お題

#部活の思い出

辛かった練習のエピソードや部活終わりに仲間と遊んだこと、卒業後も続く部活仲間との友情の話など、あなたの青春の思い出を教えてください!

急上昇の記事一覧

【リスト規制🚫】該当する貨物の具体的な仕様は"貨物等省令"を確認📝:安全保障輸出管理実務能力認定試験(STC Associate)対策 No.7

前回のお復習い💖 復習を大切にして、確実にインプットした 知識を自分の記憶に留めておきましょう! 貨物等省令📜✅安全保障貿易管理 **Export Control*関係法令:貨物 解答:❌ 輸出令別表第1に規定されている ものは、貨物の名称だけです👀 リスト規制に該当する貨物の具体的な仕様 (スペック)は、1の項と一部を除いて 「輸出貿易管理令別表第1及び外国為替令別表 の規定に基づき貨物又は技術を定める省令」 (貨物等省令)を確認する必要があります🔖 解答:❌ 貨

恩師からの返信

先日、恩師へ手紙を送った記事を投稿したが返事が届いた。 ずっと心待ちにしていたが、いざポストにその封筒を見つけると手が震えた。 届いていたんだなという喜びと、突然手紙を送り一方的に思いを伝えてしまった恥ずかしさと。 私が中学校を卒業してから30年程経ったはずなのに、送り主の名前と懐かしい筆跡は 私を中学生のあの頃へとすぐに戻すから不思議だ。 そうそう、こういう字だったと記憶が戻り、 緊張から背筋がしゃんとしてしまう。 手紙には、私が送った手紙へのお礼とともに、先生のこれ

リバウンド王に私はなる!!

入団当時は、バスケなんて好きじゃなかった 私が、入団したチームは地区内では有名な強豪チームで 私は小学3年生で、6年生が10人いて試合には出れず、ベンチ。 それでも、県大会に行けるだけで遠足気分で大満足。 その時も、バスケが楽しいと思ったことはなく、 年上の友達が遊んでくれることが嬉しくて練習に通ってました。 強豪チームから最弱チームへ 6年生が卒団して、5年生がなんと1人だけだったため 強豪チームから一気に弱小チームに転落。 私は、この時初めてバスケと向き合いました。

私のフルート人生(2)

目立ちたくて、でもなぜかフルート 中学一年生にしてようやくフルートを吹き始めましたが、極めて普通のブラスバンド部だったので、練習なんてテキトー。吹くのも「ドラえもん」「犬のおまわりさん」とかそんなものです。それでも、ちょっと背中を丸めたり腕が下がったりしていると、センパイに厳しく直されました。最初はずいぶん、背中や腕が痛かったのを覚えています。 ところで私は、合唱の「伴奏ピアノ」の練習に夢中になり、土日になると食事以外はずっとピアノの前に座っていました。それに比べてフルー

スマッシュかパズルか

飽き性なもので、 小学校:サッカー、水泳、バスケ、 中学校:ソフトテニス、駅伝、 高校:バドミントン と色んなスポーツをやりました。 この中でもバドミントンが断トツでハマりました。 高校の部活で始めて、大学のサークルでも6年間続けました。 スポーツ全般ですが性格が悪い方が勝ちますよね。 特にバドミントンは顕著なのですが、 相手の嫌がるところばかりを狙って打ち込むんです。 スマッシュを打つのはもちろん気持ちが良いし、 強く打つふりをしてネット際に弱く落とすのも快感でした。

銀河の図書室

数日前に読んでいた本の感想文 「銀河の図書室」  名取佐和子 著  タイトルやイラストから、そこはかとなく感じ取れた本のイメージの一つは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に関係しているのかしら…と。    入学早々、部活の勧誘がされる中、風変わりな名前の図書館を起点としている「イーハトー部」があった。この部を校長に頼み込み創設した本来、いるはずの部長が原因不明の不登校。替わって部の代表を務めることになった主人公が、友人と新しく勧誘した部員とで彼が最後に残していたメッセージから謎を

息子の剣道部

中学になった時、何か部に入りたいと息子が言い始め、化学部に入ると言いました でも、化学部は週に一回しかなくて、親としては、何かスポーツをと打診しました。 息子は学校のスポーツ部を色々考えていましたが、どれも、小学校の頃からしている子には叶いそうにありませんでした。 そこに、春休みに訪れていた、私の実家で、父が 「剣道がいいぞ!剣道しろ」とプレゼンしまくったのが効いたのか、剣道部に入る事になりました。 丁度、私の防具が実家に残っていたので良かったようでした。 学校で、「剣道部

