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やらかし道場 #8 後悔のその先 幹部初動編

皆さんこんにちは。やらかし道場 代表の鶴見です。

#7 後悔のその先 幹部交代ミーティング編では

いかにチームをより強く、どうしたらより良いチームにできるか考え幹部交代ミーティングを迎えましたが、詰めの甘さを指摘されギリギリでの幹部交代になった時の話を書きました。

#8では、実際に幹部になった時の話を書いていこうと思います。

正直、運営側を舐めていた

ギリギリで幹部になったもの、正直私は自分達なら最初からできると思っていました。

何故なら、自分達が考えた改革案なら以前の先輩方よりもよりよくなると思っていたからです。

しかし、現実は甘くなかった。

幹部交代しての最初の1週間は先輩方は参加せず、1、2回生のみで練習を行います。

そこで自分達の認識の甘さを痛感します。

以前のチームなら当然できていたことが、今のチームでは全然上手くいかない。

例えば、練習の練度や準備の効率性、はたまた声まで全てが過去の先輩達に遠く及ばない。

今まで先輩達が作り上げてきたものの大きさとの差を実感しました。

今の自分達は何というか空洞。

体裁を保とうとしているといった感じでした。

幹部として運営をやり始めた途端、急に自分達の出来なさに気づかされてしまいました。

そうやって焦っている間に、すぐに一週間が経ち先輩達が戻ってきました。

自分が感じた通り指摘を受け続ける日々

先輩方が戻ってからは、自分が思っている通り、いやそれ以上に厳しい意見が飛び交いました。

雰囲気面から、意識の低さ、そして練習内容の質、様々の部分を指摘されました。

「降格して今後がない状態なのに練習を1日減らしてどうするんだ」

「雰囲気、雰囲気言っているが技術面の指摘をしないのか?」

「ミーティングを増やしたら練習時間が減るのに、そのミーティング内容で何か変わるのか?」

「フォームを意識した練習ばかりしているが、生きている球を打っている時間が少ない」

そんな風な指摘を受け、正直先輩方のことがどんどん嫌になっていきました。

自分達の意図を何もわかっていない、と思いながらも

私自身が感じていた空洞化を見事に言い当てられたからだと思います。

しかし、先輩方も意地悪で言っていたのではなく焦っていたのだと思います。

自分達のせいで2部に降格してしまった。もっと勝てるようにならなければ、そう思っている中で練習時間が少なくなるような判断をしている私達に対し、考えが甘い。そう思っていたのでしょう。

自分達が変えなければと思っていたことに首を絞められるような感覚を感じ、日々焦るように感じていました。

一方で、プレーヤーとしての自分も大きな変化を迎えていました

それはポジションの変化。

今までの自分のポジションは、前衛。

しかし、同ポジションの層が厚いとされている現状では前衛では試合に出られない。

一方で、前リーグの時からシングルスの一枠はまだ確定していない状態。

そう判断した主将に私はシングルスの転向を勧めたのでした。

しかし私は、前衛がしたくて大学の部活を始めた。

だからこそ、このポジション変更は自分にとって受けづらいものでした。

そして私は、スーパールーキーとして入ってきた前衛の後輩はストロークも上手かった、そう判断した私は彼のシングルス転向を宣告しました。

そして返ってきた主将の言葉は

「あいつは前衛の天才だ。鶴見は自分がやりたくないから、後輩に押し付けようとしている。それはチームのことを考えていないことであり、それは貢献じゃないだろ」

そんな言葉でした。

正直めちゃくちゃ悔しかったです。

しかし、彼が言っている言葉はある意味で正しい。

幹部が試合に出れないことはチームの主体を担うべき人間が試合に出て責任を果たせないことと同義。

そこに自分の私情を挟むことは、組織を運営する際にある瞬間では邪魔になる。

それが理解できたからこそ悔しいながらも、シングルスへの転向を承諾したのでした。

本当のところ、彼が私にそう宣告したのにはもう一つあり、彼はこの時すでに足を壊しかけていました。

だからこそ、幹部が試合に出るためという意図があったのを、後に私が気づくのでした。

シングルスへのポジション変更は本当に0からのスタートでした

シングルスを始めたものの、ストロークを優先して練習していなかった私にとっては本当に厳しいものでした。

全体での練習以外に、体重移動、ラケットの構える位置、面の当たる位置など位置から練習しました。

この時に練習した体重移動、重心の位置、特にフォアハンド時の右足の母指球にが来るように意識した重心の設定は後々も自分のプレーを助けることになります。

しかし、そう上手くはいかないもの、シングルスでは全く勝てない日々が続きます。

高校時代は硬式テニスでシングルスを担当していたものの、プレーの仕方も全く違う、硬式テニスがスピードなら、軟式テニスはもっと泥臭いもの。

ラリーも我慢しながらのプレーが多かったりカットの使い方が決め手になったりと全然違いました。

打力も忍耐力も乏しい私にとって、練習が嫌だと自暴自棄になることも多かったです。

幹部としての運営面、プレーヤーとしての選手面、どちらも上手くいかない日々が続きました。

焦りながらも、軸はぶらさず行動することで少しずつ改善するようになっていきました

たくさんの指摘を受ける中でも、当初決めた貢献するために主体的に行動するということはブラさずやってきました。

声が出ていない後輩には色々なアプローチで声掛けをする。

ただ怒るだけでは人は変わらないなら、あえて煽って発破をかけ競争意識を刺激する、飲みに誘って悩みや不満を聞くことで心を開くようなアプローチをしてみる。

練習がない日も短い時間でも後輩を誘って練習する機会を作る。

ミーティングの内容も、ただ動画を見るだけでなく、プレー時の考え方なども意見を出し合うことで考えたり、本を読み話せる内容を増やすようになりました。

技術面で劣る私の場合は特に相手とのコミュニケーションを意識するようになっていきました。

そして、四国地方で強いとされているチームへ合宿に行くことで、レベルの差を感じながらも刺激を受けるなど、色々な取り組みをしていきました。

そして、チームとしての強さはまだまだなものの、チーム力自体は少しずつ向上していきました。

弱かったら弱いなりに今の自分に何ができるか考える。

チームに対して自分ができる最大の価値は何か問い続ける。

そして自分にしかできないことを考えていく。

それが自分の中で、特にコミュニケーションでした。

威圧感は無いけれど、先輩や後輩が自分に話しかけやすいようにする、

そして最先端で情報をとっていく。これは今の自分にも役立っているように感じます。

がむしゃらにやるよりも、遠回りで、効率の悪い道かもしれません。

しかしながら、今の自分が最大の価値を出すにはどうすれば良いか考えることで、少しずつ貢献できるようになっていたとは思っています。

皆さんの中にも、もしかしたら自分には何も価値がないと思っている人がいるかもしれません。

しかしながら、自分の過去を振り返って、自分と向き合い続けることで、嫌と思う中にもここは苦ではないなと思う部分や、ここは苦労しなかったなと思う部分があるはずです。

そしてそれが思いがけない形で一筋の光が見えてくるきっかけになるのではないでしょうか?


ここまで読んでいただきありがとうございました。

そろそろ、後悔のその先の話も終盤を迎えていきます。

次回は、ついに3回生になり、目標としていた1部リーグ昇格に向けて戦っていくことになります。

ぜひ次回も読んでいただけますと幸いでございます。

やらかし道場 鶴見

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