ひろっさん
人類は生き延びるために言語を共同創造してきました。その言語に、地球人ならではの英知が隠れていないだろうか。
よく読まれているらしい記事がこちらです。(改2024年10月)
スピリチュアルな見解もあわせた探究です。
まず初めに、混沌のままに、なぜか(why ?)と問われます。その問いが、後に、オノマトペ表現となり、形容詞へと進化します。そこで問われなかった物事は、動詞ではなく名詞でもない動名詞か副詞となります。 次なる問いは、動名詞になりえる物事へ向けられます。男性性が優勢なら、何か(what ?)と問い、女性性が優勢なら、どうやってか(how ?)と問います。後に、何かが名詞となり、どうやってかが動詞となります。 日常的には、初発のなぜかという問いが無意識になされるので、始めに意識
相手意識とは、文章や会話などの受け手がどのような人であるかを気にすること。その意識を、言葉が届く範囲によって、四段階に深めるよう提案します。無意識にこなすよりも、意識した方が楽になります。 ・言葉が届かない相手へは、信頼と期待を寄せて放っておきます。 ・書き言葉が届く相手には、事実が伝わることを願います。 言葉の内面的な意味は、時代や場所が支えています。その時代や場所を知らない読者に伝わる意味は、言葉の外部、文字通りの表面的な意味に絞られます。だから、書き手は、納得する事
人の視覚の網膜は、光の粒子、一粒一粒の変化に反応しています。そして、その刺激の量が一定以上になると、「見た!」という信号を発します。 さて、ここからが本題です。 龍は透明なエネルギーの流れですから見えません。しかし、龍の輪郭に注目してください。輪郭部分では光の屈折が微妙に異なります。そこにある微妙な変化に、網膜は反応しています。が、見えない。 視覚したことを見たことにする仕組みが邪魔して、見えない。 △ 哲学者なら、純粋視覚の内容を分析し、龍のようなものを立体的に組
古代ギリシアについての書籍は多々ありますが、私が最も興味を持った内容は、一日の始まりが寝ること、というものです。夜寝ることが一日の始まりで、朝目覚めると、一日の後半が始まります。古代ギリシア人は、一日、二十四時間、充実した生活をしていたようです。 ただ、それを記す書籍の名前を忘れてしまいました。 もし、ご存知の方がお見えでしたら、コメント欄にて教えて頂きたい。 さて、古代ギリシア人の常識は、次のようなことだと思います。 夜寝ると、魂が四次元以上の世界に解き放たれます。そ
魚類が海の英知を生きるように、 鳥類が森の英知を生きるように、 人類は、街の英知を生きることができるだろうか。 そもそも、英知ある街を共同創造しているだろうか。 ニューヨーク市の街などは、大自然を排除した社会づくりを模索する西洋人の模範解答としてあるが、その街の英知を生きると、人体の機能が退化するので、退化を補完する人工知能(AI)に頼らざるを得なくなります。 もしも、ネイティブアメリカンが言うように、人体が動物植物鉱物の英知が集約した物なのだとしたら、自然な人体は、街に
今回の記事では、私が8か月経っても気になる日経サイエンスの記事を紹介します。2024年1月号のpp.50-56にありました。ラットの脳細胞がトーラス(ドーナツの表面)を使って周囲の環境を地図化しているそうです。 ラットの脳では特定の場所にいるときに発火するグリッド細胞が六角格子上にあることを、神経科学者が発見しています。 そして、トポロジー研究者が、その発火パターンから平行四辺形を取り出して、平行四辺形の四隅を貼り合わせたトーラスの形状にしました。この操作は、トーラスが物
物語の作者は、次の図の中央にいて、物語全体を俯瞰していますが、物語の読者は、図の外側を時計回りに巡っています。 図の中央では、一文の長さの意識が反時計回りに巡ります。 英語の場合は、図の「質問」から「対峙」「探究」「説明」「信頼」へと巡り、主体から状況へ意識する傾向がありますが、 日本語の場合は、図の「協力」から「期待」「納得」「学習」「受容」へと巡り、状況から主体へ意識する傾向があります。 ところが、物語全体の長さの意識は、時計回りに巡ります。 たとえば、昔話研究家の
英語圏ではパラグラフの書き方を小学生から教え始めますが・・・。 意図を明確にするためのトピックセンテンス 自我の考え方には特徴があります。共同創造した大自然の創造過程を忘れる自我ならではの考え方です。たとえば「風が吹けば桶屋が儲かる」と言い、その途中経過を省略します。そして、その途中経過を忘れるのです。 トピックセンテンスの内容は、できることなら、自我の主題にすべきです。マスコミが提供する主題だと、自我の実生活に接地(グラウディング)していないので、無駄に働かされること
