ブラフマ ( ˘ω˘ ) エメリッヒ
考察一覧
『ホモ・ルーデンス』の読書メモを書いていたが、最近の情勢と合わせて政治的な話を書かなければならず躊躇した。 『ホモ・ルーデンス』の原語版が出版されたのは1938年(翌1939年に第二次大戦が始まる)、ホイジンガがそれを執筆していたのは1930年代であった。折しもドイツではナチ党が躍進していた時期に、軍国主義・全体主義(ナチズム)の危うさをひしひしと感じながらホイジンガはこの本を執筆していた。 このような背景を踏まえると、本書のところどころにあるドイツ語による読者への
『ホモ・ルーデンス』に付箋を付けた部分の文章を紙のノートへ引用し、それぞれにメモを付けた。だらだらやっていたら5ヶ月も掛かってしまった。読み返している間にも付箋の箇所が増えるので、紙へ書き込む量が増えていくという無限増殖を乗り越え、ついに終わった。 メモを書いていくうちに色々と思いついたことがあって、膨らませれば記事のネタになりそうなものも何個か出てきた。追々まとめて記事にしよう。 記事候補ネタのリスト 形象化プロセスと形象化サイクル 原始農業における遊戯の要素に
・『ホモ・ルーデンス』の付箋を貼ってあるところをノートに書き抜いて、それぞれに自分なりの解釈や現代における例などを補足で書いている。 大体全体の半分くらいまではノートに書き残せた。 ・コロナでずるずると再就職を避けてきたが、そろそろ頑張ろうかと思う。しかし、いざ家を出るという段階になって親が難癖つけて足を引っ張ってくる可能性が捨てきれない。やれ「いままでの〇〇費を払え」「土下座して謝れ」など、考えられる可能性はたくさんある。 解決策としては、事前に外部へそのまま住める場
・哲学めいた文章を書くために前提知識を吸収しないといけないなと感じていたので、いきなり哲学書を買ったりして挫折するのを避けるために解説動画を見てざっくりした概要を学ぶことにした。 近代哲学でデカルト、カント、ヘーゲルが有名なので、Wikipediaを併読しつつダラダラ動画を漁って見ていた。ヘーゲルについてまとまった動画シリーズがあったので見てみたが面白く、自分のnote記事で書いた形象化プロセッサとすごい似てるのでビビった(順序的に言えばヘーゲルの精神現象学に俺の考え方が
正月も明けたのでそろそろ真面目にやるか。 今日は筋トレをした。フロントサイドのメニューだったのでスクワットが多少きつい。結構サボっていたがアームカールは楽だった。
手帳メモから紙のノートへ清書した。この作業が効率悪いなと思っていたが、書きながら思考が整理できたりして意外に有益だった。自己形象化について雑多な思いつきが意外な結論になった。 付箋がうまく使い切れない。 いや、普通は付箋を使い切ることはあまりないだろうが、3色セットの付箋を使っていると、特定の1色だけ先になくなり買い足さないといけなくなる。 そして先日付箋を買い足しに行ったのだが、3色セットの付箋があろうことか売り切れていた。なぜ... 私は付箋売り場に立ち尽くし
筋トレ系の話。 以前は2週間で1サイクルのメニューなどを作って地道にやっていたのだが、一度サボるとまた復帰するのに気力がいるし、一日にやるトレーニング量が分散しすぎてそれほど効果が感じられなくなっていた。 それから1週間1サイクルの筋トレメニューをいろいろ参考にしながら考えていた。 2週間1サイクルの時は、1週間目の月、水、金、日、2週間目の火、木、土がトレーニング日で間に1日休息日を入れていた。トレーニング日を連続させないようにするのは良かったが、軽いトレーニ
並行して読んでいた本を読みきった。 前者はざっくりと現代の言語学について知ることができた。1995年の本なのでここ20年くらいの動向がわからないが、言語学の概観はつかめたと思う。 後者はホモ・ルーデンスの新装版である。旧版が活版印刷の活字のため文字が小さく濃淡のばらつきもあり読みづらかった。また注釈がまとめて巻末にあるので参照しづらかった。新装版ではフォントも大きくなり、ギリシャ語や古ノルド語の字形も判別しやすくなった。注釈も章の終わりごとに分けて記載されている。
今日は手帳にメモしていた遊戯論の思いつきを紙のノートメモのほうへ清書した。 全部ノートメモのほうへ書き込めという話だが、やはりすぐ書ける手帳の方に書いてしまう。
前提 ここでは形象化プロセスの説明で使用した「鋳型と鋳物」の比喩を、すべてオブジェクト指向プログラミングにおける「クラスとインスタンス」に置き換えている。後者の言葉に馴染みがない場合は「鋳型と鋳物」に適宜読み替えてほしい。 受動的な自己イメージクラス構築 形象化プロセッサは自分自身さえ形象化する。 しかし前回の記事で述べたように形象化プロセッサは形象化プロセッサ自身を直接認識することができない。 そこで形象化プロセッサは自身に関する情報を間接的に知覚・認識し、自己イメ
「形象化プロセッサによる自己形象化」の記事を書いた。 下書き保存して明日もう一度読んでから投稿する。 ・いまさら哲学の情報収集 遊戯論をやっていたらなんか哲学めいた事になってきたので、哲学史をいい感じにダイジェストで知りたいな~と思っていた。 そういう本があるかなと思っていたが、先に動画を見つけたので視聴してみた。 5時間もあるのでちょっとずつ分けて見た。 いやぁ、似たようなこと言ってますねぇ!イデア論とか! これそのまま、って訳ではないけど、自分の参考にしている
自己を指し示すものは形象化プロセッサを前提にすると3つもあることになる。 説明が無限にめんどい。
形象化プロセッサの自己形象化には受動的な面と能動的な面があるが、能動的な自己形象化についてイマイチ掘り下げが足りないように思える。 結論としては自己と自己イメージの乖離は危険やからバランスが大事ですよねって感じになりそう。が、おまけの思考実験でかなりエキセントリックな結果がでた。
「形象化プロセッサによる自己形象化」についてまとめている。 やる前は楽勝やろと思っていたが、書いた時期によって記述が違っていたり、 これを書くには前提としてあれも書かないといけないみたいな事になっている。 徐々に形になっているがめっちゃ分量増えそう。
ワクチン一回目を摂取したあと筋トレを止めていたが再開した。 当初考えていたよりもはるかにコロナウイルスが広まっていて、就職活動再開もいつになるか分からない。さすがにスキルを鍛えないといかんな、ということでボチボチ最新技術を収集している。 VS Codeは既に知っていたが、詳細な部分があやふやだったので勉強し直した。拡張機能を多少心配になるくらいインスコしまくった。 Javaの次期LTSバージョンであるJava17ではパッケージ周りが整理されモジュール機能が導入。JREの
この記事で言及した「形象化プロセッサの自己形象化」と「チューリングマシン(オートマトン)としての形象化プロセッサ」について。 「形象化プロセッサの自己形象化」は、上記の記事で述べた形象化プロセッサの自己認識についてより突っ込んだ話になる。カメラの比喩ではあまり細かい部分のニュアンスが表現しきれなかった。メモを書いてあるのでたぶんすぐ記事にできると思う。 「チューリングマシン(オートマトン)としての形象化プロセッサ」は漠然とした内容だが思いついたので書こうと思った。し