スクールカーストと、姉御 (あねご) と彼の話し
中学三年の頃。
僕はクラス内で" 完全に孤立 "していた。
2年生から3年生に進級するのと同時にクラス替えが行われ、その新たなクラスのなかで、知っている人間が誰ひとりいなかったのだ。
教室内で、それぞれが大なり小なり仲良しメンバーを見つけたり、初顔合わせで ぎこちないながらも、つるむ相手を見つけて楽しそうに はにかみながら交流し合っている様子を、僕はただ、途方に暮れながら しょんぼりと眺めるしかなかった……。
ある程度、仲良し同士で固まってゆくクラスメートを横目に。 自分自身の肩身の狭さと、それとなく周囲から突き刺さる 哀れみにも似たような視線と、それに伴う引っ込み思案で萎縮した自分の性格を呪いながら
僕はただただ淡々と…… 時が過ぎるのを待つしかなかった。。
ある日を境に、クラスメートの陽キャの男女のグループに" オタク "かつ" 変人 "というレッテルを貼られてしまってからと言うもの、僕はさらに、クラス内での居場所を無くしつつあった。
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元はと言えば自分が悪いのだが、
同じ班になってしまった とある陽キャの男子に、" 持ち検 "と称したいじりをされてしまい、そのとき運悪く、自分が学校の鞄に密かに忍ばせていたアニメグッズを、あろうことか帰りのホームルームの時間に、大声でクラスメートたちに見せびらかされてしまったことが、そもそもの発端であった……。
陽キャの男子はルックスも良く、同じ班の陽キャの女子たちとも仲が良かったこともあってか、男子だけではなく、スクールカースト上位の女子グループの一部にも、僕は奇異な目を向けられてしまったようだった。
直接的に、暴言や暴力や嫌がらせはなどはなかったものの、僕が同じ班の一員としてグループワークを試みたり、席を合わせて向き合い給食を食べる際には、その陽キャの男女グループにその都度 クスクスと笑われたり、目の前でヒソヒソと何かを囁き合われたり、僕の存在を避けるような素振りをされては、同じ班の誰にも、まともに目を合わせてもらえないことが殆んどだった……。
陽キャの男子が僕を" いじる "ようにわざとこちらへ会話を投げ掛けると、同様に目配せをし合った周囲の男女たちは、目を伏せながら必死に笑いを堪えている様子だった。
困惑して" どもっている "僕の様子が、きっと可笑しかったんだろうと、そのとき思った
いじられて困惑した様子をした僕は、陽キャの男女グループだけではなく、周囲のクラスメートからもそれとなく哀れみの視線を向けられるたびに
周囲から孤立したり嘲笑をされてしまうくらいには、「 自分はきっと、マトモではないのだろうな…… 」と
そのときずっと思っていたのだった。。
そんな冴えない学校生活を淡々と送っていたある日。
クラス内で席替えが行われ、僕はひとりの女子生徒の隣の、窓側の席に移ることになった。
陽キャの男女グループの班はそれとなく散り散りに分散配置され、ようやく少しは静かに過ごせそうな気がして、僕は心の中で安堵した。
隣の席の女子には見覚えがあった。
1年生のときに、隣のクラスに親友が居たのだが、休み時間に 親友に会いに隣のクラスへと行くと、黒板からいちばん前の、クラスの入り口の席 (教壇を起点として、教室を真上から見た右上の席) に、彼女が座って居たのだ。
入り口付近で僕が親友を探して、もじもじと様子を伺っていると彼女は
「誰探してんの?」と声を掛けてくれたのだ。
僕は、「◯◯ いますか…?」とおずおずと告げると彼女は、
「◯◯~、彼女が会いに来てるよー」と冗談を交えたおおざっぱな声で、教室の後ろのスペースでクラスメートとふざけて取っ組み合いをしている親友を、それとなく呼んでくれたのだった。
