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【世界考察32】本など一冊も読まない人生

理想的な人生とはなんだろうか。金を稼ぐことか。地位を手に入れることか。名声にまみれることか。キラキラした世界で承認されることか。世界に名を轟かせることか。オリンピックで勝つことか。子を産み、育て、老いて、子どもにそっぽむかれて、ひっそりと人生を終えることか。1000年に一人の人物として歴史に名を残すことか。

当然、こんなことに一般性などない。人の数だけ理想の人生はある。

私の理想の人生は、毎日楽しくやっていくことである。随分漠然としているが、想像してみると、理想の人生に本を読む行為は含まれない。noteの記事を書くことも含まれない。そもそも、知的な作業は含まれていない。能力主義とは何かなど考えることもない。物理や数学の問題を解くこともない。知的作業とは一体何なのだろうか。本来のヒトの幸せから遠ざかっていく作業にようにも思える。

私の中では、幸せな人間とは、本など一冊も読まない人間だ。そのような感情が抜き難く存在する。本を読むという行為は理想から逸脱していく行為である。しかし人は逸脱の中でしか生きられないと言ったのは吉本隆明だ。いつも出てくる人である。私の人生は理想の人生から逸脱しているが、そもそも人は理想通りには生きられない。それで話は終わる。

なぜ人は全てが楽しいと感じるように変化しなかったのだろうか。喜怒哀楽があるのは(ない文化圏もあると聞くが)なぜなのか。人は楽しいだけでは耐えられないらしい。環境にも、自分にも、耐えられない。

楽しいとは満足である。人間はなかなか満足できないようにできている。できたとしてもそれが長続きはしないようになっている。長続きしないから欲自体を放棄しようとした思想もある。究極の解決法だが、誰にでも実践できるわけではないことは、大方示されている。

なぜ満足が長続きしないのか。長続きする人はどうなるのか。生きてるだけで満足であれば、人は生きること以外は何もしなくなるかもしれない。人は生きること以外の事をやる。数多くやる。生きる事以外のことをやるのが人間と定義してもいいかもしれない。ホモ・ルーデンスという定義もあるくらいだ。そうなると、不満足であることが、人間の定義とも言える。不満足であるがゆえに、現状に満足しないがゆえに、宇宙まで辿り着く文明を作り上げた。常に何かに満足しないことは、人間にかけられた呪いである。あるいは祝福なのか。呪いと捉えるか祝福と捉えるかは人それぞれだが。


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