おざわ ようこ
早稲田大学商学部→武蔵野美術大学大学院→(早稲田大学/上智大学大学院)→小林秀雄研究など
学部時代からの難治性うつ病とその過剰服薬を止めることからくる後遺症から再生しつつある30代後半のつぶやき😊前の記事はこちら→
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DSMが「バイブル」になってしまうまで①-ピネルからクレペリン、フロイトを経てDSM登場まで-過去の診断の流行を知ることから⑧-
近代科学に比べると、精神医学にルネサンスと啓蒙が訪れたのは、19世紀初め、と、思いのほか遅かった。 テーマがあまりにも複雑であったためであろう。 また、天文学や生物学で一般法則を他見つけ出す方が、精神医学で明確な発症機構を見つけ出すよりも早かったのである。 さらに、近代科学は一般理論化に適したテーマをはじめから賢明に選んだともいえるかもしれない。 さて、ピネルが近代精神医学を創始したあと、独創性に富んだ精神疾患の分類が続出した。 19世紀の後半には、精神疾患のさまざ
デビュー作『様々なる意匠』 における「人間喜劇」から「天才喜劇」への転換にみる批評の根本原理-小林秀雄のベルクソン論である『感想』から②-
小林秀雄の批評は、認識を徹底的に批判し、否定する側面と、逆に、認識を全面的に肯定し、容認する側面とをあわせ持っているように私は、思う。 このどちらを欠いても、小林秀雄の批評は成立しないし、小林秀雄の評論は、この認識批判と認識肯定の二重性として成り立っているのだろう。 小林秀雄というと、「否定・批判の人」と思いがちであるが、小林秀雄の批評の本質は、「肯定」の強さにあるのではないだろうか。 小林秀雄は、独特の仕方で認識を擁護する。 無論、「肯定」の前提として、徹底的な「批