例年より紅葉が遅れているようだ。温かい日が続いている。 温暖化とか異常気象とかメディアでは騒いでいるけれど、そんな単純なものではなく、パーフェクトにバランスをとっているのが地球であり、宇宙である。まずは温かい11月を感じるのが一番。
認識というのは 実に奥が深いです。 例えば 人から嫌なことをされたとしたら 同時に好ましいことがあるから そう感じます。 もう少し分かりやすく言えば 例えば 白いものを探してくださいと 問われたら 白いものを探しますよね。 それは 白色とそうでないものを 分かっているから探せるわけです。 やりたいことが分からない という悩みを持っているとすれば やりたいことを 一生懸命探すより やりたくないことを 列挙して その逆をみていけば見つかったりします。 ポジティ
小麦や、植物油、乳製品を取らない生活を開始して早3週間。身体のむくみがだいぶとれたのと、皮膚のガサつきがなくなりみずみずしくなったのは明らかだ。お通じも良い。食を通じて身体を整えると、メンタルも安定する。日本の食とは本来のバランスに戻す作用が込められている。
誰かのために最善をつくし、 そのために提供するサービスの質を どんどん上げていく。 そうして経済発展していき より幸せな世の中に繋がっている。 このことは 常識的なことかもしれません。 しかしながら、 これには盲点があります。 それは サービスを受け取る側の 常識レベルが上がり 些細なことに感謝できなくなるということです。 感謝ができなくなると 期待が膨らんでしまい 期待に反することが起こると 妬んだり、恨んだり 怒りっぽくなったり とネガティブな感情が 増
先日、矢作直樹さんの 講義に初参加させていただきました。 数ヶ月前から 強烈に意識が向いた方でもあったので リアルでお話を聞くことができて 本当に良かったです。 テーマは食と健康。 根底にある生き方や 矢作先生が仰る「中今」のエッセンスが 詰まっていました。 私たちは戦後の政策により 物質的な豊かさを手に入れたようで 日本人たるあり方や生き方など 精神性や本来性を失ってしまったことは 明白です。 その基本にあたるものが 日本の食文化であり、 そのことにより 日本
上中下のどこの次元でみているか?これは病気を例にすると分かりやすい。下は、薬で病気をやっつける。 中は、そもそもどうして病気になったかを追求する。 上は、どうしたらみんなが健康でいられるかの立場に立つ。 下は、いつまでたっても恐れとの戦いだ。再発することすらある。
違うと思ったらスパっとやめる。これって意外と大事です。ズルズル引きずっていても結局は、足かせだけしかない。 まずやってみて、良かったら続ければ良いし、違うと思ったらスパッとやめて切り替える。この切り替えの良さが人生の質を高めるんじゃないかな。
食べ物が 精神や身体を整える。 そんな当たり前のことに 最近意識が向いている。 整えることって 自分にとって とっても自分らしくいられる ための準備ともいえる。 季節柄 きのこ類がスーパーなどに ボリューム陳列されているが、 旬の象徴でもあり やっぱり栄養面(ミネラルと食物繊維) が抜群なんだとか。 サプリメントとか プロテインとか 栄養価だけみたら 簡単に摂取できるけれど やっぱり 大地とか 自然の恵みといった 天地創造のエネルギーは そこから得られるよ
氷、冷水、温水、蒸気 どれも形を変えているものの 同じものだ。 人も同じようなことが いえる。 肉体、心、魂と。 いろんな分類があるかもしれないが いずれにしても 次元の違いであって 本質は同じもの。 さて、 人に関して 肉体が整っていないと 心も整わず 結果、 俯瞰して物事も 見えるようにならない。。 よく独楽で例えられますが 軸がぶれていと 良く回らない。。 肉体と精神が整っていると よく回る。 この中心軸こそが 天地がつながる糸だ。 これによ
お金は溢れてくるもの。その人が、その人らしく、できることを精一杯して、相手に受け取って喜んでもられば、自ずと信用と付加価値が生まれる。付加価値こそお金の源泉だ。
植物の種から、芽が出て、葉が茂り、花を咲かせ、実を実らせ、やがて種になる。この繰り返し。人間も同じようなことが言えるんだろうなと思います。生まれる前から決まっている。全てが決まっている。細切れの瞬間を、映写機で見ている。物語風に。時間と空間がより面白くしてくれているんだな。
身近に憧れる人や すごいなーって思う人が 程度はどうであれ 必ずいると思います。 その場合、 気をつけなればならないのは その人自身になろうとすることです。 徹底的にパクるとか 守破離という言葉があるように まずは真似ることから始めよう という名言もありますが それは 部分(法則性)のことであって、 全体のことではありません。 素晴らしい人がいると 全部が全部素晴らしいと 錯覚しがちです。 そうするとどうなるか、、 次第に 自分自身から離れて 疲れたり 無気
自分にとって 価値あるものには 強い好奇心が湧き どんどんのめり込んでしまいます。 それはやがて 執着になって まとわりつきます。 こうして しなければならないものが 増えていくんだと思いますが、 一定レベルまできたら 放電することをおすすめします。 私なりには 放電とは 容積目いっぱいになっている 価値観を自然に置いてくるということ。 自然豊かな場所で 散歩したり 素足であるいたり ドライブしたり いろんな方法が あちこちにあります。 ちょっとした 放
先日北軽井沢に訪れて以来、 心境の変化があってか 生活の質を見直している。 その最たるものは食事だ。 水炊き用に、野菜やキノコを鍋に入れて、鶏肉入れて、檸檬と醤油で煮詰める。少し薄いかなぁくらいがちょうど良い。 深く染みるなぁ。 お陰様で調子も良い。
昨日北軽井沢の地を訪れた。 かつて会社員時代にお世話になった 恩師の別荘にお呼ばれをしたからだ。 この別荘というが 1974年竣工の宝物のような 建築そのものであった。 そして 誰も知る詩人が 国内建築家の巨匠ともいえる方に 設計を依頼した家でもありました。 残念ながら写真を 掲げられないのですが 脳裏にしっかりと焼き付けました。 ここ数年 自然環境の中での暮らしに 憧れをいだいていましたが こういう世界が 自然との共生、 調和のある暮らしなのかもしれないなと
当たり前に 囲まれていると 見失いがちなのが 感謝という気持ち。 夫婦関係でも 職場の人間関係でも 商売でも 食べものでも 今生きている環境でも 生活のあらゆるものすべてに 当たり前というものが 存在しています。 ありがたいなぁ という気持ちを感じるのと 当たり前だよね という気持ちでいるのとでは 味わいが変わってきます。 例えば、 喉がカラカラで ようやくして 飲めた水の味は おいしいと感じます。 このおいしいという 感覚はどこからきているのか? 成分は