究極のところ、自分が味わいたい「〜感」は何だろうか。幸福感、安心感、コントロール感…など、人によって違うだろう。その感覚が欲しい、だからこそ追い求めるわけだが、ときには追い求めることを手放すと、逆説的にその感覚が手に入ることがある。捉え方次第で、今この瞬間にも感じられたりする。
パラドックスって 正しいって思ってる前提でも、受け入れがたい結果が得られるか・・ つまり逆説? 見えてるものが素晴らしくても、全て正しいってわけでもないのかな😅 矛盾してても柔軟な頭も必要だな💦
うまくいっている誰かの行動を 「ほんの一部だけ」変えて真似してみる 一度やっただけなら「ほぼパクり」である 次に、近いジャンルで ヒントになりそうなものを 「ほんの少しだけ」取り入れてみる これを繰り返せば いつしか「個性」が生まれる さながら 「テセウスの船」のごとし
悪いことをした人たちはお金がたくさんあるから別に困らないよ。残念ながら人間界は誠実に生きている人にはお金は巡ってきません。でも。それでも愛に生きるのです!悪い人間に染まってしまったらお終いよ。お金には意思はないです。energyでもないです。私はお金とは意思の疎通ができません。
「これしなければならい」という思いと、「これしたい」という思いは、一見すると似ているが大きく違う。前者に意識を向けるとパラドックス(反作用)が起こりやすい。意識は、そこに力を与えているから、エネルギーが増大してしまう。。納得