「最後のピアニスト」の退場によせて——ポリーニ追悼
マウリツィオ・ポリーニについて、以前ここにすこし書いたことがある(「「最後のピアニスト」は見事に退場したか――ポリーニについて」)。このピアニストにかんしての私の見方は、このときから大きく変わってはいない。ひとことで言ってしまえば、音楽的フォルムの構築とそこを突き破ろうとする衝動の相克こそが、ポリーニの演奏に凄絶さを与えている。
この論は浅田彰が1984年に書いたエッセイが下敷になっている(「最後のピアニスト——マウリツィオ・ポリーニを聴く」)。浅田はそのなかで、ポリーニを西欧音楽の歴史を体現する存在として描いた。その伝統がたどり着いたひとつの極点、「最後のソナタ」(柴田南雄)であるブーレーズの第2ソナタを見事に弾き切るピアニスト。「最後のピアニスト」とは、ひとつの音楽の歴史の終着点を示してしまった存在の呼称である。
これを別様に展開すれば、ポリーニは20世紀の芸術家であったということになろう。さらに言い換えれば、ポリーニはあくまでモダンの芸術家であって、ポストモダンの芸術家ではなかったし、なりえなかった。
ポリーニはかつて現代音楽の演奏は音楽家の責務だと語った。だが彼の指す現代音楽とは、ブーレーズやシュトックハウゼンら、知的構築の限界を画するモダンの作曲家の作品を意味した。それらはひたすらに表層的響きを追求する作品や、またある種の直感的感性に回帰したような作品と異なり、その自律的なあり方が演奏を通して逆説的に人間を浮かび上がらせるような作品である。
作品は構築の徹底を要求する。だがそれは同時に奏者を突き動かす。ポリーニが音楽の自律と内的衝動とのあいだで苦しんだのであれば、それはすぐれてモダンな問題であるといえる。歴史的な、20世紀的な問題と言い換えてもよい。そのあり方は固有であるにせよ、たとえばミケランジェリを、またフランソワやホロヴィッツさえ同一の問題圏にいた者の名として挙げられるかもしれない。彼らの演奏は、すくなくともそのうちのもっとも危機的=批評的なものは、西欧音楽の伝統と教養との折り合いのつかなさを生きることそのものだった。
いまではそのような演奏はほとんど聴かれない。歴史を引き受けてしまっている演奏する主体、音楽に引き裂かれた演奏する主体は、少なくなってしまったようだ。メディアを通じて万人が繋がり、あらゆる他者の包摂が理想とされる世界において、演奏家は作品と適切な関係を取り結ぶ。それが無理であれば、あるいは自由に振る舞う。もちろん何らかの葛藤が刻まれた演奏のみを優れているとする必要は微塵もなければ、21世紀にはまた固有の歴史的・美学的変動と演奏する主体の問題が存在しよう。だからその変化を否定も肯定もすまい。ただ「最後のピアニスト」、このモダンの矛盾を生きたおそらく最後のピアニストが息を引き取ったとき、20世紀のピアノ演奏史もひとつの終わりを迎えたといえるのかもしれない。
いずれにせよいまは無責任な文明論はほどほどにして、その遺された演奏に耳を傾けるときだろう。バルトークやストラヴィンスキー、ブーレーズのあまりに見事な演奏にあらためて驚嘆するのもよい。だがここではたとえばベーム/ウィーン・フィルと共演した、いまやあまり顧みられることもないモーツァルトとベートーヴェンの一連の協奏曲の録音を挙げてみたい。
ここにささやかな幸福が聴かれるとすれば、それはピアノの硬質な音とオーケストラの豊かな響きとの相補的な化学反応の結果とも言えなくはない。だがそれよりもウィーン・フィルとおよそ半世紀分も年長の巨匠指揮者に支えられたなかでの、ポリーニの音の伸びと、そこにときおり聴かれる歌謡性ゆえだろう。トスカニーニをはじめとしたイタリアの先達が示しているように、厳しさとカンタービレとは背反しない。眉間にしわを寄せあるいは眼を細めつつ、軽く振り仰ぐあの姿から、この美音が生みだされている。
そしてやはりショパンの練習曲集に帰ろう。演奏については贅言を要すまい。だがこの歴史的録音のジャケット写真もまた、ポリーニについて多くを語っている。光の具合か、ポリーニその人の顔は、いささか白飛びしているように写る。一方で私たちの眼がもっとも明瞭にとらえるのは、その手である。かつてタマーシュ・ヴァーシャリはホロヴィッツの手の動きの美しさを「競走馬のよう」と表現したが(”The Art of Piano - Great Pianists of 20th Century”)、ここに写るポリーニの右手こそ、その形容に相応しい。この鍛え抜かれた小指側の筋肉をもって、ポリーニは自らの衝動を抑え、あの輝かしい響きと構築美に昇華させた。その後半世紀にわたり続くことになる演奏のありようが、その戦いの様相が、すでにしてここに刻まれてしまっている。