そんなやり取りを何度かしたことを思い返しながら、隣の席に座る彼女を見やると、
「おっ。しおちゃんじゃん? よろしく。」と、僕に対して あらためて挨拶をしてくれたのだった。
彼女の名前は" トモコ (さん) "と言う。
彼女は不思議なことに、スクールカーストのどの位置にも属していない雰囲気があった。
男子たちとは対等にタメ口で冗談を交わし、
「うるせえ」
「この野郎」
「ぶっ殺すぞ」
と、すました顔で嫌味もなくコミュニケーションを取る姿がとても印象的であった
その乱暴な言葉遣いやユーモアとは裏腹に、とてもクールで、大人びていて、どこか寂しげな一匹狼的な情緒も持ち合わせている姿から、彼女は周囲からの尊敬や親しみの念として、" 姉御 (あねご) "と呼ばれてもいるようだった。
女子たちからもその存在感は一目置かれているようで
そんな彼女の振る舞いを見て、陰口や悪口を言ったりする女子グループもいないように感じられた。
仮に、彼女 (姉御) にタイマンで勝てるような腕っぷしと度胸のある女子は、おそらくこの教室には、誰ひとりいないだろうと思った。
ボーイッシュなヘアスタイルとクールな雰囲気を纏った色白で割りと細身な容姿の女の子ではあったが、彼女からは" 静かな凄味 "のような、底知れぬプライドのようなものを感じた。
男子たちと交わすようなユーモアを交えた暴言などではなく、女子生徒たちとは普通にコミュニケーションを取っているようだったが、彼女と接する女子生徒たちが、彼女に対して明らかに気を遣っているであろう距離感を、僕はそれとなく肌で感じていたような気がする。
いつもの給食の時間に、席が離れている ガタイの良い陽キャの下っ端のひとりが僕の席へとやって来ると、そいつは僕の机に置かれていた牛乳やデザートを
「これ、食べないよな? 」「貰ってくからな」と時折、奪いに来ることがあった
そいつと同郷で顔見知りだった姉御は、その様子を見るなり
「それって泥棒じゃね?」
「先生~、こいつ しおちゃんからデザート(または牛乳) パクってまーす」と声を上げて担任の女性の先生にその都度注意をしてくれていたのだった
その様子に気付いた気弱な年配の先生は、
「あらあら~ ダメですよ~」と、まるで注意にもならない声を優しく告げるだけであった。
しかし、クラスメートたちから注目を浴びたいじめっ子は、慌てた様子で そそくさと姿勢を屈めて自分の席に戻ってゆく。
姉御には「あれ、あげて良かったの?」と尋ねられたが、
「うん… あんまりお腹空いてないから……」と、僕は情けない声色で 弱気に返事をすることしか出来なかった
僕と姉御のやり取りをそれとなく見ていた同じ班の女子生徒が、僕を見やり
「見るからに胃腸とか弱そうだもんね!」
「なんか、ちびまる子ちゃんの藤木くんみたい (笑)」と悪気なく無邪気に笑っていた。
きっと、弱々しい奴だなーと思っていたに違いない。
※ ちなみに、胃腸が弱いのは藤木くんではなく「山根くん」。
姉御は男子たちとも気さくなやり取りを交わしていたが、一部の男子生徒たちからは姉御に対する" よくない噂 "も立ったりしていた。
僕は一年生の頃、学校の決まりとして、『生徒はすべて部活に入らなければならない。』という校則通り、卓球部へと仕方なしに入部をした。
ほかの部活( ←美術部希望だった )はそもそも定員がいっぱいだったり、自分には到底不向きな部活動しかなかったからというのが 仕方なしの主な理由。
しかし、入部した早々に僕ら一年生は、部活の先輩たちからの横暴な" 洗礼 "を受け、みるみるうちに、部活動への意欲をさらに減退させられることとなった。
