ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(講談社学術文庫) 言語学者でもある著者の家系は再洗礼派だそうです。――再洗礼派は「他人や自分の内なる声を聞きとる能力」に特にすぐれ、過去の霊魂の理解にもしばしば特殊な力を発揮して、その内なる声を聞きとったといわれる。――p.386 解説
判断には「余地」が必要だ 自明でないところに判断の付け入る隙がある やってみなければわからない「不明さ」 が余地として経験の周縁に絶えず広がる そこを回游することが「遊び」である 遊びの中には「動的格差」が生じる 無明の中は混沌であり、画一的でなく、複元的差異が多変数的に連立する
遊びとは、真剣に生命の全てをぶつける行為なのである。 「片手間に、自分の命を危険に晒さないで愉しむ」――そんなことで、本当に充実して生きられるのだろうか? ――岡本太郎(芸術家) https://note.com/studio482/n/n2e22b63eff2a
本来の『遊び』とは、日常から離れ、利害得失から逃れることが重要であり、制約を受けた時間と空間の中でオリジナルな規約をもつのが『遊び』である。 ――ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』 https://note.com/sudden_gleam/n/n744d5607ba06
タイトルに惹かれて読んだのですが、「遊び」が「人間とは何か?」という問いまでに繋がり、生き方や教育についても考えることのできる内容でした。面白い。因みに、同じタイトルの堀江貴文の本も読みました。こちらの本とも通じる部分があり、「遊び」はキーワードになるかもと思いました・・・