やらかし道場 #12 後悔のその先 卒業編 前編
皆さんこんにちは。
やらかし道場 代表の鶴見です。
#10 後悔のその先 幹部引き継ぎ編では、目標を変更する際の難しさや意志を通すことの苦悩について書いていきました。
#10ではついに最終学年を迎え、卒業までの歩みについての話をしていきます。
3回生の10月に幹部の交代を迎え、ソフトテニス部への関わり方も変わっていきました。
幹部を交代するということは、今まで主体的に部活を動かしてきましたが、
これからは後輩が主体的に行動していかなければいけません。
一番初めに思ったことは、
彼らの成長を阻害してはいけない
そう思っていました。
交代して感じたことは、今まで主体的にやっていた頃に比べて客観的に見えるということ。
幹部が足りないことがわかるようになりました。
しかし、本当に問題がある時を除いて注意しないように、相談された時のみアドバイスするように、しかし、協力はする。という事を意識しました。
何故なら、自分が過剰に関与されるとやり難いと感じていました。
押し付けてはいけないとも思っていました。
特に声出しについては悩んでいました。
今まで、主体的に声出しや声掛けをおこなっていましたが、
「これからは自分が出さなくても盛り上げていけるようなチームにならなければ」と思っていました。
もちろん試合の時は絶対に盛り上げるし、どう盛り上げるかはわかっているけど、自分が常時出してはいけない。
そんな風に思っていました。
そうした時に、今までなぜ先輩方が通常の練習時にそこまで声を出していなかったのかも少しわかった気がました。
また、プレーヤーとしても自我を出してはいけないのではと感じていました。
今、成長するべきプレーヤーは自分では無いのでは無いか?
育てるべきプレーヤーは誰かという事を考えて
自分もそのように助言していました。
これは後に、もっと自分を出してよかったのではと思うようになりました。
自分も積極的に参加することで競争の意識を高めることや、
それ以上に自分の感情を押し殺していたことに気づきました。
就職活動にも入っていくことになります
一方で、学生生活はほぼ全てソフトテニスに全振りしていたと言ってもおかしくは無いですが、
幹部を交代したことで自分自身の進路と向き合う必要が出てきました。
それまで私はずっと大学院に行くものだと思っていました。
しかし、いざ進路を考えた時に自分は今後も研究をやっていきたいのかと考えるようになりました。
理系で研究職に就くものだと考えていた高校生時代、後悔の無いようにずっとソフトテニスをしていた大学時代、そう振り返った時に、自分が大学院に行って研究を続け、会社でも研究職に就くというイメージはありませんでした。
そして、学生時代の実績として何を頑張ってきたかと言えば、ソフトテニス。
「ソフトテニス部 男子主将 兼 主務としてチームを1部昇格に貢献した」ということが実績なのでは無いか。そう考えました。
そして急遽、3回生の1月という少し遅い出だしで就職活動をしました。
現在の会社に入った経緯は、4日間のインターンに参加したこと。
そこで今も付き合いのある同期に出会ったことがきっかけでした。
そこで彼と就職結果を報告しあいながら行った就職活動は、最終的には苦ではない、比較的楽しいものではありました。
面接の際に学生時代にソフトテニス部として活動した時の思いやどう工夫したかを伝えること、グループワークで意見をまとめること、これからの事をやっている時はとてもやりがいのある事でした。
3月、4月、5月の予定は、実家を起点に京都や大阪を中心に就職活動をおこない、とても忙しいものでしたが、充実したものでもありました。
しかし、部活動は疎かになってしまいました。
島根では就職活動はおこない難いため、実家に帰り2、3週間京都に居続けるというような就職活動をしていたため、
3月中旬からリーグ直前の4月中旬までほとんど練習に参加できず、後輩幹部達には迷惑をかけてしまったことは今でも申し訳なく思っています。
後輩にはスケジュールを送り、事情を説明し理解してもらっていましたが、
練習としてはとても不足している状態で、4回生最後の春リーグを迎えました。
練習に出られていないこともあり、最初団体メンバーからは外れていました。
今まで一つ上の先輩に助けられていたこともあり、経験の浅いメンバーではなかなか1勝が遠く、1部では勝てず、入れ替え戦に臨むことになってしまいました。
これに負けてしまえば2部降格。
ソフトテニス部では昔から、
「チームが勝ったら幹部の実績、チームが負けたら4回生の責任」と言われていたこともあり、何もできていない自分を非常に不甲斐なく感じました。
4回生男子は自分一人。ということは降格したら自分一人の責任である。そのようにプレッシャーを感じていました。
そんな時、幹部の主将から
「入れ替え戦は鶴見さんを出します。鶴見さんの四年間に賭けます」
そう言って試合に出るように言われました。
その時は、今まで不甲斐ないと思っていたが、やっと試合に出られるという喜びを感じ、このタイミングで試合に出ることのプレッシャーも感じました。
実は、当時幹部の中で、意見が割れていたようで、練習をしていない私を出すことに対しての反対意見が多かったようですが、主将の一存で私を出すように決めていたということを後から聞きました。
ペアは今年入学した1回生。高校時代に中国大会に出場しており、強いものの、経験としては浅い状態。そんな彼と組むことになりました。
結果としては、ギリギリファイナルで勝利。
なんとかチームも残留することができました。
相手も1回生で、前年のインターハイに出場しているの後衛であり、
私のペアもそれに気づいていましたが、私が緊張すると思って気を遣い、そのことは黙っていたようでした。
なんとか勝利して、チームは残留。
4回生としてなんとか最低限の責任は果たせました。
そしてしばらくの間はその高揚感に浸っていましたが
リーグも終わり家に戻った時に、突然悔しさが襲ってきました。
それは、団体戦に出られていない時の何もできない無力感。
それまでの学年であれば、来年こそはと思うことで、なんとか無力感は感じていましたが、最終学年。ここから経験することの全てが、最後になる。という事実を実感し、本当に後悔しないようにしなければいけないと決意しました。
就職活動では、今までやってきたことを振り返り、どのように行動を決めていくかの難しさ
行動していく上で、全てが最後だと思って何事も行うことが大切であると気付きました
これらの重要性に気付かされたのでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回は、大学ソフトテニスの集大成、秋リーグ、そして教育実習、研究も佳境を迎え、学生生活の集大成を迎えた時の話を書いていこうと思います。
ぜひ次回も読んでいただけますと幸いでございます。
やらかし道場 鶴見