F.マイケル

宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

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宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

最近の記事

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宗教や信仰についての雑記 #0

◯はじめに この投稿は宗教や信仰に関して、私が個人的に感じたり疑問に思ったりしたことを記すものです。 これはこのような話題について話し合う人がいないので、この場を借りて記しておきたいという個人的な理由で投稿するものです。 他の方々は宗教や信仰についてどのように考え、感じているかを知りたいと思いますので、そのような問いかけに対してコメントをいただければ嬉しいです。 私と同じように、このような話題について話し合いたいのに、そのような人が自分の周りにはいないという方はいらっ

    • 宗教や信仰についての雑記 #245

      ◯強制的な不妊手術の問題 先日、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制されたとして全国各地で続いている裁判で、原告・弁護団と国が和解の合意書に調印したというニュースを見ました。 この強制的な不妊手術の問題には、「生きる意味」ということが関わっているように思いました。 人は皆、生きる意味を求めていると思います。自分の存在意義や人生の意味がなければ、誰も前向きに生きてはゆけないと思うのです。 ですから、たいていの人は何かしらこの「生きる意味」をどこかに見出しているのでしょう。

      • 宗教や信仰についての雑記 #244

        ◯アイデンティティの輪郭線 前回の投稿で、人間の限界や弱さへの視点を欠くことのリスクについて書きました。 このような視点を持つことは、それらのリスクを回避するだけでなく、我々の存在の根本的なところと関わっているように思います。 人間は、身体的な限界だけでなく、知覚や認知の限界も抱えています。この有限性を自覚し、ありのままの自分を受け入れることことは、自分自身を客観的に捉え、より深い自己理解へとつながります。 つまり、人間は自分自身の限界を認識することで、自己のアイデンティ

        • 宗教や信仰についての雑記 #243

          ◯人間の限界や弱さへの視点 前回の投稿で、心身の強い人の「神様は要らない」というような意見には、人間の限界や弱さへの視点が欠落しているように思います、と書きました。 このような視点を欠くことには以下のようなリスクがあるようです。 ①責任の回避: 自身の失敗や過ちを、自身の弱さではなく、外部の要因に責任転嫁しようとする傾向が強まります。結果として、自己成長の機会を逸し、道徳的なレベルが低下する可能性があります。 ②他者との共感の喪失: 自身だけが特別であると信じ込むことで

        • 固定された記事

        宗教や信仰についての雑記 #0

          宗教や信仰についての雑記 #242

          ◯心の貧しい人 前回の投稿で、聖書の「心の貧しい人」には様々な解釈があることを書きました。 それらの中で個人的には、何の美点も誇れるものもない拠り所を持たぬ心という解釈が、最も自分に合っているように思えました。 他者に優しい、思いやりのある人物でありたいと願っても、現実には己の心身の弱さから、自分のことを優先してしまうことが頻繁にあります。 そのたびに、自分はその程度の人間でしかないと感じてしまい、気分が沈み込んでしまいます。 そんなふうに感じる人は、おそらく少なくは

          宗教や信仰についての雑記 #242

          宗教や信仰についての雑記 #241

          ◯教えの多義性 先日、聖書の「心の貧しい人は幸いです」という言葉がふと気になり、この「心の貧しい人」にはどのような解釈があるか調べてみました。 すると、自分の罪深さを深く認識した悔い改めの心、純粋で素直な子供のような心、神を求める霊的な渇望の心、自己中心的な欲望やエゴを捨て去った謙虚な心、何の美点も誇れるものもない拠り所を持たぬ心などなど、様々な解釈がありました。 人が聖書に求めるものは様々なので、その中の言葉一つとっても、やはりその解釈は多様になるのでしょう。 その解

          宗教や信仰についての雑記 #241

          宗教や信仰についての雑記 #240

          ◯ゴミの中に宇宙を観る瞑想 前回、私は日常の些末な雑事に対して、「つまらない」とか「くだらない」とか思ってしまうことが多く、なかなかその癖が治りません、ということを書きました。 そんなことを考えているときに、目の前にゴミ箱があるのを見て、ふと、「ゴミの中に宇宙の歴史を観る瞑想」みたいなことを思いつきました。 燃えるゴミには、太古から生きている、光合成をおこなう緑色植物の、枯死と芽生えを繰り返した悠久の歴史が宿っています。 プラスチックゴミには、これも太古に生きた動植物の

          宗教や信仰についての雑記 #240

          宗教や信仰についての雑記 #239

          ◯つまらない事 私は日常の些末な雑事に対して、「つまらない」とか「くだらない」とか思ってしまうことが多く、なかなかその癖が治りません。 そんなときふと、先日の投稿(#228)で、オートポイエーシスと宗教多元主義について書いたことを思い出しました。 そこで、以下のようなことを書きました。 「様々な信仰や宗教は、それぞれが独自の自己組織化システムでありながら、同時に、より大きな超越者の存在という共通の基盤の上に成り立っているとも言えるのではないでしょうか。」 「つまり超越者と

