んで、あまり好んでいなかった。
いまやラトルやシャイーを加えたその世代が巨匠世代である。
こうして「巨星」とも形容すべき音楽家が次々と鬼籍に入る。
私も歳を取るわけだ。
人間いつ死ぬかわからないから「人生100年計画」などと呑気なことは言えないが、30年後、50年後のクラシックシーンはどのように様変わりしているだろう。
最近はどんなに感動的なコンサートに出会ってもすぐ忘れてしまう。
記憶に残っているのはそれこそ朝比奈の第九だったり、若くて感受性が瑞々しかったころのコンサートばかりだ。
どんなに感動しても、それらの記憶を塗り替えることができなくなってきている。
だからこそ、若い人には多くの芸術に触れてほしいと思う。
昔の方がよかった、とは思わない。
昔に帰りたいとも思わない。
ただ、私の中で昔の自分を越えられない何かを感じるのだ。