かっこいい人【5分ラジオテキスト】

まっちゃんのラテラジオ、テキスト版です。 今日は、高校時代に学んだことをお話しします。 誰にでも承認欲求ってありますよね。それに本能的に囚われてしまうこと、私自身にも覚えがあります。その一つのエピソードが高校2年の時のバレーボール部での出来事です。 私は中学からバレーボールを続けていて、高校でも部活に励んでいました。バレーボール部では、上級生や実力のある選手が使う「Aクラス」の部室と、新入生や初心者が使う「Bクラス」の部室がありました。 1年生から2年生に上がる際、実力

自然探索部 活動初期

ー藻琴湖- 1989年4月16日(日)くもり後雨 10人くらいのメンバーで、9:38網走駅発でもことに行った。 さむかったが、湖岸をぶらつき、浜でたき火をして語り合いながら歩いて帰り、数人でまた夜10時頃まで語り合う。(個人日記より) ~入学式後、初の日曜日にはすでに創生期メンバーは集って行動しており、藻琴湖へ行った理由は、トンボに詳しいH君の提案であったと思う。湿地の側溝でヤゴなどを探した記憶があります。 砂浜での焚き火写真で、なぜ右端のぼくが正面を向かずに焚き火をイジっ

モンブランになるはずだったもの

⚽【速報】サッカー競技決勝の結果(全国高校サッカー選手権岩手県大会)

 11月3日(日)、盛岡南公園球技場(いわぎんスタジアム)で、第103回全国高等学校サッカー選手権岩手県大会決勝が行われ、本校は専修大学北上高校高校と対戦しました。  現在のチームとして、本校と専大北上との決勝戦での対戦は、令和5年度の新人大会県大会、令和6年度の高総体県大会、東北選手権大会と今大会の4回目の激突でした。  なお、令和4年度以降での決勝戦での対戦は、これに令和4年度の新人大会岩手県大会、令和5年度の高総体県大会、全国選手権県大会が加わり、7回連続の激突とな

〖つぶやき〗「最後の闘い🎷」

いよいよ、娘が最後の闘いへ出掛けていきました🚌✨さいたまスーパーアリーナにて、第59回マーチングバンド関東大会 です。 「一音心奏~想像以上の音楽を~」 県大会以降も、工夫や新たな動きなどを加え、精一杯練習してきました。 人数も少ないので、最初違う楽器のソロだった部分を、急遽、先生からの指示で娘のアルトサックス🎷✨が加わりソリ(ソロの複数形)になり、2人で吹く場面もあるそうです。 ですが、もともと違う楽器のパートなので、その楽譜どうりには吹けないらしく、サックスの楽譜

先輩、カーテン閉めても良いですか

こんにちは。 今日は新しいマスカラを買いました。 矛盾ちゃんです。 私は、吹奏楽部に所属していました。他の部員と仲良くなれなくて、あんまり楽しくなかったです。ただ、楽器は大好きでした。だから、最後まで続けました。 他の部員と仲良くなれなかったこと以上に、困っていたことがありました。それは、朝の練習時、とにかく朝日が眩しいことです。 太陽が楽器に反射して、本当に目が痛かったです。楽譜もまったく見えません。 カーテンを閉めれば良いのですが、カーテンの近くには毎朝同じ先輩が

環境問題研究会ー羅臼岳ー

ー日本百名山 知床羅臼岳 1661m― 初めての前期試験も終わった7月25日、研究会メンバーと教職員の先生方とで、斜里岳に続き今度は知床羅臼岳に登ることになりました。 前年の高体連地区大会で優勝を果たせた山で、登山口にある木下小屋の管理人のHさんとも再会できました。 天候にも恵まれ、まだ平地の広かった山頂部で、みんなで楽しく昼食をしました。 眼下の知床峠に雲海を見ました。 10月に初めて開催予定の大学祭である収穫祭の文化学術展のため、斜里岳&羅臼岳登山に通じて参加していた、同

