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【読書ノート】「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」

読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』著.影山知明です。


✅本を手に取ったきっかけ

「世界は贈与で出来ている」という本を読んでいて、より内容を深掘りして理解するために、同書籍内で参照されているこの本を手に取りました。

別記事にて「世界は贈与で出来ている」についても読書ノートを書く予定ですが、合わせて読むと、更に自分の中での理解が深まる、そんな2冊です。

✅書き留めたところ① AもBも、どっちも

ビジネスとスローの間をいくもの。
「ゆっくり、いそげ」。
AかBか、ではなく、どっちも。

「ゆっくり、いそげ」 p.5

実際自分としても、現在の経済・ビジネスを根本から置き換えるものを考えているというより、それを補完し、ときにもう一つの選択肢となり得るようなモデルを思い描き、実践しているという感覚だ。

「ゆっくり、いそげ」 p.6

矛盾しながらも相互に依存する二つのもの、
AもBも両方実現しようとすること。


このような考えは「両立思考」「パラドックス思考」と呼ばれることがあります。

大切なことは、双方が、矛盾しながらも相互依存していること。

この本で言えば、
「私」と「あなた」という代替不可能な人間関係と
「私」と「それ」という代替可能な商品経済が、
矛盾しながらも相互依存していること。

これが実現している様子が描かれていることがとても興味深く感じました。


✅書き留めたところ② システムがそうさせる

 ここで不思議な現象が起こる。
 ベンチャー企業の経営者も、ベンチャーキャピタリストの自分も、投資元企業の担当者も、そして実は投資元企業の経営者だって、一人として「個人としてはそのことを必ずしも強烈に望んでいるわけではない」のに、気がつくと誰もが「売上・利益の成長」に向けて働くことになっていくのだ。
・・・
 ここに「お金を増やすべし」という約束の数珠つなぎが成立する。
 そこに関わる人々の多くが、「個人としては」必ずしもそれを、他の価値を押しのけてまで求めているわけではなかったとしても、だ。
 つまり、ベンチャー企業をBの選択肢へと駆り立てるのは何なのか?と聞かれるなら、こう答えるしかないー「それはシステムがそうさせるのだ」と。

「ゆっくり、いそげ」 p.84-85

今までは、技術的な観点から駆動できなかったシステムが、駆動し始めているように感じます。

情報技術の発達により、

距離を超えたコミュニケーションが可能になり、

「お金をふやすべし」という最大公約数的な願いだけでなく、

多様で小さな願いを持つ個人を

同じ願いを持つ個人と結び付けること
を可能にしてきました。

システムが徐々に拡張してきている。

そのように感じることが出来る本です。

✅書き留めたところ③ 受け手の存在

 本当は、「受け手」の存在が「贈り手」を育てる。

 まだ世の評価が定まらない仕事であったとしても、それを受け止め、価値を見出してくれる「受け手」のあることが「贈り手」の背中を押す。仕事の主の勇気になる。受け取ってくれる人の笑顔が、「贈る」ことのよろこびを教えてくれる。

「ゆっくり、いそげ」 p.124

「受け手」が「贈り手」から何かを受け取ること、

これにより関係性が生じます。


貨幣経済は、ときに、この関係性に錯覚を生じさせます。


一時的に大金を稼いだ人は、
そのお金が、「贈り手」から「受け取った」ものであるにも関わらず、
「自分自身に内在していたもの」と捉えてしまう。

誰かから必要とされて出来た関係性の先に得た価値なのに、
自分自身に価値があると錯覚してしまう。

すると「受け取ること」の喜びが感じられず、
「受け取ったもの」を当然のものと考える。

貨幣という尺度は、
すべてのものの価値の尺度となるがゆえに、
自分自身の尺度がお金であると錯覚してしまう。

本当は、それが、誰かから贈られたものであるにも関わらず、
自分自身が初めから持っていたもののように振る舞う。

貨幣は、ときに、「贈り手」と「受け手」の関係性を分断するものだと頭に浮かびました。

✅書き留めたところ④ 人に仕事をつける余地

 それは「人に仕事をつける」ということでもある。誰か特定の人に合わせて仕事が生まれ、その人を失うとその仕事自体が失われる。
 経営学の教科書ではむしろ逆のことを教えられる。「仕事に人をつけよ」と。なぜなら、仕事を属人化させてしまうことで経営が不安定なものになるからだ。
・・・
 ただ、「仕事に人をつける」ーそれを突き詰めていくと人はどんどん「替えのきく」存在になっていく。Aさんがいなくなっても、何事もなかったようにBさんが現れその役割を代替する。
・・・
 しかしそのことを徹底すればするほどメンバーにとっては、「自分なんていなくなっても誰も困らない」と、自分の存在意義自体への疑念にたどり着く。
 「一人一人が、かけがえのない存在である」なんてのは経営者としてはロマンチック過ぎる判断かもしれない。
 けれども、少しはそう思える余地があったっていいじゃないか。
 そう思うから、クルミドコーヒーでは「人に仕事をつける」。それぞれの人生から必然性をもって立ち上がってくる動機に機会を与える。だからお店が、その向こうに作り手の気配が感じられるようなモノゴトで満ちる。

「ゆっくり、いそげ」 p.160-161

「少しはそう思える余地があったっていい」

これは、経営において、重要な要素です。

「私」と「それ」
「私」と「あなた」

これが両立することで、組織と個人の関係性がよりよいものになっていく。

どちらかではなく、どっちも。

最近、この塩梅をどのように組織の中で構築すべきか、自分の中で模索しています。

✅読後メモ 情報技術のその先に

情報技術の発達は、

個人の衝動的な想いを拡散する力を強め、

想いを共感するコミュニティを構築する力を強めています。

これによって、
「私」と「あなた」
「私」と「それ」

という矛盾しているけれど、
生活する上で相互に依存する2つの関係性を
両立させることを徐々に可能にしています。

スローダウンとファストを両立させること。

最近読んだ、下記3冊の本も、両立思考がテーマであったように感じます。

矛盾しながらも相互に依存する二つのもの、
AもBも両方実現しようとすること。

非常に興味深いテーマです。

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