#8 人間社会は遊びからはじまる
「プリミティブな教育」シリーズとして、太古の教育のことや自然とともにある教育について、調べ、感じたことを綴っています。
今までの教育の活動から、大事なものは引き継がれていくように。
また、子どもたちも、子どもと一緒に過ごす大人も、生活・時間・人間関係などの面で無理がない形(継続)ができるようにと願って集めたことです。
今までの教育の活動から、大事なものは引き継がれていくように。
#1はこちらからどうぞ(#1 狩猟民族の子どもたち)
前回は、ホイジンガの著書『ホモ・ルーデンス』(人間は遊ぶいきものという意味のことば)から、
遊びとは、そもそもどういうものでしょうか?
ということをまとめました。(#7 遊びとは?ーホイジンガよりー)
そしてまた、遊びは反復や繰り返しが大事な要素であると書きましたが、今回は、それはなぜなのか?ということをまとめていきます。
遊びの原始的なかたち
原始的な遊び、遊びのはじまりは、どのようなものだったのか?
本のなかでは、
自然界で起こった出来事
とくに、人間にとって幸福をもたらしてくれた出来事
驚くような自然現象
この、出来事に対する人間側の解釈を、
その場にいなかった人にもわかるように伝える
そうしたことが、遊びのルーツであると書かれています。(P49)
星の位置が変わること
五穀が実ること
季節の移り変わり
生命の誕生
こうした、自然界の奇跡的と思える出来事を
祭事の中で、自由な想像力で演じて遊ぶ
これは、人間社会の中で
人間同士が、自然の奇跡を分かち合うためであり、
繰り返し何度も、演じ遊ばれることによって
「これは、現実なんだ」
と、人間社会の中で共通の理解をつくっていく作用があったようです。
遊びと繰り返しは、こうした大事な結びつきがあるのです。
演じる遊びは、分かち合いでもあり教育でもある
こうした演じる遊びは、自然の奇跡、美しさの分かち合いという側面もあり、また、教育的な側面もあるのではないでしょうか。
時間や空間の秩序といわれる感覚
月や季節、太陽の運行
こうしたものが、人間の間で育まれていったようです。
こうして、自分たちの暮らしの中に必要な共通認識を育てたり、自然に対する教訓のようなものを、伝えていく作用があったと考えられます。
また、舞台芸術としての演じるという行為も、
もとを辿れば教育であったのだという説もあります。
舞台芸術については、自然そのものというよりも、人間について。人間の感情や心の動きについて、認識を育てていくということでもあるかもしれません。
共通の世界観=神話
河合隼雄さんは、神話とは、ある共同体の中で持っている共通の認識・理解であると言っています。
そう考えると、演じて遊び、自然についての共通理解をつくっていくという行いは、神話をつくっていくことと同じであるように感じます。
神話を忘れた民族は100年以内に滅ぶ
というのは、イギリスの歴史学者であるトインビーの言葉です。
ひとりの人間は、他のだれかと完全に理解し合うことは出来ません。けれど、自分の持っている世界観、考えていること、そのほんの一部でも誰かと共有することができれば、嬉しい気持ちが湧いてきたり、その人との特別なつながりを感じられます。
同じ共同体の一員だと感じること、自分の家族の延長のようなつながりを人に感じること。これが神話によって、何度も何度も確認されていくことにより、共同体を維持できる、ということかもしれません。
それは何も、国のような結びつきだけではなく、企業のヴィジョンや、チームの目標のようなものも同じことですよね。
繰り返し、繰り返し、確認して結びつく。遊びは、そのために生まれたのだとしたら、人間は遊ぶことで、社会をつくり繁栄してきたのだと言えるのかもしれません。
【参考文献】『ホモ・ルーデンス』(中央公論新社, 2019 ,ホイジンガ)