スクールカーストと、姉御 (あねご) と彼の話し

中学三年の頃。 僕はクラス内で" 完全に孤立 "していた。 2年生から3年生に進級するのと同時にクラス替えが行われ、その新たなクラスのなかで、知っている人間が誰ひとりいなかったのだ。 教室内で、それぞれが大なり小なり仲良しメンバーを見つけたり、初顔合わせで ぎこちないながらも、つるむ相手を見つけて楽しそうに はにかみながら交流し合っている様子を、僕はただ、途方に暮れながら しょんぼりと眺めるしかなかった……。 ある程度、仲良し同士で固まってゆくクラスメートを横目に。 自

人生において中学・高校の部活は人生に大きな影響を与える

中学3年の春、僕たちは放課後、音楽室に集まり、自宅から持ち寄ったレコードをみんなで聴きました。音楽の先生は1年間ずっと合唱ばかりやる先生でしたが、音楽室を使わせてくれたのです。 僕が最初に買ったのはビートルズのレコードでした。音楽室で友達の持ってきたELPの『展覧会の絵』に衝撃を受けました。それから、僕はビートルズやELPのレコードを集めます。当時レコードは子どもの小遣いではなかなか買えず、お年玉をもらうとレコード店に行きました。 友達の誕生日にはみんなでお金を出しあって

インスタの初期の投稿ってインディーズ時代の作品みたい

 誰かとインスタのアカウントが繋がったら私がまず見にいくのが、アカウント最初期の投稿である。  アカウント最初期の投稿にありがちなあの、初々しくも粗削りな感じ、まだインスタに食らいつこうとしていたあの頃の、まさにインディーズ時代の作品といった気概のポストを見るのが好きだ。  本格的に「映え」専用機になる以前のインスタグラムは、今よりもずっと純粋に写真を記録していくためのアプリだったように思う。スマホのカメラ性能も今ほど良くはなかったので、B612とかSNOWなどの往年のア

やらかし道場 #13 後悔のその先 卒業編 中編

皆さんこんにちは。 やらかし道場 代表の鶴見です。 #12 後悔のその先 卒業編 前編では就職活動や最後の春リーグを通して、 自分の今までの歩みを分析することの大切さ、自分が結果を出したい時に、 その舞台に立つことが重要であるということ そして、 これから関わること全てが最後になっていくということを実感しました。 #12では、就職活動も無事終わり、最後の春リーグも終え、 教育実習、秋リーグ、研究室での研究へと進んでいきます。 春リーグも終わり、6月に入った頃

環境問題研究会 誕生の記ー斜里岳ー

村山由佳さんという作家が「上品な文章を作ろうと思うと全く書けないものだ」と語っていたよ、とある後輩が文集で教えてくれました。 思い出話をする典型的なオヤジと化してきてしまった自分が正直恥ずかしいのですが、それでも、かわいい後輩たちにも伝えておきたく記しています。 若い人たちの酒の肴になるのもまた良しです。 (決して「むかしは良かった」という気持ちではありません) さて、なんとなく、特に理由があったわけではないのですが、5月に無事、2つ年上のH君を部長として発足できた自然探索

大学時代のサークル~遠き想い出、それは「重いで」

部活時代を振り返る私的な企画第2回目、今回は大学時代のサークルについてである。 小学校後半から高校卒業まで静岡市で育った私は、秋田市の大学に進学した。 なぜ、関東をすっ飛ばして秋田に? 「経済学部」といえば分かるように、別に「オンリーワンな学部」を志向して進学したわけではない。そもそも大学に進学した理由は、子どもの頃、友達と遊んだ経験が少なくて本と戯れていたような子供だったので、親も「大学へ行ってモラトリアム期間の中で自分を見つけてほしい」と思っていたようで、私も確固た

タイムマシンに乗って

急に、懐かしさに浸りたくなった。 アルバムの類は実家に置いてきているが、学生時代、同じ部活の先輩、同期、後輩たちからもらった手紙だけは持ち歩いていた。 十数年ぶりに、しわくちゃの紙袋からザラッとそれらを取り出してみる。 役職付きや、同じポジションの先輩後輩に宛て、大きなイベントの前に手紙を書く風習があった。その時期は忙しい上にそこそこの数を書かなくてはならないから、正直、あまり馴染みのない人宛てのものは、「お世話になりました。これからも頑張ってください」みたいなテンプレ丸出し

