やらかし道場 #13 後悔のその先 卒業編 中編
皆さんこんにちは。
やらかし道場 代表の鶴見です。
#12 後悔のその先 卒業編 前編では就職活動や最後の春リーグを通して、
自分の今までの歩みを分析することの大切さ、自分が結果を出したい時に、
その舞台に立つことが重要であるということ
そして、
これから関わること全てが最後になっていくということを実感しました。
#12では、就職活動も無事終わり、最後の春リーグも終え、
教育実習、秋リーグ、研究室での研究へと進んでいきます。
春リーグも終わり、6月に入った頃、教育実習に行くことになります。
そもそも、なぜ教育実習に行くことになったか、
それは、母に教員免許は取っておけと言われたのが発端でした。
そもそも、私は教員になりたいと思ったことはなかったですが、
大学に入ったら、好きなことをやろうと思っていたため
せめて、母に言われた教員免許だけは取っておこうと思い、
教員に繋がる授業だけは取り続けていました。
そして、入部した頃の主将に
「鶴見は教員に向いている。」と言われたことや
教育関連の授業の中で、実際に授業を考えている時に
どうやったら面白く聞いてくれるんだろうと考えている時間は楽しかったというのもあり
最終的に教育実習に進むことになりました。
一番苦労したのは、分かりやすく説明することの難しさ
私は、農業系の学部であったので、生物の担当として母校に行くことになりました。
その中でも生物多様性という受験時代も比較的好きな分野を担当させてもらえることになりました。
実際に授業をしていた感じたのは、
分かりやすく説明する、間違った情報を伝えてはいけないということでした。
生物は理系において、物理or生物という選択科目であり
国語、数学、英語のように必ずしも受験で使う科目ではありませんでした。
そのため、学生の中でも人数もあまり多くないこと、
受験科目として使わない生徒や、夏休み前ということもありあまり勉強していない生徒など
レベル差や意識の差はありました。
だからこそ、すべてのレベルの学生に取って有意義なものにしなければならないという難しさ、
自分が頭ではわかっていることを言語化して一から説明することの難しさというものも非常に実感しました。
その時の担当教員の先生から言われたことを今でも覚えています。
「人に教える時には動線を考えなければいけない。
話の順序が分かりやすくなるようにすること。
また、常に新しい情報を取り入れ、教えることが教えることが最新の情報でなければならない」
教える際に、流れがいきなり飛んでもいけないし、
絶対に誤情報を伝えてもいけない。
それは今でも意識していて、主観と客観の区別をしっかりしなければと心に刻んでいます。
最初の授業はぐだぐだになりながらも、5回、10回と授業を続けていくことで
少しずつどうやって話したら良いかにもなれ、少しずつ説明ができるようになっていきました。
そして、どうやったら授業楽しんでもらえるかなどを考え
事例を準備したり、グループワークを準備したりということも考えている間はとても充実した時間でした。
そして部活動にも参加し、私自身はソフトテニス部のO Bではありませんが、
現在大学でやっているということもあり、
ソフトテニス部に参加させてもらい
学生時代の後悔したことをやることができ、
また、授業でも関わりを持つ学生たちと交流することで
聞いてもらいやすくなったりと大変充実した時間を送ることができました。
そんな間に3週間はあっという間に終わり
初めは教員免許を取るために参加した教育実習ではありましたが
人に何かを伝える時の重要なことを学ぶことができました。
そして、夏休みに入り、最後のリーグである秋リーグが迫ってきました
前回の春リーグでは、ギリギリ一部に残留したものの、
1部では1勝もできず最下位でありました。
そして私自身はというと入れ替え戦まで試合に出ることができませんでした。
その時に4回生でありながら試合に出られない自身を不甲斐なく思うとともに、とても悔しく思っていました。
のちに当時ダイヤのAのアニメで見た主人公の言葉が心に残っていました。
