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他人に本気で叱られた話

他人が本気で自分に対して怒る。

今のご時世、少しの発言がパワーハラスメントに該当するとなり、怒る人が減っているという記事を見た。

この前、上の世代(50歳位)の方と話す機会があり、若手がちゃんとしていなかったら注意するか?という話になった。

その時に、「もう何も言わないかもなぁ。その子のことを思って伝えても、パワハラとか言われるのも嫌だし。だから今の若い世代の子は怒られることが減るから楽かもしれないけど、自分で気が付かないと行けないから大変だね。」

この言葉を聞いた時、自分の価値観がぐらりと揺らいだ。

今まで、怒られることは嫌だ、怒られないようにするにはどうするか。を考えて常に生きてきた。

怒る側はいつも目くじらを立て、我々を見張っているのかと思っていた。

誰かれ構わず自分のイライラをぶつけるために怒る人もいるかもしれないが、そうではない他人が人に対して「怒る」というのはどういう心境なんだろうか。

「怒る」っていう言葉の意味がはっきりと理解できていない気がして、調べてみた。

腹を立てる、興奮して気を荒立てる。という意味らしい。

類義語に「叱る」があるとのこと。

「怒る」と「叱る」の違いを調べてみた。

「怒る」と「叱る」の違いは行動の理由が他人のためか、自分のためかという点です。

何気なく調べたことで、AIが人生においてすごく大切なことを教えてくれた気がする。

ずっと僕は口調やテンションに関係なく自分に強めの意見をいう人=怒られているだと認識していた。

怒られる→怖い→凹む→どうすれば怒られないか
こんなことをぐるぐる考え続ける人生だった。

こんなわかりやすい違いがあったなんて。
現代は言葉だけが先走り、「怒る」「叱る」の、区別がなくパワハラだと、なっている気がする。

前置きが長くなったが、叱ってくれた人について書いていく。(元々のタイトルは「本気で怒られた話」だったので、noteを書きながら成長?できたのかも。)

僕は高校生の頃サッカー部だった。
特別強豪校というわけではなかったが、部員は90人近くいて練習も厳しかった。

高校入学した時はそれこそ、先輩に怒られないように、監督に怒られないようにと毎日びくびく生きていた。

監督はとにかく熱血教師で、選手1人1人に本気でぶつかってくれる人で卒業した今も、大好きで尊敬する恩師の1人だ。

ただ、今でこそそう思えるが入学当時はとにかく怖かった。

ただ、悪目立ちする性格でもないし、真面目にコツコツやるタイプ(唯一の個性)なので、監督のターゲットになることはなく、入学して数ヶ月、何人かのチームメイトが怒鳴られたりする中で、僕はターゲットになることはなかった。

入学して半年くらいが経過し、高校1年生の9月頃、その時は訪れた。

僕たちのチームはレベル別にカテゴリーに分けられてAチームからDチームまで分かれて練習をしていた。

Aチームが公式戦に出るカテゴリーでみんなここを目指して日々練習している。

1年生は特別上手い子はAチームにいきなりいくこともあるが、大体がCチームか、Dチームに振り分けられる。

僕はCチームとDチームを行ったり来たりしていた。

ある日の紅白戦で、僕はその時Cチームに所属していた。

その日は土砂降りでとにかく寒かった。

僕はBチームとの紅白戦で調子がすこぶる良かった。
紅白戦後、監督にもピロシキ良かったぞ。と名指しで褒められて同期にもBチームいけるんじゃね?と持て囃された。
すごい良い気になっていた。

その次の試合はDチーム同士で紅白戦をやるところだった。(Dチームは1番下のカテゴリーなのでCチームまで入れないメンバーが全員属しているので人数が多く、20人を超えるメンバーがいる。)

僕は副審をやることになり、ビッチサイドに立った。

紅白戦は20分一本だった。

最初は普通にこなしていた。

ただ、雨に打たれ寒かった。

前の試合で良いプレーをして褒められた僕は見事に調子に乗っていた。

ふわふわした気持ちで副審をやっていて、どんどんおざなりになっていた。

途中からぼーっとしていた。

Dチームの紅白戦には監督もDFとして入り参加していて、メンバーに指示を送りがらプレーしていた。

監督と対峙する相手選手が裏に抜け出した。

そこにボールが送られていく。

監督が「オフサイド!」と副審の僕にアピールする。

そこでハッとする。

ぼーっとしていた僕はDFの最終ラインとは全然違う位置に立っていた。

やばいと思ったが、わからなかったのでオフサイド判定を取らずにプレーを流した。

その瞬間、監督から僕に雷が落ちる。

「おい!今適当にやってたよな?自分のプレーが終わったら他の人の試合はどうでもいいのか?お前の試合も副審やってくれた人がいるんだぞ?プレーがどうこうなんて二の次だ。謙虚でなければ誰にも応援されないぞ。」

恥ずかしくて仕方がなかった。

プレーで指摘される方が全然よかった。

Dチームの全員にがっかりした目で見られるのを感じた。

舐めてたんだと思う。

Aチームの試合の副審だったらしっかりやっていたんだと思う。
自分より下のカテゴリーの試合だし、自分はうまくプレーできてもっと上に行くかもしれないという潜在意識があったんだと思う。

全てが監督に見破られたと思い、その意識を叱ってくれた。

態度や姿勢、意識の部分を全員の前で叱られるというのは、とにかく自分が、恥ずかしかった。

チームメイトに対するリスペクトもなかった。

その日以降、姿勢、意識、を変えて、日々練習に取り組んだ。

監督のモットーは「謙虚な心」だ。

謙虚であり続けること。

1番大事なことを叱って教えてくれた。
あのタイミング、あの温度感だったから、10年経った今も、胸に刻まれてるんだと思う。

それは行動動機が自分のために怒るではなく、僕のために叱ってくれたからだと思う。

このnoteを書いて叱ってくれる人を大切にしようと思えた。


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