元あほ小学生が早稲田に合格した話③ 部活に捧げた高校生編

小学生の頃はテストで40点台をとるレベルだった私は、下に見ていたサトウくんの「俺勉強するわ」発言で一念発起。 進学実績No.1の塾に入り猛勉強。1年半で中学の学年トップにまで登り詰めるが、慢心と叡智な事柄への目覚めで堕落。 憧れの北野高校(大阪トップ高)への進学は叶わず。 結局高校受験は、府内トップどころかトップ10ギリギリくらいのT高校という結果に終わった。 悔しい…。 受験直後こそそう思ったものの、高校入学後半年も経つと私の勉強時間はとうとうゼロになった。 平

⚽全国高校サッカー選手権大会で、準優勝した時

 本校サッカー部は、本校の70周年記念誌によると、昭和23(1948)年5月に創部されました。  令和6(2024)年度で、創部76年になった伝統校です。  本校サッカー部にとって、最も高い戦績は、西宮球場で行われた昭和35(1960)年度(昭和36年1月開催)の第39回全国高等学校サッカー選手権大会での準優勝の記録です。  この全国大会準優勝のチームは、昭和35年9月に開催された第15回国民体育大会(熊本国体)で第4位になり、その勢いで全国選手権に臨み大きな成果を挙げまし

私が駅伝部員だったころ

 皆さま、私みいくまといいます。  今回は私の中学時代の部活の思い出についてつづらせていただいています。  私は中学で駅伝部と陸上部に所属していました。  部活に入ったきっかけは、運動習慣をつける事でした。  今まで運動経験がなかった私は練習についていくので精一杯……というかついていけてもいませんでした。(半泣きで毎日練習していました(笑))  最初の記録会の結果は……  見事に地区のドベ(1500mのタイムレース決勝の最終組のビリ)!  で、そこで火が付いた……わけで

【自分史②】中学校時代の私

最近ヨガを始めたのですが、 「私、運動、向いてるかも?」と改めて。 前回、生まれてから小学校までの振り返りをしたので 今回は中学校時代の自分史を振り返ってみようと思います。 すみません長いです(4,000字)。 【自分史】強豪の剣道部に入部中学校入学と同時に、剣道部に入りました。全くの未経験で。 地元の市立中学ですが、 2年に1回全国大会に出てる強豪チームで。 練習がハードなことは、何となく想像していましたが 「何とかなるだろう」と本当に甘い気持ちで入部したんです。

初めて熱中できたこと

書道漫画'とめはねっ!' の中に出て来る素敵な詩。 “迷いながら ぶつかりながら 揺れながら 過ごした日々を 愛しく思う” 書道と共に過ごした四年間を振り返ると 書道が楽しくて苦しくて 甘くて苦くて四六時中、 いつも書道のことを考えていた。 今振り返っても本当に思い出深い。 友達と放課後に遊んだり The高校生といったような 生活も憧れてはいたけれど、 のんびりでどこか周りとズレている私には きっと息苦しく感じていただろう。 高校での日々は友達と遊んだり ワイワイと

演劇部だった皆さん、「ごめんなさい」、でも今でも演劇が好きです

「部活」。 学校生活の中で、人によってこれほど、感情が分かれるワードもそんなに多くはないのでないか。 ある人にとっては、「青春のすべて」だっただろうし、ある人にとっては「挫折の日々」だっただろうし、人によって感情は分かれるだろう。 私は‥例えば、「部活で進学先が拓ける」タイプではなかったし、中高の部活は中学が剣道部、高校が演劇部だったが、いずれも挫折感の方が当時は大きかったし、そして大学の部活は楽しすぎて、宝石のような想い出に溢れているが、結局「サークル」。極論、箱根駅

やらかし道場 #14 後悔のその先 卒業編 後編

皆さんこんにちは。 やらかし道場 代表の鶴見です。 #13 後悔のその先 卒業編 中編では、教育実習を通して人に伝えることの難しさ、リーグを通して、結果を出さなければいけない場面で結果を出すことの難しさなどについて書いていきました。 卒業編については一度で書ききれず三部作になってしまいましたが #14ではついに卒業までを書いていきます。 ついに卒論 私の研究テーマは、 「ジャスモン酸メチル散布によるイネの不受精発生原因の解明」でした。 これは高温化ではイネは受

全校応援練習を行いました!