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控え室での後輩へのカツアゲや殴る蹴るなどの暴力、パシりにこき使うなど、その主犯格となって部活を仕切っていたのが" 遠藤 "という先輩と複数人の手下たちだった。
姉御も女子卓球部に入部していたのだが、そもそもが男子と女子に体育館のエリアが別れていたので、部活内での男女間の交流は最初から一切ありはしなかった。
姉御に対する一部の心ない生徒たちが言う噂話。
それと云うのも、姉御はどうやら
「 部活の先輩と" ヤった "らしい。」と……
一部の男子生徒たちは、まったく根も葉もないことを、陰で口々にしていたのだった
性に関する知識も未熟だった当時の自分でも、それが何を意味する隠語なのかは それとなく察していたような気がする
面白おかしくにやけながら噂話を口にする一部の男子生徒らに対して、そのとき僕は、端で嫌悪感を感じていた
しかし、席が姉御の隣ということもあってか、彼らが口にしていた噂話しの内容がどうにも頭から暫く離れず……
多感な時期を過ごしていた僕は、やましさと同時に姉御に対して、よくわからない申し訳なさも内心、抱いていたような気もする💧
姉御は、授業で教科書を忘れた僕に対しても、それとなく机と机の真ん中に自分の教科書を置いては、さりげなく気配りをしてくれたりもしていた。
ぶっきらぼうだが実は心根が優しい姉御の一面に触れ、僕は彼女に対して、人知れず心のなかで静かに感謝をしていたのだ。
僕のことを毛嫌いしていた、スクールカースト上位の陽キャ女子の隣に席を並べたとき。
教科書を忘れた僕は、先生が言う
「教科書を忘れた人は、隣の席の人に見せて貰って下さい」の言葉とは裏腹に
頑なにこちらの存在を無視するかのような隣の女子生徒の素振りに、「見せて貰ってもいいですか」とも言い出せずに、気にしない風を装おっては 淡々と授業を受けていた
一部の心無い男女グループからクスクスと嘲笑をされたり、あからさまに避けられている自分の存在を省みると、内心では、彼や彼女らが 面白おかしく僕の存在を否定をする以上に、人知れず自分の存在ごと消してしまいたい 悲しい気持ちにもなったりもした
そんな理由もあってか、閉塞感溢れる 居心地の悪いクラスから逃げるようにして、両親には無断で学校を早退していたこともあったが、そんな僕の様子を見るなり姉御は静かな声色で
「今日も早退?」「また明日ね」とその都度さりげなく告げると、僕のなかのなにかを、人知れず察してくれていたようだった。
" 卒業式 "のあと。
クラスメートたちが帰っていった後も、なんだかいまさら名残惜しくなったせいか、早々に帰る気持ちにはなれず。最後の最後まで友達と教室に残っていた僕は、同じく友達と一緒に教室に居残っていた姉御から唐突に
「寄せ書き、書いてあげるね」と半ば強制的に卒業アルバムを取り上げられると、驚きと同時に、その申し出に「うん。」と、素直に応じたのだった。
すぐ終わるのかなと思っていたけれども、なにやら思案しながら文章を綴ってくれたらしく。ひとしきり倩(つらつら)と書き終えると姉御は、「おうちに着いたら、あとで読んで。」とさりげなく僕に言った。
姉御は僕と一緒にいた顔見知りの他の友達にも同じように告げると、今度はさらさらと「高校に行ってもガンバレ!!」的な文言をそれぞれに書いてくれていた。
中学校生活の最後の最後で、そんなやり取りだけが、なんだか微笑ましく思えた。
友人たちとさよならの挨拶を交わし
僕は、学校から自宅へと帰宅をした。
その日の夜に、あらためて自室で卒業アルバムをパラパラとめくり見終えると、ちょうど 最後の空白のページを埋めるように大きめの文字で、姉御からの卒業メッセージがピンク色のペンで何やら書き綴られているようだった。
内容を要約すると……
" しおちゃん 卒業おめでと。"
しおちゃんは、あんな少ない量しか給食を食べないで大丈夫でしたか?
