©️Hideki_Matsuo

北海道から九州に移住。ときに自然ガイドの日々。山歩きとめだか飼育が趣味。学生時代は72…

©️Hideki_Matsuo

北海道から九州に移住。ときに自然ガイドの日々。山歩きとめだか飼育が趣味。学生時代は72山行、127日入山。 都道府県職(農業・水産・生活)/自然体験活動指導者CONE/サービス介助士 記録の残る過去山行(年月バラバラ)や思い出話など備忘録的なことをボチボチと投稿しています

最近の記事

環境問題研究会ー羅臼岳ー

ー日本百名山 知床羅臼岳 1661m― 初めての前期試験も終わった7月25日、研究会メンバーと教職員の先生方とで、斜里岳に続き今度は知床羅臼岳に登ることになりました。 前年の高体連地区大会で優勝を果たせた山で、登山口にある木下小屋の管理人のHさんとも再会できました。 天候にも恵まれ、まだ平地の広かった山頂部で、みんなで楽しく昼食をしました。 眼下の知床峠に雲海を見ました。 10月に初めて開催予定の大学祭である収穫祭の文化学術展のため、斜里岳&羅臼岳登山に通じて参加していた、同

    • 環境問題研究会 誕生の記ー斜里岳ー

      村山由佳さんという作家が「上品な文章を作ろうと思うと全く書けないものだ」と語っていたよ、とある後輩が文集で教えてくれました。 思い出話をする典型的なオヤジと化してきてしまった自分が正直恥ずかしいのですが、それでも、かわいい後輩たちにも伝えておきたく記しています。 若い人たちの酒の肴になるのもまた良しです。 (決して「むかしは良かった」という気持ちではありません) さて、なんとなく、特に理由があったわけではないのですが、5月に無事、2つ年上のH君を部長として発足できた自然探索

      • 自然探索部 活動初期

        ー藻琴湖- 1989年4月16日(日)くもり後雨 10人くらいのメンバーで、9:38網走駅発でもことに行った。 さむかったが、湖岸をぶらつき、浜でたき火をして語り合いながら歩いて帰り、数人でまた夜10時頃まで語り合う。(個人日記より) ~入学式後、初の日曜日にはすでに創生期メンバーは集って行動しており、藻琴湖へ行った理由は、トンボに詳しいH君の提案であったと思う。湿地の側溝でヤゴなどを探した記憶があります。 砂浜での焚き火写真で、なぜ右端のぼくが正面を向かずに焚き火をイジっ

        • 自然探索部 誕生の記

          1989年4月2日(日)はれ  ついに旅立つときがきた。  車二台で網走へ向かう。BGMは小比類巻かほる。I’m hereとか。  着いて荷物を6畳一間ほどの部屋に入れ、整理、片付け。  昼、みんなで金市館でめしを食べ、カーテンを買い、取り付ける。  みんなとさよならして、ついに一人ぽっちになってしまった。  下宿のおばさんと話する。部屋に戻り、すぐさみしさにかられた。  これからこの下宿、この部屋をホームにして大きく飛躍できる大学へ通うことになる。始まった。ぼくの新しい人生

        環境問題研究会ー羅臼岳ー

          イワナ、山に登る~人生半世(反省)記

          「山岳部ではイワナの産卵が見られるんだわ」 高校に入学したての部活動紹介の際、顧問先生が魅惑的に放ったこの一言で、将来さけますふ化場のおじさんになりたかったぼくは、幼少期から習っていた剣の道を捨て、あっさり山岳部に入部しました。 沢遡行や大雪山縦走の数々、インターハイ地区大会で男女初優勝など果たせるも、結局、イワナの産卵は見られませんでした。 そこで、大学時代は、知床半島でイワナの研究に夢中になりました。 イワナというのはオショロコマのことです。 当時は水産分野もバイテ

          イワナ、山に登る~人生半世(反省)記

          【知床から箱庭の島へ14】さようなら

          さてさて、その後、穴澗の広場にて『交流会』。 もちろん、ビジット先の方たちをお互いそれぞれ連れ合っての集合。 赤いジュータン?を敷いてのお茶会、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、ジンギスカンなどの『縁日』を開催。 事前準備を担当された青年会議所の方たちは大変だっただろうと思う。 発電機や炭一式から果ては包丁や調味料までのすべてを根室市内でレンタルをしたり、かかる食材を梱包して、船荷にしてきたのだ。 訪問団員の全員でそれぞれ分担して、準備や提供を始める。 ぼくは「焼きそば」担

          【知床から箱庭の島へ14】さようなら

          【知床から箱庭の島へ13】ホームビジィト

          いよいよ、『ホームビジット』へ。 向かった先は、集合住宅の2階であった。 その家主のワレンチナさんと、その友人のガリーナさんが、温かくおもてなしをしてくれた。 (本当のお名前は、覚えられないほど長いのですが、みな愛称で呼び合うようです。ナターシャさん、サーシャさんなどのように) 家の中は、装飾品もあるが、華美でなく、とても質素でシンプルな空間で、ハーブや野菜などをベランダで栽培している。 窓際にはキツネの毛皮が干してあり、あちこちに日本のお面や扇子などが飾られている。 あ

          【知床から箱庭の島へ13】ホームビジィト

          【知床から箱庭の島へ12】支援と教育

          ▽2003.7. 1 tue この日の行程。(日本時間) 7:30下船上陸-8:00発電所視察(穴澗)-8:45アマナ中学校-10:00~14:00ホームビジット-14:00交流会 -16:15夕食交流会(斜古丹)-18:30帰船出航-23:30国後島古釜布沖にて停泊 早くに起きるも、また曇天である。 せっかく「箱庭のしま・色丹島」に来たのに…ホントウにガッカリである…。 この日は、ホームビジット(滞在)や交流会(縁日を開催)のある日なので、いろいろと忙しいのかな。 ま

