ゼノンのパラドックス
ゼノンという人物をご存知でしょうか。ゼノンとは、古代ギリシャの哲学者です。「ゼノンのパラドックス」を唱えたことで知られています。「オイラもオリジナルの呪文を唱えているけれども、誰にも知られてないんだよなぁ。どう考えても不思議だ。これもパラドックスになるのかい?」という質問には「なるわけないだろアホンダラ」とお答えしておきましょう。明朗快活。腸内洗浄。永久追放。
ゼノンは様々なパラドックスを唱えていますが、中でも有名なのは「飛ぶ矢は飛ばない」というパラドックスです。これは「矢が飛んでいる間のどの瞬間を取っても、矢は止まっている。どの瞬間を取っても矢は止まっているのだから、その止まっている矢をいくらたくさん集めても、その矢が運動していることにはならない。だから矢は飛んでいない」というものです。要約すると「写真をたくさん集めても動画にはならない」ということになります。
このパラドックスは、一見すると正しそうに見えます。ですが、かの有名なアリストテレス大先生が堂々たる反論を展開しています。アリストテレスは「運動とは一定の幅のある時間で位置を変えるものであり、制止とは一定の幅のある時間で位置を変えないものである。瞬間とは『幅のない時間』のことなので、その瞬間において運動しているか静止しているかを断定することはできない」と言っています。要は、瞬間は「点」であり「線」ではないということです。「点を束ねても線にはなり得ない」ということですね。