わたしは絶対ムリです……(笑)
嫌な思い出もあると思うけど、高校に行ったらそんな思い出はすぐに忘れて、高校生活を楽しんでね。
今度は、知ってる友達と一緒のクラスになれるといいね。
高校に行ったらヤンキーとか、ガラの悪い連中に絡まれるかも知れないけど
もし絡まれたら、いつでもわたしに言ってね。ボコボコにしてやるから / 笑
最後に
隣の席に変な奴いたなーとか
わたしのこと少しは思い出して、どうか笑ってあげてください。
" それじゃあ、またね。"
と……
最後のページには彼女からのメッセージだけが唯一、書き綴ってあったのだった
そもそもが卒業アルバムのメッセージなんて必要ないと思っていたし、誰かに書いて貰えるとも思っていなかった
同じように中学校生活を送った友人たちも同様に、割りと閉塞的な環境から ようやく解放されたという冷めたような意識が強かったのではないかなと未だに思っている
だから。
友人同士でも 僕らはお互いに寄せ書きもしなければ、大して良い思い出なども無かった中学校の記憶など不要なものだ。と… 内心、当時の自分は思っていたように思う
それがどういう訳だか、" 姉御 "からのメッセージで卒業アルバムが締めくくられている……
「おうちに着いたら、読んでね。」の意味を、僕はそのときはじめて理解をしたのだと思う
居心地が悪く、閉塞感で窒息してしまいそうなクラスのなかで。
自分の気持ちや個性を押し殺し、なるべく目立たないように、人を頼らないように、淡々と過ごしていたつもりだった
そうしてきたつもりだった……
しかし。
彼女だけは、僕の存在をちゃんと隣で見てくれていたのだろうと、そのとき思ったのだ。
そして恐らく、彼女も同じように、スクールカーストのなかで 人知れず戦っていたに違いない。……そう思った。
僕は彼女の卒業アルバムに、お返しとしてどんな言葉を綴っただろうか……?
おそらく、皆と同じように
いちクラスメートとして、
「高校へ行っても頑張ってください」と 淡々と綴ったに違いない……
僕はどこまで、自分自身のことしか考えていなかったんだろう……
見えていなかったんだろう……
弱々しくて、酷く独りよがりで、まるで幼稚な自分自身に、情けなさと申し訳なさが いまさら込み上げてきた
どれだけ、さりげない" 姉御 "の優しさや気遣いに救われていたのか?……ということに、僕はようやく気付いたのだった
それが嬉しくもあり、同時に切なくもあった。
姉御からの餞 (はなむけ) の言葉を、僕は中学校生活の思い出と共に、そっ…と胸の奥に仕舞い込んだ。
社会人になり暫く経ってから。
当時の中学生の頃の他愛のない会話の流れで、友人づてに" 姉御 "の近況を、僕はそれとなく知った。
あれから。
彼女は地元の(自分とは別の) 高校に進学。
卒業後、彼女は同級生と結婚し、町内にあるアパートで静かな夫婦生活を営んでいるということだった。
現在は、同じく町内にあるスーパーで働いているそうだ。
同級生の男性については僕も、顔も人柄も知っている人で、学生時代に話したことは一度もないが、端から彼を見知っていた印象としては、寡黙で真面目で男らしく、落ち着いた雰囲気の生徒。という印象だった。
姉御は、良い人とご縁で結ばれたのだと思う。
二人の間には子供も産まれ、ささやかながらも幸せに暮らしているそうだった。
僕はそれを聞いて素直に嬉しかった。
幸せになるべき同級生の二人だと、そのときあらためて思った。
大して良い思い出などなかった中学校生活のなかで、それほど深い関わりも交流もなかったにも関わらず、" 姉御 "の存在が、自分のなかではやけに記憶に残っていたことが、今回の話しを綴るに至った理由だった。