          【知床から箱庭の島へ12】支援と教育

          【知床から箱庭の島へ11】歴史学習会

          『歴史学習会』を文化会館内で行う。 斜古丹地区の住民の方たちも集まってくれ、訪問団の大学生のみなさんが楽しく演奏などもしてくれた。 そんな楽しい有意義な学習会ではありましたが、ここでの、肝心な部分を少し書き残していきます。 この場で、日本側からは「北方領土は日本固有の領土である」と主張がなされました。 ロシア側からは、学校の先生が、公式見解ですと前置きした上で、4000年前の北方民族の居住遺跡などが考古学的にも見つけられていること、黄金探検時代のこと、千島アイヌのこと、

          【知床から箱庭の島へ11】歴史学習会

          【知床から箱庭の島へ⑩】色丹島の点描

          昼食後、1996年に日本からの人道支援による『診療所』を視察後、斜古丹地区を一望できる展望地へ。 天候が良くないのですが、色丹島の風景を少々。(2003年現在) 旧ヘリポートであった通称:展望地付近には花々が咲き乱れています。 山林は、チシマザサやヨモギが目立ち、エゾマツ、ダケカンバ、ケヤマハンノキ、カワヤナギが多く見受けられます。

          【知床から箱庭の島へ⑩】色丹島の点描

          【知床から箱庭の島へ⑨】墓参

          小雨の中、『日本人墓地』を訪れた。 木の囲いの中にでこぼことなった草地にあり、地元のロシア人の方たちが日頃の手入れをしていただいているとのこと。 墓標(石)がないお墓も多々あるも、みな北海道の方角を向いていることには変わりないのだろう…。 静かな時間が流れているような、でも止まっているような、そんな気がする。 昨年2002度の交流訪問団が建てられた墓標前にて、みなで黙祷(もくとう)をささげる。 この島の地でアイヌ民族の酋長だったとの方のお墓もあり、墓標には十字架が印してある

          【知床から箱庭の島へ⑨】墓参

          【知床から箱庭の島へ⑧】上陸

          ▽2003.6.30 mon   この日の行程。(日本時間)~悪天により昼食、夕食共に斜古丹地区の屋外からカフェ(レストラン)内へ変更となる。 8:00上陸-8:40表敬訪問(斜古丹文化会館)-9:00幼稚園視察(ロマーシュカ)-10:00日本人墓地訪問 -昼食-12:00診療所視察(斜古丹)-12:30展望台(旧ヘリポート)-13:00歴史学習会(斜古丹文化会館) -夕食交流会 いよいよ、色丹島へと渡る日、朝3時に起きてしまった。(→前日から船内で寝すぎ) 初めて色丹

          【知床から箱庭の島へ⑧】上陸

          【知床から箱庭の島へ⑦】出航

          ▽2003.6.29 sun  いよいよ渡航の朝。 ひどい曇りなり。 この日の行程。(日本時間) 9:30根室港出航-10:40「N43゜28' E145゜46'」通過点-14:30国後島古釜布沖(入域手続)-20:30色丹島アナマ沖 少し緊張しているぼくは、バスで根室港に向かう前から「酔い止め薬」を飲む。 こんなに長時間、船に乗ることは初めてだし、逃げられない閉鎖的な環境に閉じこめられ続けるのかと思うと、心が ひどく弱気にぐったりになってしまう。 前夜、テレビのロードシ

          【知床から箱庭の島へ⑦】出航

          【知床から箱庭の島へ⑥】二ホロ

          ▽2003.6.28 sat   天気は晴れでもアスファルトに接する空気のゆらぎや冷たく頬にあたる風を感じていると、根室は北国の早春のようだ。 そう、ようやく夏タイヤに履き替えた4月といった感じかな。そう、あのオホーツクの4月である。 まだチューリップも本当に咲いているのだ。 納沙布(のさっぷ)岬まで行ってみると、コンブ漁で浜が賑わっているせいか、コンブの香りをのせた潮風が気持ちよい。 すぐそこに貝殻島(かいがらじま)が見える。 そこまで距離にして4kmもないのだ。 返還

          【知床から箱庭の島へ⑥】二ホロ

          【知床から箱庭の島へ⑤】根室へ

          ▽6.27 fri  5時起床。 知床は、くもり。 下半身すべて筋肉痛なり…悲。 さらに少し二日酔い気味の気だるい白い朝。 それでも、早寝早起き、日常よりも良い食事を三食いただき、有意義な心に残る登山をし、健康的な生活である。 「知床で人に還る」というのはホントウだな。 この日は閉会式だけなので、早朝から贅沢にも温泉につかり、最後の片づけなどをしてから、先にみんなとお別れをした。 ちなみに本大会の結果による全国大会出場校は、男子:北見北斗高校、札幌南高校、女子:札幌南高

          【知床から箱庭の島へ⑤】根室へ

          【知床から箱庭の島へ④】羅臼岳

          ▽6.26 thu   4時起床。くもり。 山も望めない… う~ん、前日の願い叶わず… 二日目は、羅臼岳(1,661m)である。 「男子隊」は羅臼側から頂上へと登り、ウトロ岩尾別側へ下る、つまり知床半島を横断するコース。 「女子隊」はウトロ岩尾別側から頂上を往復するコースで、ぼくはその女子隊の担当である。 ウトロ岩尾別側からでも片道7.2kmの山である。羅臼側からは、さらにキツイ。 ご存じのとおり日本百名山の一つのため、訪れる登山客が多い人気のある山である。 BCで悲

          【知床から箱庭の島へ④】羅臼岳