自然探索部 活動初期
ー藻琴湖-
1989年4月16日(日)くもり後雨
10人くらいのメンバーで、9:38網走駅発でもことに行った。
さむかったが、湖岸をぶらつき、浜でたき火をして語り合いながら歩いて帰り、数人でまた夜10時頃まで語り合う。(個人日記より)
~入学式後、初の日曜日にはすでに創生期メンバーは集って行動しており、藻琴湖へ行った理由は、トンボに詳しいH君の提案であったと思う。湿地の側溝でヤゴなどを探した記憶があります。
砂浜での焚き火写真で、なぜ右端のぼくが正面を向かずに焚き火をイジっているかと云うと、当時の椎名誠さんワールドに染まっており、氏のCM光景を単にマネていただけであります。
-バイラギ-
網走市街から能取岬へ向かう途中、当時オホーツク水族館のあった二つ岩の反対側にバイラギ林道があります。
この林道の通る自然(森の動植物、野鳥や昆虫、渓流の水生生物など)をフィールドワークの拠点にするも、どういう選定理由だったかは忘れました。
先輩たちもいなく、まだ誰もクルマの所有がなく(もちろん運転免許証もない)、バスで現地入り口までゆけるという気軽さであったと思います。
今、手元にある「北海道の地名」(山田秀三著)によると、バイラギの解釈記載はなく、語源は不明のままであります。
不勉強者ゆえ、どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教授下さいませ。
-初顔合わせ-
開学してから一ヶ月も経たない4月29日(祝)、南4条通り(現在のアプト4)にありました喫茶店シュールにて、新規部活動申請のため、故鈴木淳志先生を顧問に、志ある仲間が集いました。自己紹介や、やってみたいことなどを語り合いました。まだ仮称・自然愛好会の頃です。
1~2浪の仲間も多く、ぼくは、しばらく気遣いし、敬語を使っていました。
よって、自己紹介の挨拶は、
「専門分野はありませんが、山に登れます。荷物係をさせて下さい」
でした。
なんとも遠慮した挨拶でありました。
-徒歩-
5月であったか6月であったか日記には残っていませんが、大学は休みの日、とのさんとなぜだか知床のある斜里町まで約40kmを歩きました。
まだ登ったことのない斜里岳が残雪で美しく、背景に仲良く記念写真を撮りました。
また、道中クルマに乗られて通過した横濱元学部長先生に目撃発見され(悪いことをしていたわけではないのだが…)、この2人の無意味な徒歩行動?は驚かれ、しばらく授業の小話ネタに使われました。
今回は主にとのさんに登場していただきましたが、一期生には、親友と呼べる仲間たちが多いです。
それぞれの大切な仲間には、それぞれの大切な思い出があるかと思います。
違っているところも、感じたことも、心象や光景はそれぞれだと思います。
開学したての入学式以降、全国各地から縁あってオホーツク網走市に集った一期生300余人は、分子がぶつかり合って化学反応を起こすように熱を帯び、団結し、まとまってゆきました。
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