私の母が「母」になったのは32歳。 私は今25歳、もう少しで26歳。 試験に通れば大学に入れる。面接に通れば企業に就職できる。 母になるための試験は?条件は? 大学は中退できる。会社は転職できる。 母は始めたらやめられない、一生。 なんでそんなに重たい責任に試験はないの? 当たり前よそんなこと、わかってるけどね。 いつになったら母になっていい?
よくドラマとかで娘が母親に向かって「私はあなたのものじゃないの!」と絶叫するシーンがある。 かと思えば母親と娘が結託して父親が仲間外れになるなんてコントのような構図もよく見る。 我が家の場合、私の思春期の頃から母と私しか「いなくなった」ので残念ながら後者のような絵面になったことはない。 父、母、私といれば三角形になって強度が保たれるものが、母と私という線分であるが故に強いようでもろい関係だった。 母と私には共通の趣味がある。音楽だ。 もちろん幼少期にはピアノを介して母とぶ
(思いっきりネタバレしています。) 往々にして、観てしまうと精神的に悪影響がありそうな映画というのはある。それでも観たくなってしまうというのが人間心理なのだが、私の場合は、自分の精神状態と相談して生活に支障をきたさないと判断した時のみ観て、それ以外は観ても問題ないと思えるまでストックに眠らせておく。 この映画もいわゆる精神的によろしくない映画だろうという気はしていたが、幸いここ最近の私はノンストレスだったし、そこまでのショックもなかろうと思って観た。がしかし、(私の映画鑑
いつだったか、悲しい時には悲しい曲を聴いた方がいいんだよ、と聞いたことがある。 なんでも悲しい曲調が自分の悲しい気持ちを肯定してくれるからだとか、詳細は覚えていない。 どうしようもなく悲しい時があった。 それでも動かなければならなかったから、私は先の言葉をすがるように思いつく限りの悲しい曲を聴いた。 チャイコフスキーの悲愴の第4楽章。 ニ長調の旋律があまりに美しいほどわが身の拙さを突き付けられるようで涙がぼろぼろこぼれた。 途中からあまりの大音量がその時の私には喧しく感
私にとって天国を連想する曲が2つある。 そのうちの1つがアンダンテスピアナートだ。 マウリツィオ・ポリーニが亡くなった。 人の死を1つ2つと数えるのは違うと思いつつ、小澤征爾の訃報から間もない著名なピアニストの死。 幼い頃から、遠方に住む自分の祖父の顔以上に、テレビで、CDのジャケットで見てきた音楽家の死。 私はポリーニの熱狂的な信者というわけではない。 むしろ楽譜が苦手という性格の私にとって、楽譜を見られないならせめてこれを耳で真似してくれと言わんばかりに聞かされてき
タイトルを考えて更級日記と浮かんだ時、同じタイトルの文章なんてごまんとあるだろうと思って苦笑いを浮かべつつ調べたわけだが、驚くほどなかった。 たいそうな文学の名前を自分の走り書きにつけるなんてばからしいこと、おおよそ誰も思わないのだろうか。 「あなたは更級日記の少女なのね。もう、何を言っても仕方が無い。」 私は更級日記の少女なのだろうか。いやそうでなかったとしても。 人は矛盾をたくさん抱えているものだろうか。 私はその矛盾が極端なことが多い。 その極端な矛盾に陥っ