息子の剣道部
中学になった時、何か部に入りたいと息子が言い始め、化学部に入ると言いました
でも、化学部は週に一回しかなくて、親としては、何かスポーツをと打診しました。
息子は学校のスポーツ部を色々考えていましたが、どれも、小学校の頃からしている子には叶いそうにありませんでした。
そこに、春休みに訪れていた、私の実家で、父が
「剣道がいいぞ!剣道しろ」とプレゼンしまくったのが効いたのか、剣道部に入る事になりました。
丁度、私の防具が実家に残っていたので良かったようでした。
学校で、「剣道部」に入ったのですが、顧問は当時、まだ30歳になったばかりの「日本体育大学」出身の先生でした。
5人入部して、一人は経験者、後の子は初心者だったので、息子も入り安かったようですが、「日本体育大学」の先生が、厳しかったのです。
体育大ばりの基礎練習をさせたりしていました。
家から電車を使っての1時間半の通学に、厳しい「剣道」!
最初の頃は、それまで、スポーツなどした事もない子でしたから、ヘロヘロになりながら通っていました。
そうこうしていると、2人辞めていき、いつしか残った3人でいつもツルンでいました。
先輩達とも仲が良く、楽しそうに部活をしていました。
この先生は、よく、近隣の学校との練習試合をする事がありました。
と言っても、息子の学校は、中高一貫校で、進学校なので、スポーツは、どの子もあまり出来ません❗️
なのに相手の学校は、どこもスポーツに長けた普通の中学校。
いつ相手にしてもらっても惨敗で、試合に行くのも辛い日々でした。
息子も、この世には努力しても、太刀打ちできないものがあるんだと、その時、学んだと思います。
中3の時、毎月の様に練習試合に、行っていたのですが、その時、友達の一人が後日、当時流行り始めていて、恐れられていた、『新型インフルエンザ』にかかってしまいました。
後で聞くと、その練習試合で、随分広まったそうなんです。
学校では大騒ぎ、その2日後、息子も発症してしまいました。おまけに娘にも移してしまいました。
その他のメンバーもことごとく「新型インフルエンザ」の餌食になっていました。
しかし、その頃騒がれていた「新型インフルエンザ」は、結果、普通のインフルエンザとあまり変わらない病状で終わりました。
学校でも、騒ぎが酷かった割には剣道部以外に移った子達があまり出てこなくて、助かりました。
最初に発病した子は、学校内で、めちゃくちゃに言われていて、かわいそうでした。
「コロナ」で忘れ去られた「新型インフルエンザ」、あれって、何だったんでしょうね。
結局、剣道『初段』は取りました。
それで満足した息子は高校では「剣道部」を辞めました。
いつもツルンでいた二人とも高校では別行動になりました。
その後、一人は「弁護士」に、一人は「医者」になりました。(凄いですよね)
「良かったね。何かあったら頼れるよ!」と言うと
「ぜったい❗️あの二人には頼らない❗️」
と言っています。
そんなものなんでしょうね。悪友と呼んでいます。