          宗教や信仰についての雑記 #239

          宗教や信仰についての雑記 #238

          ◯知恵の樹 先日「知恵の樹」という言葉を耳にしました。 これは皆さんご存知のとおり、旧約聖書の創世記に登場する木です。 これは善悪の知識の木とも呼ばれ、神様はこの樹の実だけは食べることを禁じました。 アダムとイヴが知恵の樹の実を食べたということは、人間が神様の創造活動、あるいは宇宙の創造過程の一部に触れた、あるいはその一部になったことを意味するのかもしれません。これは、人間が単なる被造物ではなく、創造者としての側面を持つようになった、という解釈も可能です。 しかし同時に

          宗教や信仰についての雑記 #238

          宗教や信仰についての雑記 #237

          ◯放射能除去装置 先日、福島県の観光PRの広告を見て、放射能汚染について考えました。 原発事故から10年以上が経ち、除染作業かなり進んでだいぶ安全になってきたようですが、まだ一部には、放射線量が高く、帰還が困難な地域が残っているようです。 また、除染作業で取り除いた土や廃棄物などは、厳重な管理のもと、その線量が減衰するまで何十年も保管してゆかなければなりません。 そして、事故を起こした原子炉の廃炉作業も、予定からだいぶ遅れているそうです。 こんなとき、昔のSFアニメで見

          宗教や信仰についての雑記 #237

          宗教や信仰についての雑記 #236

          ◯比較 宗教や心理学の本などに、他人と比較するのをやめましょう、といった意味のことがよく書かれています。 でもこれは、言うは易し行うは難しで、実際にはなかなか難しいようです。 小さい頃から優劣や序列といった価値観に触れることが多い人ほど、比較するのをやめるのは難しいのでしょう。また、現実に競争社会の中に在ることも、それを困難にしている大きな要因でもあると思います。 超越者を無限のオートポイエーシス・システムとみなし、人間が超越者のサブシステムであるとした場合、その視点か

          宗教や信仰についての雑記 #236

          宗教や信仰についての雑記 #235

          ◯共進化 以前の投稿(#28 , 91)で、「逆転する視線」について書きました。 それは、信仰を持った人がそのことにより持つ「全てが受け身になる」という感覚のことです。 それまでは自分が世界に働きかけていたのが、信仰を得ることにより、世界から働きかけられている、という感覚を持つことです。 それは、超越者から見守られている、問いかけられている、願われている、そして、導かれている、といった感覚なのでしょう。 しかし我々の日常生活の中では、自分の意志により決断しなければならな

          宗教や信仰についての雑記 #235

          宗教や信仰についての雑記 #234

          ◯苦悩や不遇の原因 前回、苦悩や不遇の原因を、自律的な活動による自己組織化の阻害や、物質や情報の遮断と述べましたが、それ以外に原因があるようです。 それは我々の、サブシステムとしての認識能力の限界ということでしょう。 先日の投稿(#227)でも書きましたが、超越者はオートポイエーシス・システムとしては無限なので、そのシステム内には確率的な因果関係や非線形的な因果関係、そして、非局所的な相互作用といった特質が存在していて、単純で局所的な因果関係のみでは捉えきれません。 です

          宗教や信仰についての雑記 #234

          宗教や信仰についての雑記 #233

          ◯救い 今回は、オートポイエーシス・システムとしての超越者と、宗教的な救いについて考えてみたいと思います。 一般に、宗教は世俗的な価値観から離れることで、個人が自己を再定義する機会を提供するとされています。そして、超越者との関係性の中で自己を規定し、生きる意味を見出すための枠組みを提示します。苦しむ者や恵まれない者は、この枠組みを通して自己の存在価値を再確認し、生きる希望を見出すことができると言われています。 また、宗教的な共同体は、互いに支え合い、所属感を与えることで、

          宗教や信仰についての雑記 #233

          宗教や信仰についての雑記 #232

          ◯システムの慈悲 前回の投稿で、我々は皆誰もが、時間的・空間的な広がりを持った宇宙を、心の内に持っている、ということを書きました。 なぜそのような性質を持つものが生まれたのでしょう。おそらくそれは、我々は自らの人生観や世界観に従って、自律的に活動することによって、超越者の延長された自己として、この宇宙というシステムの進化に寄与する役割を託されているからなのでしょう。 しかし、我々の中にある宇宙は、常に現実とは異なる「ズレ」があります。ときにその「ズレ」が大きくなり、相克

          宗教や信仰についての雑記 #232

          宗教や信仰についての雑記 #231

          ◯宇宙と人間の意識 宗教に関して「人格神」という言葉があります。これは、神を擬人化したものとか、人間性をもつ超越的存在とかいった意味で、知性や意志や情念などを持っているとされています。 それは言い換えれば「宇宙の意識」みたいなものなのかもしれません。 宇宙全体を一つのオートポイエーシス・システムと見れば、宇宙そのものに何らかの「意識」のようなものが存在する可能性も考えられます。これは、宇宙が自己組織的に進化し、複雑な構造を持つに至った過程で、ある種の「知性」や「意識」が生

          宗教や信仰についての雑記 #231