当時の欠けた記憶を、アルバムを開いて答え合わせをするようにして、ひとつひとつの些細な出来事を、僕はふたたび大切に拾い集め直している最中なのかも知れない。
余談になるけれども
当時のクラスメートの陽キャ (例の" 持ち検 "のリーダー格の生徒) と、高校2年生の頃にふたたび偶然に再会をしたことがあった。
当時、僕は弓道部に入部しており、平日に行われる大会があった事で、隣の市内のほうへと赴くため、先輩や後輩・同級生の部員たちと早朝から 町内の駅のホームで電車を待っているところだった。
秋の朝靄のなか。 数メートル離れた先に、バッグを手持ちし、片手で小説 (または参考書?)を独り静かに熟読しながら佇んでいる彼の姿があった。
彼が着用している制服は、僕ら町内に通う学ランとは異なり、地元から片道約一時間ほどの市内にある高校の、紺色をしたお洒落なブレザーだった。
彼もおそらく、早朝の電車に乗って、これから通学をするところなのだろう。
やがて電車が到着し、皆でぞろぞろと車内に移動をする際に、あらためて僕に気付いた彼のほうから「おう。久しぶり」と声色静かに挨拶をされた。
中学の頃とは打って代わって、落ち着いた佇まいと柔らかな微笑みに、大人びたものを僕は感じた。
「あっ、おはよう」と僕も自然に挨拶を返した。
僕が抱えていた弓道の弓を見やると彼は、「大会か何か?」と尋ねたので
「これから◯◯市のほうで大会なんだ。」と返答する。
彼は優しく微笑みながら、穏やかな声色で
「頑張ってな。」「それじゃ。」と短い会話を済ませると、僕ら部活の集団の騒がしさから離れるように、先頭の車両のほうへと独り静かに移動したようであった。
中学の頃の、なりふり構わない陽キャ特有の騒がしさとは裏腹に、それとはまるで正反対な彼の成長した佇まいのなかに、僕は彼なりの苦労を感じたような気がしていたのだった。
いま思えば。
中学校の頃は、小さな地元のスクールカーストの最上位にいて周囲から持て囃されていた彼が、高校進学と同時に都市部への学校へと進学したことにより、そこで新たな人間関係の構築の難しさやカーストに直面したことで、恐らくだが彼もまた、人知れずに不安や葛藤を抱えるなかで 人間として成長していったのだと思う。
彼との静かな短いやり取りのなかで、僕は、それらを感じたような気がした。
早朝の電車のなかで、ひとしきり雑談をして騒いでいた弓道部の後輩たちに
「先輩、あの人誰ですか?」とそれとなく尋ねられたが、僕は
「中学校の頃の同級生だよ。」と、手短に返答をしたのだった。
もしかしたら、過去に拘り続け、嫌な記憶に囚われ続けているのは、自分だけなのかも知れないな。と、
そのとき あらためて僕は思ったのだ。
理由はあれど、一方的に蔑まれ、嘲笑をされ、まわりから距離を置かれ… 自分の存在を否定されてしまった悲しみは確かにあって、どれだけ時間が経っても、それらを拭い切れないのも事実。
だけどこうして、良い思い出も、そうではない思い出もあらためて振り返ってみると、実に" なんてことはない "ような…… そんな思春期の思い出。
忘れてしまいたい気持ちからか、ずっと記憶に蓋をして、なるべく思い出さないように秘めていた……
それが、自身が歩んで来た、紛れもない" 軌跡 "だというのに。
あれから随分年月が過ぎて、いま、ようやく
あの頃、迷ったり悩んだり葛藤をした日々を、間借りなりにもちゃんと乗り越えてきたと云うことを、僕は ようやく思い返している。
自らのおぼろげな記憶をなぞり、確かめるようにして。
~ スクールカーストと、姉御 (あねご)と彼の話し ~
エピソード おしまい。
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