環境問題研究会 誕生の記ー斜里岳ー
村山由佳さんという作家が「上品な文章を作ろうと思うと全く書けないものだ」と語っていたよ、とある後輩が文集で教えてくれました。
思い出話をする典型的なオヤジと化してきてしまった自分が正直恥ずかしいのですが、それでも、かわいい後輩たちにも伝えておきたく記しています。
若い人たちの酒の肴になるのもまた良しです。
(決して「むかしは良かった」という気持ちではありません)
さて、なんとなく、特に理由があったわけではないのですが、5月に無事、2つ年上のH君を部長として発足できた自然探索部から足が少し遠のき、文系(現在の地域産業経営学科)の先生や仲間たちと、現在の「環境問題研究会(略称:環研)」の前身となる「知床自然保護問題研究会」を6月に立ち上げました。
黒瀧前学部長先生からの声かけ(掲示板案内周知)でありました。
これは部ではなく、同好会サークル。
当時は知床での国有林伐採問題が全国ニュースとなっておりました。
開発と保護という対立から、共生共存という概念が初めて生まれた頃です。
このサークルを通じて親友となるS木君(環研初代会長)、S田君、W君、K下君、O君、Y村君たちと出会いました。
まだ網走市内はゴミ未分別の時代、キャンパス内の空き缶の分別回収、保管、売却をしてサークル活動費としていました。
後輩たちにも恵まれ4年生まで続けられました、ここでの皆様との出会いに感謝致します。
―日本百名山 斜里岳 1547m―
麦畑が緑の風に光る季節となり、研究会のメンバーと教職員の方たちで7月9日(日)、斜里岳へ登山することになりました。
斜里岳はキャンパスからもその秀峰がいつも望め、とても好きな山になっていました。しかし、ぼくはまだ一度も登ったことがなく、みんなと一緒に初めて登るのは何だか自身で許せない気がしましたし、当日先導をする人間も必要だと思いました。うまい言い訳をさせていただけるならば、下見が必要なのでありました。
そこで、金曜日の大講義室での集中講義をサボり、誠に身勝手にも一人で列車やバスを乗り継ぎ、林道を歩いて清岳荘(三代目)に泊まりました。
翌日の土曜日、斜里岳の頂に立ちました。
このときがぼくの初めての単独行でした。
南斜里岳まで足をのばし、斜里岳の懐を自由に満喫しました。
網走の下宿に帰宅後、登山服をすぐに洗濯して乾かしました。
その翌日の日曜日、先生たちのクルマに学生たち仲間が分乗して再び登山口から斜里岳をみんなで楽しく登りました。
2日連続して登り、斜里岳はぼくにとって最も愛する処女的な山の一つとなりました。その後の正月休みの3日間で、初めての冬山としても登頂させていただきました。
写真は、晴天に恵まれた斜里岳頂上での記念撮影です。
(写真の教職員の方たち:黒瀧前学部長先生、坂本先生、小松先生、下島先生、永井先生、若松先生)