今回の記事は、本書の前半、第一章から第六章に触れます。
私たちが遊びたいと思うときは、時空を超えて、五次元意識を取り戻して、別の時空に飛び込みたいと考えます。また、同じ時空に飛び込むにしても、五次元意識から時空を俯瞰しているので、新たな視点を持ち込めます。
五次元意識のことを神聖な遊び心と言い換えても良いのではないか。
以上、言語学的制約から自由になるために。
なお、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』では、遊びを「競争」「偶然」「模擬」「眩暈」の四つに分類していますが、ホイジンガさんの「競争」は、他の三つと同じ哲学的平面にはありません。