F.マイケル

宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

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宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

最近の記事

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宗教や信仰についての雑記 #0

◯はじめに この投稿は宗教や信仰に関して、私が個人的に感じたり疑問に思ったりしたことを記すものです。 これはこのような話題について話し合う人がいないので、この場を借りて記しておきたいという個人的な理由で投稿するものです。 他の方々は宗教や信仰についてどのように考え、感じているかを知りたいと思いますので、そのような問いかけに対してコメントをいただければ嬉しいです。 私と同じように、このような話題について話し合いたいのに、そのような人が自分の周りにはいないという方はいらっ

    • 宗教や信仰についての雑記 #309

      ◯バランス 最近、「何事もバランスが大事」といった意味のことをしばしば耳にしました。 個人的には、「バランスをとる」ということから連想するのは、仏教の「中道」の思想です。 中道とは一般に、苦行に身を捧げる極端な生活や、享楽に溺れる極端な生活の両方を否定し、その中間にある穏やかな生活を指します。 その一方で、有と無の中道という考え方もあるそうです。 それは、物事は永遠不変に存在するという「有」の考え方と、物事は実体を持たず、空虚であるという「無」考え方との、どちらか一方に極

      • 宗教や信仰についての雑記 #308

        ◯インチキ宗教 先日テレビで、インドのインチキ宗教家の話を見ました。人々の不安を煽って金品を巻き上げる人たちのことです。そこで今回はインチキ宗教について考えてみようと思います。 所謂インチキ宗教の一般的な手口は、無料の相談やセミナーを開いたり、相手の悩みや不安に共感したりして、人の心に付け入ったり、恐怖や不安あるいは絶望感を煽って、入信を促したりするすることなどだそうです。 その被害の実態は、経済的なものだけではなく、精神的な健康を損なうこと、社会的な繋がりが断ち切られ

        • 宗教や信仰についての雑記 #307

          ◯家を建てること 先日、日本の新築住宅着工件数は近年減少傾向にある、という話を聞きました 以前は「賃貸アパートから分譲マンションを経て一戸建てを持つことが人生のあがり」という考え方が多かったようですが、近年ではそのような考え方は減少している傾向があるようです。 特に若い世代では、ライフスタイルの多様化や価値観の変化により、必ずしも一戸建てを持つことが幸せや成功の象徴とは見なされなくなっているそうです。 それにはライフスタイルの変化による柔軟性の重視や、不動産価格の高騰や

        • 固定された記事

        宗教や信仰についての雑記 #0

          宗教や信仰についての雑記 #306

          ◯朝食 先日、朝食をとらない人についての話を少し聞きました。 厚生労働省の調査によると、現在日本では、特に20代で朝食を欠食する人が多く、男性の3人に1人、女性の4人に1人が朝食を食べていないというデータがあるそうです。ただ、年齢を重ねるにつれて、朝食を食べる人が増えていく傾向が見られるとのことです。 朝食を取らない主な理由は、時間がない、食欲がない、ダイエットのため、以前から食べる習慣がない、朝食を用意するのが面倒、といったものがあるそうです。 また、朝食をとらない

          宗教や信仰についての雑記 #306

          宗教や信仰についての雑記 #305

          ◯DMNと創造性 先日の投稿(#302)で、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)の働きの一つとして、創造性の涵養を挙げました。今回はそれについて書いてみようと思います。 DMNは、過去の経験や知識を思い出し、それを整理・統合する働きがあります。そのためDMNが活発になると、この内的な思考が自由連想やアイデアの流れを促進する役割を果たします。 そのことにより、普段は結びつかないような遠隔の記憶や情報を結びつけ、新しいアイデアやひらめきが生まれやすくなります。 またその

          宗教や信仰についての雑記 #305

          宗教や信仰についての雑記 #304

          ◯DMNと瞑想 前回、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と固定観念との関連について書きましたが、今回はDMNと瞑想について書いてみようと思います。 瞑想には様々なものがあるようですが、それらを大きく二つに分類する考え方があるそうです。 一つは観察瞑想と呼ばれるもので、自分の思考や感情を客観的に観察する瞑想法です。考えが浮かんだり、感情が湧き上がったりしても、それらをジャッジせず、ただ観察します。 もう一つは集中瞑想と呼ばれるもので、特定の対象(呼吸、マントラなど)

          宗教や信仰についての雑記 #304

          宗教や信仰についての雑記 #303

          ◯DMNと固定観念 前回、うつ病患者では、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)の活動が過剰になる傾向があることに触れました。 おそらくそれは、DMNが過去の出来事を思い出し、自分自身や自分の経験について考える際に活性化することと関係あるのでしょう。 そのことはつまり、DMNが活発になると、私たちの思考は内向きとなり、過去の経験や記憶に基づいた思考に囚われやすくなるということでもあると思います。 DMNが過去の経験を再生することで、私たちは現在の状況を過去の枠組みで解釈

