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初めて熱中できたこと

書道漫画'とめはねっ!'
の中に出て来る素敵な詩。

“迷いながら
ぶつかりながら
揺れながら
過ごした日々を
愛しく思う”

書道と共に過ごした四年間を振り返ると
書道が楽しくて苦しくて
甘くて苦くて四六時中、
いつも書道のことを考えていた。
今振り返っても本当に思い出深い。

友達と放課後に遊んだり
The高校生といったような
生活も憧れてはいたけれど、
のんびりでどこか周りとズレている私には
きっと息苦しく感じていただろう。
高校での日々は友達と遊んだり
ワイワイというより、
部室にこもって一人で黙々と書作に励んだ。

小・中学校そして今まで、
特に熱中できることもなく
私には何もない。なにも出来ないと
自信なんてものは全くなかった。
大人のことは信用できなかったし
家庭環境は今振り返るとなかなかなだったし裏切られてばかりな先生は大嫌い
同年代の子たちとは、どうも合わないし
他者と合わせて、仮面を被ったかのように
都合のいい子ちゃんでいるのはもう限界。
高校からはそういうのは辞めようと
決めていた。

そう決心していたので
あまり活発に発言したり
目立つ行動をするタイプではなかったのだが書道と向き合っている時だけは
どんな自分にでもなれるような気がした。
白い紙の上に筆と墨でのびのびと
なんの我慢もすることなく
自由自在に表現できる書道という世界に
惹かれた。

字のクセや書き方
人それぞれにもつ特徴があるけれど
私は主張がある書道が好きだ。
おとなしくて、おしとやかな字も憧れるけど性格の問題なのか私には書けなかった。 

灌頂記の練習風景
これは、ほんとにむずかしかった。

かくときの心情や
筆のちょっとした加減
字の形やリズムによって
全く違う雰囲気になるのも書道の面白いところ。

自分の限界を知り
圧倒的天才に出会い
スランプになって辛くて仕方なくて
嫉妬、悔しさ、書けない自分への嫌悪でいっぱいになったり…

純粋に書道を楽しめていたのは
書道を始めたばかりの手探りで何も分からなかった頃と、展覧会に出さずに、誰とも競わずに自分が書きたい字を書ける時だけだったかもしれない。

展覧会で他者と競争したり比較されたり、
そうやって勝・負上・下という評価がされてしまうのは私の中では苦しかった。

他者は他者。自分は自分。
と割り切れたら良かったのだか
私には無理だった。
展覧会で入賞する事を目標に
我武者羅に書を書くのは追い込まれる分、
書道の技術や表現法は身につくと思う。
やらなかったらよかったと思ったことはないし、モヤモヤに飲み込まれそうになりながらも全力で書いてかいて書きまくるのはまさに青春だったのだろうか。

書道の世界に足を踏み入れてみて
今まで出会ったことのない素敵な先生や先輩方に出逢った。
今まで感じたことの無かった
あたたかさや居場所と巡り合う事ができた。人間関係で苦しんできた学生時代だったのでこんなに恵まれた環境に身を置くことができたことが何よりも幸せなことだったと思う。

“迷いながら
ぶつかりながら
揺れながら
過ごした日々を
愛しく思う”


とめはねっ!を初めて読んだとき
思わず鳥肌が立つほどに
この言葉に惹かれた。
まるで、
私の高校生活を部活での日々を
代弁してくれているかのようだった。
楽しい事も、辛いことも
今まで感じたことのなかった感情と出会った日々を振り返って、忘れる事ができないかけがえのないものだったと思う。

大きな賞を取ったわけでもない
全国大会に出場できたわけでもない。
書道の段位を取得したわけでもない。
だけど、
全力で自分の壁に向き合って
涙をこぼしながらも
全集中で書道に取り組むことが出来た。
今までの人生で
一番頑張った四年間四年間の日々で、
あんだけ頑張れたんだから
これからも何だって挑戦できると
自信を持つことが出来た。


高校卒業後、
書道の道には進まなかったが
今も書道が大好きだ。
筆を持って作品制作することは
道具を揃えたり、
準備などをしなくてはいけないので
ハードルが高いが、
筆ペンで文字を書くことは
手軽に出来るので、
今でも時より字を書くことを楽しんでいる。

展覧会にも年に何回か行ってみるが
毎回、情熱のこもった作品の数々に
感動する。
目をキラキラさせて
鼻息をフンフンさせながら書作品をみて
ワクワクしている自分を客観的に見てみると一時的な思い込みではなくて
本当に書道が好きだったんだなと思う。
学生時代に夢中になって熱中できることに出会えたことに感謝である。


迷って、
自分自身とぶつかって
悩んで
揺れながら過ごした日々は
愛おしいものだった。

長らく読んでくださり
ありがとうございました!

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