 10月28日(月)、30日(水)に行われる第103回全国高等学校サッカー選手権岩手県大会準決勝を前に、全校での応援練習が行われました。  サッカー部の生徒達が、ステージ上でサッカー応援のやり方を披露しました。  本校は、準決勝で盛岡中央高校と対戦します。

北朝鮮の工作員に間違えられて、海上保安庁に謝った話

こんばんは。 ふるさと納税が届き、12キロの鶏肉によって冷凍庫が占拠され、何も入らなくなりました。 どうしようこれ。。 今回は、投稿コンテスト応募作品です。 #想像していなかった未来 12年ほど前、私が17歳だった時の話。 当時私は、ヨット部というかなり珍しい部活に所属していて、夏休みの始めと終わりに1週間ずつ、泊まり込みの練習合宿をしていた。 夏、海、合宿。 青春エグゾディアは揃っているはずなのに。 この合宿は、青と夏とは程遠い、まさしく懲役1週間だった。 朝は

邦楽部、奨励賞受賞

 10月23日(水)、北上市文化交流センターさくらホールを会場に、第47回岩手県高等学校総合文化祭日本音楽部門発表会が開催され、本校邦楽部が出場しました。  部員が1年生2名だけの本校は、14名の部員による演奏を披露した千厩高校さんの直後の演奏でしたが、演奏時間8分間の沢井忠夫作曲「鷹」を演奏し切って、奨励賞を受賞しました。  邦楽部のお二人、お疲れさまでした。

⚽サッカー競技準々決勝の結果(全国高校サッカー選手権岩手県大会)

 10月20日(日)、遠野運動公園陸上競技場で、第103回全国高等学校サッカー選手権岩手県大会準々決勝が行われ、本校は水沢高校と対戦しました。  ゲームは、前回覇者の力量を発揮した本校が、前半4点、後半8点を得点し、12対0で勝利しました。

若手二人が熱弁!フォトグラファーと描くサービスの今と未来|フォトクリエイト「教えて!フォトクリエイトの撮影」

「偉大なことを成し遂げる人は、常に大胆な冒険者である」とはフランスの思想家モンテスキューの言葉ですが、若い時には多くの人が何かを成し遂げたくて冒険しようと思ったことがあるでしょう。 今回はそんな大胆な冒険心あふれる若手のお二人、池田凌さんと増田瞳さんに、写真とフォトグラファーの今と未来について語ってもらいました。 ── まずは、お二人のフォトクリエイトで働くきっかけをお聞きしたいと思います。池田さんはどんなきっかけだったのですか? 池田さん ぼくは転職でフォトクリエイト

ローカル線に乗って広島駅から敢えて宮島と反対方向に… その5.2 広の平和な風景 バスタ新宿デビュー後 何もかも快適 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

緩(ユル)いバス旅、ローカル線の旅を通して長閑な景色を愛でつつ平和な学園祭を… (素直に心が若返りました…)  広島駅から敢えて宮島と反対方向、呉線に乗って呉市広(ひろ)迄やって来ました。 経緯  都内から広島へ初めてのバス旅…  広島からは快適なローカル線の旅。 向かうは渋く広。  世が世なら日本の航空機産業の中枢になった街。  広海軍工廠遺構を愛でつつ地球人の歴史にまで思いを馳せてしまう…  その広との対比という視点で… 横須賀市の戦争遺構への旅… そし

やらかし道場 #11 後悔のその先 幹部引き継ぎ編

皆さんこんにちは。 やらかし道場 代表の鶴見です。 #10 後悔のその先 春リーグ編では、遂に春リーグを迎え、様々なトラブルが発生しながらも、チームの結束により1部昇格することができたという話をしました。 #11では1部昇格を果たしたのちの新たな目標、そして幹部を引き継いでいくことについて話をしていきます。 チームの結束によりなんとか1部に昇格しましたが、私達の幹部は10月まで続いていきます。春リーグが終わった5月初旬から、あと5ヶ月、秋リーグも乗り越えながらも、幹部

【モノグサの部活動に迫る:ビリヤード部】戦略性と上達の喜び、ビリヤードの魅力を深堀り!