私たちは、言葉にする瞬間、 認知が名詞文を起こし、知覚が形容詞文を起こし、直感が動詞文を起こし、それらをまとめてバランスを取る自我は主題を提起します。 主題文・名詞文・形容詞文・動詞文、それらを下図のように配置してできる中央の間には、おそらく、言葉で洗脳されない霊性があります。 言葉に没頭すると、霊性が八方塞がりになりますが、そもそも霊性は言葉の地平から解放される高次元の存在です。 さて、人々の作文を比較して分析すれば、 主題文がまずい人は、自我のバランスが崩れていると
今回の記事は、関連する気づきの覚え書きです。 最近、中沢新一『構造の奥』(講談社選書メチエ)を読みました。 私は、その第三章の「重力論と贈与論」から視点を得て、 物質化に関わる重力と、その周辺で起こる赤方偏移を気にしつつ、 言語化に関わる贈与と、その周辺で起こる事態を気にしながら、 マルセル・モース『贈与論』(岩波文庫)を読んでみました。 その書物から「等価交換」「純粋贈与」「返礼義務」を取り出したい。 経済学では、経済活動の本質が「等価交換」なので、お金で買えない物
およそ八歳までに、挨拶の言葉「おはよう」が使えるようになると、それの潜在的な影響を忘れてしまいます。あなたは、どんな心境で、「おはよう」という言葉を習得できただろうか。 とくに、睡眠中、四次元以上の世界で、自由自在に遊びまわれた子どもは、朝起きるたび、思い通りにならない現実に失望しています。失望感とともに習得した言葉は、使うたびに失望感も喚起しているのです。 可哀そうな私 Poor me 私の場合、顕在意識では、「おはよう」の表面的な意味、いや、合図というべきか、を知っ
1990年代、戦後、50年経っても、成仏できない青年兵がいました。ハイヤーセルフに連れられて、私は、彼の救済に立ち会ったのです。 私たちが睡眠中によく訪れる、四次元世界において、 薄暗い原野に立ち尽くす青年兵を私は発見しました。 彼は言います。「来るな! ここは地雷原だ!」 私がためらわずに歩み寄ると、地雷を踏んだらしい。 △ 凄まじい爆風が、私の光の体を、素通りしました。 ▼ 青年兵はもうろうとしながらも両足で立ち尽くしています。 左足の膝下を失っているのに両足
同じ大きさの正六角形を二十個作り、それらをつなぐと、サッカーボールができます。バッキーボールとかフラーレンとも呼ばれる球体です。 その球体においては、六角形が形を整え、五角形は空気が出入りする窓口になります。六角形と五角形はそれほどまでに働きが異なります。 そこで、もっと、五角形に注目して、言い直したい。 同じ大きさの正六角形を五個つなぐと、正五角形が誕生します。 その五角形の無意識は、周辺の六角形を参照しながら、五角形の中心を通る第三次元目の垂線を導きます。ただ、そ
動画編集者は、カットとカットをつないでシーンを作り、シーンとシーンをつないでドラマを作り、ドラマとドラマをつないで物語を作る。 (英語の考え方です) 物語は、ドラマで構成され、シーンで構成され、カットで構成される。 (日本語の考え方です) 一カットは一文に相当する。 周波数が変わるたびに句点が打たれる。 一シーンは一パラグラフに相当する。 調和の仕方が変わるたびにパラグラフを切り替える。 人間関係が変わるドラマごとに文脈が、生理的時間が、異なる。 個人の都合で「質問」
およそ3000年前、沈黙するしかない無分別智の領域から、言語活動によって自我が誕生すると、人類は、認知バイアスや個人的な直感、人の知覚機能が表面化して、内なる自分とつながりにくくなりました。 次の図は、マヤ文明のピラミッド「チチェン・イッツァ」の頂上にある神殿の間取りです。古代人は、どんな意識で生きていたのだろうか。 私は、次の図のように、文法用語を配置しました。 スピリチュアルな探究はつづく・・・。 文字に基づく言語意識の誕生は3000年前
次の図のように、三つに分けると、効率よく探究できます。 6と12角形(6&12 note beat)が、原子核レベルの交流です。 8と16角形(8&16 note beat)が、素粒子レベルの交流です。 5と10角形(5&10 note beat)が、遺伝子レベルの交流です。 原子核の特徴は、パラグラフにどう反映しているのだろうか。 一文をかみ砕いてパラグラフにする書き方があります。一つの主題文にその支持文を三つか四つ追記して一まとまりにするのだが、そうすると、長文を読