          宗教や信仰についての雑記 #303

          宗教や信仰についての雑記 #302

          ◯デフォルト・モード・ネットワーク 先日、脳のデフォルト・モード・ネットワークについての話を聞きました。 デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)とは、私たちが特に何か具体的なことを考えたり、作業をしたりしていない時、つまり「ぼーっとしている時」に活発になる脳のネットワークのことだそうです。 この DMNは、観察瞑想中、白日夢を見ている時、過去の出来事を思い出している時、将来のことを考えている時、リラックスしている時といったような状態で活発になるとのことです。 そし

          宗教や信仰についての雑記 #302

          宗教や信仰についての雑記 #301

          ◯クマムシの遺伝子 先日クマムシの特集番組をテレビで見ました。このクマムシは体長が1ミリにも満たないほどの小さな、緩歩動物と呼ばれる動物の一種です。 そしてクマムシは、乾燥、極低温、真空や高圧、高線量の放射線、強い衝撃など、過酷な環境に耐えられる能力を持っているそうです。 番組では内の高線量の放射線への耐性について、その耐性遺伝子を、宇宙飛行士の身体に導入する構想があることを紹介していましたが、私はそれを聞いて強い違和感を感じました。 宇宙飛行士は強い放射線に曝されるリス

          宗教や信仰についての雑記 #301

          宗教や信仰についての雑記 #300

          ◯「遊ぶ」ということ 先日テレビで子どもたちの遊ぶ映像を見て、ふと、遊ぶとはどういうことか考えてみようと思いました。 「遊ぶ」ということには、ただ単なる「憂さ晴らし」や「気晴らし」という意味の他に、自由と創造性や自己発見、心の浄化といった意味も含まれているそうです。そこには人間の根源的な欲求の一つでが込められているようにも思えます。 また、遊びと関連して「レクリエーション」(recreation)という言葉もあります。これは主に娯楽や休養といった意味で用いられていますが

          宗教や信仰についての雑記 #300

          宗教や信仰についての雑記 #299

          ◯苦い味 コーヒーのラベルやファミレスのメニューに、ときどき苦味や辛味のレベルの表示がある時があります。そんな味覚について少し考えてみました。 「にがい」と「くるしい」「からい」と「つらい」や「辛酸を舐める」といった表現など、人生の苦悩が味覚と同じ字で表されることがありますが、それはなぜでしょう。 調べたところその理由は三つほどあって、まず一つ目は、味覚は文化や時代を超えて、すべての人間が共有する基本的で普遍的な感覚だからというものです。それゆえに、人生の苦悩を味覚に例

          宗教や信仰についての雑記 #299

          宗教や信仰についての雑記 #298

          ◯見ることと聞くこと 今回も前回に引き続き、見ることと聞くことについて、慈悲や愛という観点から考えてみたいと思います。 まず見ることについてですが、「みる」という言葉には「見る」「観る」「看る」といった異なる漢字が当てられることがあります。 「見る」とは、最も一般的で、無意識的な視覚行為を表すことが多いものです。 「観る」とは、意識的に対象に向き合い、じっくりと観察したり、鑑賞したりする 場合に使われます。 「看る」とは、主に人に対して使われ、世話をする、見守る といった

          宗教や信仰についての雑記 #298

          宗教や信仰についての雑記 #297

          ◯見るということ 前回、観音菩薩の名前について少し触れました。そこで今回は「見る」ということについて考えてみようと思います。 「見る」ということの宗教的な意味を考えるとそこには、大別して二つの意味があるようです。 それは、神仏といった超越者を、瞑想や祈りの実践を通して心の目で見るということと、超越者の顕現としての世界や自己の内に潜む真実を見るということの二つです。 また、「見られる」ということの宗教的な意味を考えると、祝福されること、救いへの慈悲や誓願をかけられることな

          宗教や信仰についての雑記 #297

          宗教や信仰についての雑記 #296

          ◯「聞く」ということ 仏教には「聞法」という言葉があるそうです。 これは、、仏教の修行において重要な三つの要素である聞修思の内の一つで、この聞修思とは、 聞(もん):仏教の教えを聞くこと 修(しゅ):聞いた教えを実践すること 思(し):聞いた教えについて深く考えること を意味するとのことです。 聞法は、この三つの要素の最初の段階であり、仏陀の教えや経典を聞くことによって、正しい理解を得ることを目指すことのようです。 「聞く」ということは知識や新しい情報を得るための最も基本

          宗教や信仰についての雑記 #296

          宗教や信仰についての雑記 #295

          ◯かたどる 先日テレビで、見事な彫刻の映像を見て、「かたどる」という言葉を思い浮かべました、 聖書によれば人間は神様をかたどって造られたものとされています。その「かたどる」とはどういうことなのでしょう。 「かたどる」とは、既存のものを模倣する行為と、新たなものを創造する行為の両方を包含するものだそうです。 既存のものを模倣することは、その存在の価値や意味を再確認し、共有する行為です。また、伝統や文化の継承にも繋がります。 一方、新たなものを創造することは、既存の枠組みを

          宗教や信仰についての雑記 #295