皆さんこんにちは! モノグサの広報インターンのマックスです! 「モノグサの部活動に迫る」シリーズの記事が増えていることを嬉しく思っています。これからもモノグサの部活動の魅力をお伝えし続けたいと思います!過去の記事もぜひご覧ください! さて、今回はビリヤード部をご紹介します! インタビューに協力してくれたメンバーたち: モノグサに入社してからビリヤードを再開したメンバー達が、ビリヤード部を結成ーー皆さんがビリヤードをはじめたきっかけを教えてください。 橋口:大学時代、

やらかし道場 #12 後悔のその先 卒業編 前編

皆さんこんにちは。 やらかし道場 代表の鶴見です。 #10 後悔のその先 幹部引き継ぎ編では、目標を変更する際の難しさや意志を通すことの苦悩について書いていきました。 #10ではついに最終学年を迎え、卒業までの歩みについての話をしていきます。 3回生の10月に幹部の交代を迎え、ソフトテニス部への関わり方も変わっていきました。 幹部を交代するということは、今まで主体的に部活を動かしてきましたが、 これからは後輩が主体的に行動していかなければいけません。 一番初めに思

やらかし道場 #10 後悔のその先 春リーグ編

皆さんこんにちは。 やらかし道場 代表の鶴見です。 #9 後悔のその先 3回生編では、私が3年生になり そんな中様々な試練を経験する中で、どんなに波乱と感じられる状況の中でも、自分が発揮できる価値を考え続けること、その中にこそ希望が生まれるという話を書きました。 #10ではついに春リーグを迎え、1部昇格に向けて戦った時の話をしようと思います。 先輩の怪我もありながらもメンバーの決まった頃、 ついに明日が春リーグ。そして大会前ミーティングが始まりました。 ここでチ

やらかし道場 #9 後悔のその先 3回生編

皆さんこんにちは。 やらかし道場 代表の鶴見です。 #8 後悔のその先 幹部初動編では計画を立てて自身はあったものの、実際にやる上での難しさ、課題を改善しようと行動したこと、プレーヤーとしても大きな変化を迎えた時の話を書きました。 #9では、そんな波乱の2回生も終わり、いよいよ目標としていた一部昇格のかかった試合が差し掛かった時の話を書いていこうと思います。 突然の主将交代 それは3年生になる直前の2018年3月。主将が交代することになりました。 理由は、彼の学業

高校1年生の頃、私はあずにゃんだった

前々回の記事(https://note.com/gggyoran/n/nb80ca135d857)にも書いたが、私は高校1年生の頃演劇部に所属していた。 ヲタク気質な先輩方はただ1人の新入部員という理由だけで当時流行っていた『けいおん!』に出てくる新入部員・中野梓ちゃんに私を重ねてチヤホヤ可愛がってくれた。 それはもう、本当に、凄まじく可愛がってくれた。 「放課後ティータイム」だなんて言って劇の小道具名目で持ち込んだポットでコーヒーを淹れお菓子を食べながら練習そっちのけで

他人に本気で叱られた話

他人が本気で自分に対して怒る。 今のご時世、少しの発言がパワーハラスメントに該当するとなり、怒る人が減っているという記事を見た。 この前、上の世代(50歳位)の方と話す機会があり、若手がちゃんとしていなかったら注意するか?という話になった。 その時に、「もう何も言わないかもなぁ。その子のことを思って伝えても、パワハラとか言われるのも嫌だし。だから今の若い世代の子は怒られることが減るから楽かもしれないけど、自分で気が付かないと行けないから大変だね。」 この言葉を聞いた時

クラブ活動と私#18:天翔るヤンキーの煌めき

《これまでのまとめ》 ※前回までのあらすじ※ (略) 『空を飛ぶ』。 それは鳥ではない私たち人間にとって永遠の 夢であり、憧れである。 この物語は図らずもそんな憧れを実現した、 ある青年の儚くも美しい姿の一部始終である。 ※”ノンフィクション”でお送りします。私たちが通う高校は丘陵地帯にある。 そのため最寄り駅からのおよそ1.5kmの行程は 激しいアップダウンが連続している。 特に難所となるのがちょうど駅と学校の中間あたりに 位置する、およそ100mはあろうかという

わたしがホルンになったワケ

「吹奏楽部のこと」 というマガジンを作っておきながら それに関する記事を全然書けていません。 中学高校の6年間 吹奏楽部で過ごした時間は 強烈で濃密なかけがえのない時間だったので 書きたいことが沢山あります。 私はホルンという楽器を吹いていたんだけど そもそも何故私がホルンパートに決まったのか 今日は 中学1年生の春まで遡って話してみたいと思います。 もともと吹奏楽部に入ることを決めた動機は 負からの回避でした。 (↓過去に少しお話ししました) 心理学の動機づけ