「この試合、俺が入る余地なんてどこにもなかった。
何が明日こそだ。どれだけ反省しても、どれだけ準備しても、その時力を出せなきゃ、チャンスは巡ってこない。
ただ、ここで見てるしかない。この悔しさを忘れないように。もう一度、あのマウンドに立つために。」
主人公のこの言葉が自分の心に酷く刺さり、次のリーグが最後のリーグ。
自分もここで試合に出られなければ、後悔する。
そういった思いで、今回はチームのためということもあるけれど
それ以上に自分がチームで結果を出すために
自分にできるプレーは何か、
後輩達にアドバイスをもらいながら自分のプレーを磨き続けました。
そして始まる最後のリーグ戦
8月下旬。
鳥取県のコカコーラウエストパークのコートに私は立っていました。
ペアは3回生の春リーグの際、プレッシャーから自分のプレーができず、私が一度交代させた後輩でした。
あれから彼もチームの柱として試合に出続け、とても頼もしいプレーヤーになっていました。
私が出る出番は、5番手のダブルス。
もし2勝2敗で回った場合、天秤で回ってくるというプレッシャーのあるポジションです。
そしてその重要な場面は、チームとして1勝1敗、私としても1勝1敗の場面で回ってきました。
ゲームとしては、3-0で私達が先行しているタイミングで相手も盛り返し、
3-2まで追いつかれました。
私たちは、あと1ゲーム取れば勝てるものの、次のゲームを取られれば3-3になりファイナルに持ち込まれる。
そうなると追いつかれた方が不利になるし
私自身はフォア側のストロークがずっとイップス気味であり、
サーブ側のこのタイミングで勝ちを決めたい状況。
非常にプレッシャーがかかる画面でした。
しかし、ペアと私の中でやることは一致していました。
「このゲームどうする?出る?」
「出ましょう」
この会話で試合間の話し合いは終わりました。
二人ともこのゲームはフォア側にボレーに出ることで、勝ち切るという意識が共有されていました。
その時自体はほぼ会話をしなかったけれど、何をしなければいけないか。
それを二人とも理解できたように思います。
そして、実際にフォア側を押さえにいったことで相手も調子を崩し、最後のゲームを有利に押さえていきました。
そしてもう一つ、忘れられない瞬間がありました。
そのゲーム中で、ペアがロブを上げ相手が回り込んだタイミング、
その瞬間に全てがゆっくり見え、視界も広くなりました
その時にコートのフェンスの後ろで見て応援してくれている入部時の主将が
出ろ、出ろと言っているのが見えました。
あの瞬間の事は今でも覚えています。
そして、私はその時出なきゃと思ってボレーしに出た結果、その位置にボールが飛んできて、ボレーをしてマッチポイントを握ることができました。
多分あの瞬間以外ではコートの周りすら見えていなかったし、
彼が言っていなければ言うことも聞いていなかったと思います。
そして、最後相手のミスがあり勝利を納めることができました。
今まで、団体戦で出続けるなんてことができなかった自分、
高校時代はプレーをしていなかった自分。
それがありながらもやっとチームの勝利が掛かった試合、
しかも1部リーグという最も重要な試合。
本当に自分が諦めずにやってきたことが報われた瞬間でした。
そしてリーグ戦自体では、私が関わってきた中で最高の団体2位という成績。
1位までは遠かったけれど、4回生として次の代に1部でまわすという自分の中での誓いは守ることができました。
教育実習では人に伝えることの大切さ
最後のリーグでは、結果を出さなければいけない場面で結果を出すことの難しさ。緊張する場面でいかに割り切って、力を出しきれなければいけないか。そして、これまでの苦労も経験も涙も全て無駄ではない。
これらの重要性に気づくことができました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回で、これまで長々と書いてきた大学生時代の部活の話も終わりを迎えます。そこでは卒業を迎え、これまで学んできたことなどを書いていこうと思っています。
ぜひ次回も読んでいただけますと幸いです。
やらかし道場 鶴見