やらかし道場 #8 後悔のその先 幹部初動編

皆さんこんにちは。やらかし道場 代表の鶴見です。 #7 後悔のその先 幹部交代ミーティング編では いかにチームをより強く、どうしたらより良いチームにできるか考え幹部交代ミーティングを迎えましたが、詰めの甘さを指摘されギリギリでの幹部交代になった時の話を書きました。 #8では、実際に幹部になった時の話を書いていこうと思います。 正直、運営側を舐めていた ギリギリで幹部になったもの、正直私は自分達なら最初からできると思っていました。 何故なら、自分達が考えた改革案なら

No.6 高校時代を振り返る③〜カヌースプリント日本代表に〜

こんばんは。 今回は高校時代に打ち込んだカヌースプリントという部活動、競技歴わずか2年ほどで日本代表になれた原因について書きました。 前回の記事でもお伝えした通り、僕たちの高校はそもそも自衛官を育成する学校のため、部活動の時間が他校に比べ極端に短いです。 その中でも結果をつくることができた原因は、あらゆる分野での目標達成にも活かせる共通点があると考えています。 ぜひご自身の目標達成にお役立ていただけると嬉しいです。 カヌースプリント競技歴約2年での成績まずはカヌースプリン

やらかし道場 #7 後悔のその先 幹部交代ミーティング編

皆さんこんにちは。やらかし道場 代表 鶴見です。 #6 後悔のその先 弱小プレーヤー先輩になる編では 私が大学の部活で初めて先輩になった時の話について書きました。 #7では2回生も終盤を迎え幹部交代を迎えた時の話を書かせていただこうと 思います。 私が幹部になったのは春にチームが2部に降格し、秋では1部に昇格できず、2部に残留した時でした 1年次にチームとしては何とか残留し、その時の団体メンバーも一人を除いてほとんど残り、チーム体制として磐石の状態で迎えた2回生の春

やらかし道場 #4 後悔のその先 大学入学編

皆さんこんにちは。やらかし道場 代表 鶴見です。 #3人生最大の後悔の話では、私が高校時代にソフトテニス部に入らなかったことについて書きました。 そして、その後悔を払拭するために茨の道を選択したことについて書いていこうと思います。 そして結論から書くと、その道は確かに前途多難ではあったけれど確かに後悔しない選択であったとはっきりと言えます。 少し長くなるかと思いますが、しばしお付き合いいただけますと幸いです。 一浪の後、大学入学 一浪したのち、なんとか島根大学 生

クラブ活動と私#16-4:文化祭④

《これまでのまとめ》 ※前回のあらすじ(!!!)※ ちょっとしたゴタゴタもありつつ迎えた 文化祭当日。忙しいのは当日も変わらない。 いよいよ始まった文化祭。 受付と2冊の看板誌『キメラ』『寄木細工』の 販売係は各クラスや掛け持ちの部活の演し物の スケジュールと相談しながらの当番制だ。 他の部員はある程度自由に行動できるのだが、 あまり他の場所を廻ったりする人は居なかった。 皆なんだかんだで部室が一番居心地がいいのだ。 それに、来場者を待っていたりもする。 私や幼馴

やらかし道場 #5 後悔のその先 初めての大会編

皆さんこんにちは。やらかし道場 代表 鶴見です。 #4 後悔のその先 大学入学編では私が高校時代にプレーをしていなかったもののソフトテニス部に入った時のことを書きました。 #5では私が始めて心から応援できた時の話を書かせていただこうと思います。 それでは皆さましばしお付き合い頂けますと幸いでございます。 大学の部活にとって最も大切な試合 リーグ戦 実際、関東リーグの強いチームなどはインカレに向けて頑張るチームもありますが、地方の大学にとって最も大切としている試合にリ

やらかし道場 #6 後悔のその先 2回生進級編

皆さんこんにちは。やらかし道場 代表 鶴見です。 #後悔のその先 初めての大会編では私が初めて心から応援できるようになった時の話をしました。 #5では私が大学の部活で初めて先輩になった時のことを書かせていただこうと思います。 1回生の頃はがむしゃらにやっているだけでよかった 色々なルールや多少ハードな練習もがむしゃらにやる中で慣れ、 いっぱいいっぱいの中でも、親身になってくれる先輩がいてくれたおかで 団体戦に出れるようなレベルでは無い中でも「技術面は少し上達したね